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【第8話 基準】サファイアを追いかけろ~とある会社の採用ストーリー

気が遠くなりそうだった。
今期の倍以上となる「50名」という採用目標だけでも、目眩がするほど高い壁だ。それなのに、世の中に溢れる口コミを良いものに変え、入社後の体験にまで目を配るなんて――。
一体、どれほどの業務量になるのだろうか。
 
目の前が暗くなる僕を置いて、山路さんは容赦なく言葉を続けた。
「それだけではありませんよ、朝霧さん」
 
「……まだ、あるんですか?」
 
「ええ。先ほど、各選考ステップの数値を可視化した『採用KPI』についてお話ししましたよね。この数字を管理し、泥臭く改善していくことも僕たちの重要な役割です。幸い、数値自体は採用管理システム(ATS)から抽出できます。大切なのは、そこから課題を見つけ出すことです」
 
山路さんはホワイトボードの横に立ち、手元の資料をトントンと揃えた。
「選考が進む中で、どのフェーズの数値が良いのか、悪いのか。ボトルネックになっている原因はどこか。それを改善するために何をするべきか。

もし特定の部門に原因があるなら、その部門長に掛け合って行動を変えてもらう必要もあります。シンプルに言えば、採用における『PDCAを回す』ということです」
 
数字の管理まで、全部僕の役割なのか……。
重くのしかかるプレッシャーの中で、僕はふと湧いた純粋な疑問を投げかけてみた。
 
「あの、山路さん。数字を可視化して良し悪しを判断するにしても、そもそも『基準』がないと迷いませんか? 早期離職のように、30%以上が辞めていくのはさすがに異常だと分かりますが……。
書類選考の通過率や、面接の辞退率って、どれくらいの数字が適切なんですか?基準はあるんですか?」
 
「素晴らしい着眼点です」
 
山路さんは嬉しそうに頷き、ペンを走らせた。
「おっしゃる通り、判断のための『目標値』が必要です。その設定方法はいくつかありますが、まずは『今期と過去数年の実績データを振り返る』ことからスタートします。たとえば、今期の採用歩留まり(通過率・辞退率)のまま来期を迎えたとしたら、目標の50名は達成できるでしょうか?」
 
「いえ……今期の20名すら未達で終わるのが確定しているのに、来期そのままで倍以上の目標なんて、絶対に無理です」
 
「そうですよね。だからこそ、どの指標の数や率をどこまで高めるべきか、あるいは辞退率をどこまで抑え込むべきかを設計するんです。その際は、同業界や異業界でも同規模の企業、あるいは選考でよくバッティングする企業を『ベンチマーク(基準)』として参考にすると良いでしょう」
 
そこで山路さんは一度言葉を区切り、悪戯っぽく微笑んだ。
「そして最後は、あくまで『現実的な範囲』で目標値を決定します。ここで言う現実的とは、全力で頑張れば手が届く数字、という意味です。『応募数1万件、選考辞退率0%』みたいな、夢物語の設計書を作っても意味がありませんからね」
 
問題が山積みだということは痛いほど分かっていたが、それ以上に、やるべきことも山積みだ。僕は小さくため息を漏らした。
「やるべきことが、本当に山積みですね……」
 
僕の肩の落ち具合を見て、山路さんは声を立てて笑った。
「ははは、そうですね。ですが、安心してください。実は『採用CX(候補者体験)』への取り組みは、結果的にこの採用KPIの数値を底上げすることに直結しているんです。だからこそ、CXに向き合うことが、一見遠回りに見えて一番の近道なんですよ」
 
山路さんは僕の目をまっすぐに見つめた。
「KPIの管理は、プロジェクトが健康に進んでいるかをチェックする『定期健診』のようなものだと捉えてみてください。そう思えば、少しは気が楽になりませんか?」
 
「定期健診、ですか……」
 
その言葉に、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。暗闇の中で、次に足を出すべき場所がぼんやりと見えてくる。「なるほど。それなら、僕が目先やるべきファーストステップは――採用KPIの目標設定、ですね」
 
目先やることも決まり、予定を1時間もオーバーした山路さんとの打ち合わせを終えた。

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