リスボン(ポルトガル)の雑記|海外ひとり旅
サントリーニからアテネを経由しリスボンへ。
機内で隣の女性と少し話をした。語学に興味があるという彼女は、私が機内でブログを書いているのを見て、その文字が気になったようだ。
アテネの地下鉄でギリシャ文字の読み方を確認していた身としては、知らない文字が気になる気持ちは分かる。日本語を知らない人からはどのように見えるんだろう。ひらがなを最初に学んだとして、カタカナと簡単な漢字(一とか人とか)は見分けがつかず、難易度が高い気がする。
ギリシャ人の彼女は日本に行ってみたいとのことだったので、今は円安だから来やすいよと伝えておいた。ヨーロッパの人と話すと、ユーロに対して円安であることを知らず、未だに日本は物価が高いと思っている人が多い印象だった。
リスボンの空港では、飛行機を降りる手前で一人ずつパスポートチェックをされるという初めての経験をする。長いこと待ち、順番が来ると1分ほどくまなくチェックされ通ることができたが、横で中東系の乗客が待機しているのを見ると、イラン攻撃の影響で彼らは一層厳しくチェックされているのかな、などと憶測してしまう。
空港から地下鉄に乗りホステルへ向かう。地下鉄の雰囲気は、他のヨーロッパの国ではなくサンパウロに似ている。またアフリカ系の人が多い。地元の人の会話を聞くと、ブラジルポルトガル語とは発音が少し違う気がする。つまり何も聞き取れない(ただブラジルと違い英語は通じる)。
キリスト教を日本に広め、ブラジルを植民地としたポルトガルは、私の最近の興味関心に深く関わる国であるため、今回の世界一周旅行先として優先的に決めた。
ホステルの最寄りIntendente駅を降りると、石畳と坂道とタイル張りの建物が現れ、これぞリスボン!の景色にテンションが高まる。
坂道と階段の洗礼を受けながらホステルに着くと、スタッフから周辺の地図を渡され、お勧めスポットやレストラン、イベントなどの説明を受ける。この地図を元にポルトガル4泊5日の過ごし方を考えた。
3日間のリスボン観光と日帰りのシントラ観光に分けてnoteに記録を残しておく。


リスボン大聖堂
まず向かったのは、リスボンで一番古い歴史を持つアルファマ地区にあるリスボン大聖堂。
ポルトガルとスペインのあるイベリア半島は、8世紀からイスラムのウマイヤ朝に支配されていたが、カトリック派閥がイスラム勢を排除するレコンキスタ運動が始まり、12世紀にアフォンソ1世がポルトガルを建国。1147年にアフォンソ1世がリスボンを奪還し、この大聖堂の建築を命じたという古さだ。
外観は建築当時のロマネスク様式(石造りで窓が小さい堅牢な造り)だが、その後増築を繰り返され、1755年に起こったリスボン大地震(この地震でリスボンはほぼ壊滅した)をも耐え抜き、今の形になっている。
順路は建設当時からあったと言われるバラ窓から始まり、上から祭壇を見下ろせ、シンプルながら重厚だ。
宝物館のようなものも併設されており、リスボンの守護神・聖アントニオにまつわる遺物などの展示も興味深かった。


サン・ロッケ教会
リスボンのバイロ・アルト地区にあるサン・ロッケ教会は、日本の天正遣欧使節団がリスボンに立ち寄った際、宿泊場所になった教会ということで見に行った。
カトリックのイエズス会がパリで設立されたのが1534年。その後ローマ教皇の認可を受け、ザビエルらが世界への布教を始める。彼らはポルトガルでの拠点として小さな礼拝堂を受け取り、1568年頃から大きな教会に作り替え、その後も増改築を繰り返し、今のサン・ロッケ教会になっている。
日本のキリシタン大名の命を受け伊東マンショらがこの教会に来たのが1584年で、イエズス会設立のたった50年後だ。移動も通信も発達していない時代なのに、カトリックの布教範囲とスピードってすごい。
教会内部は非常に豪華で見ごたえ十分だった。主祭壇には日本のキリシタン聖人の絵が飾られているそうで(見た時は知らなかった)、日本と繋がりが深い教会らしい。
博物館が隣接しており、そこにキリスト教を布教し、また権威づけるための像や絵画や宝物などが展示されている。
プロテスタントに対抗してか、とにかく民衆に対し、具体的に信仰の対象になるものや、分かりやすいビジュアルで理解を深めようとしていたのだろうか…と思いながら興味深く見学した。



ジェロニモス修道院
アルファマ地区から20分ほどバスに乗るとベレン地区に着く。この地区は15~16世紀の大航海時代、世界の頂点だったポルトガルの底力と気合を感じる場所で、世界遺産にもなっている。
ジェロニモス修道院はマヌエル様式(大航海時代にポルトガルで流行したニッチな建築様式で、船や海に関する装飾が特徴)の最高峰と言われており、インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な富を元手に築かれたとか。
そもそも大航海時代は、オスマン帝国によりコショウの産地である東方交易が困難になったことから、別のルートを求めたことが動機ということだが、こんなすごい建物が建つほどコショウは高値が付いたのか…と、世界史で習ったはずの内容に驚く。
中庭を囲む回廊はパッと見シンプルに見えるが、じっくり見るとゴテゴテのマヌエル装飾で、細部まで丁寧に作られている。
一つとして同じ模様は無いのでは?と、柱同士を見比べたり、お気に入りの模様を探したりして、ゆっくり歩いた。


ベレンの塔
ベレンの塔は、リスボンを流れるテージョ川の船の出入りを監視する要塞だった。工事中のため内部には入れなかったが、要塞という割にはマヌエル様式の装飾がかわいらしい建物だった。

発見のモニュメント
発見のモニュメントはちょっと感動してしまった。まずその存在感、躍動感に心つかまれる。大航海時代の33人のポルトガル偉人の像が、それぞれの職業の特徴を持ち同じ方向を見つめている姿は大迫力だ。
この像は1940年の国際博覧会で最初に制作された(後に強化素材で再度制作されている)のだが、当時の首相であり独裁者であったサラザールの懐古主義が反映されているという。
輝かしいポルトガル栄光時代から数百年、ポルトガルは世界の中で再び存在感を持ったことはない。栄枯盛衰を感じた。



4月25日橋、クリスト=レイ像
テージョ川に面したコメルシオ広場で一休みしていると、川を隔てた向こうにキリスト像が見える。
1か月前、リオデジャネイロでコルコバードのキリスト像を見に行った時に『ポルトガルでもこのキリスト像に触発されてキリスト像が作られた』という説明を見ていた。
これはぜひとも登らなければと思い、地下鉄とバスでクリスト=レイ像に向かった。

バスで4月25日橋という赤い鉄橋を渡る。これは建設当時、首相で独裁者のサラザールの名にちなみサラザール橋と呼ばれていたが、1974年4月25日のカーネーション革命(サラザール含む48年間の独裁体制から民主化への無血改革)により、4月25日橋という名前に変わったそうだ。

そして到着したクリスト=レイ像は、正直残念な体験だった。
またもや出てくるサラザールの命で作られたその像は、下の塔内部のエレベーターに乗って展望デッキに登り間近に見ることが出来るのだが、エレベーターが1基しかなく、強風吹きしく寒い外で50分近く並ばされた。
やっと上がると、展望デッキからの景色は確かに美しいが、風が強すぎて凍えそうだ。
クリスト=レイ像はリオのキリストと比べ、疲れているようにも見えた(私が疲れていたのか)。5分ほどの滞在でそそくさと降り、時間食ったなァ…という感想だった。



サラザールは、ハリー・ポッターに出てくる悪役『サラザール・スリザリン』のモデルだそうだが、ポルトガルの国力を押し下げた(と言われる)全体主義や植民地政策などの悪い評価の一方、恐慌下のポルトガル財政立て直しの肯定的な評価もあるそうだ。
私はリスボンに来るまで彼のことを全く知らなかったのだが、少し観光するだけで彼の様々な影響を感じることとなった。
リスボンでの食事
ポルトガルは食事が美味しいと聞いたので、ホステルのスタッフに推された2店舗に行ってみた。
一つはCova fundaというレストランで、ポルトガル名物の鱈料理を注文した。干し鱈を柔らかく戻してニンニク、塩、オリーブオイルで焼いたもので、付け合わせがブロッコリー1房、小ぶりのジャガイモ7個、玉ねぎと、ハーフサイズと思えないボリュームだ。鱈の香りが香ばしく、薄目の味付けもとても口に合ったのだが、かなり残してしまったのが心残りだ。

もう一つは、今までで一番美味しいシーフードが食べられるよとお勧めされたCervejaria Ramioという店。
大人気の店で、待合室で40分ほど待っただろうか。こんな店に1人で来る客はおらず、皆楽しそうにおしゃべりしながら待っている中、私は呼び出しを気にしつつちょっと肩身が狭かった(まだ一人旅の鍛錬が足りない)。
順番が来て、生牡蠣とキャビアと生ハムの盛り合わせ、エビのアヒージョを注文。ワインはボトルのみなので妥協のビール。
このエビのアヒージョがすごかった。
一口目で頬を思いきりビンタされたような衝撃を受け味蕾が開く(?)。しょっぱすぎないギリギリの味付けで、エビ味噌とぷりぷりの身と大量のニンニクをパンに乗せて食べると、濃い香りが口いっぱいに広がる。
アテネで食べたムサカの感動を軽く超えてきた。45ユーロ≒8300円と高額だったが、大当たりの店だった。

ファド
ホステルのファドツアーというものがあり、ホステルで軽食とポルトガルワインを楽しんだ後、ファドレストランへ歩いていった。ファドのステージは21時頃から24時頃までと遅い時間に行われる。
レストランでは女子3人でサングリアを頼み、トルコ人とイギリス人がビールで盛り上がり、隣のアメリカ人男子2人はマティーニで苦い顔をしている(彼らは19歳で、ボルトガルでは飲酒OKだがアメリカではNGのお年頃だ)。色んな国の人と軽い交流が出来るのはホステルの良さだ。
ファドは、ギターの男性2人と女性1人のトリオで始まった。哀愁を帯びたしっとりした女性の歌にみな耳を傾ける。ギターはフラメンコやボサノヴァが混じったような音色に感じた。
次は男性の内1人が歌い上げるのだが、彼が美しい声の持ち主で、こぶしが効いた聴かせる歌唱で店内が盛り上がる。75歳と言っていたが、力強く浪々と歌い上げる姿はその年齢に見えない。
歌は基本的に短調だったが、最後はみんなで手拍子とコール&レスポンスするノリの良い曲で締まった。
長い夜にお酒と共に楽しみたい音楽だった。

リスボンは、坂道と階段が苦でなければ街歩きをお勧めしたい。
ちょっと入るとかわいい色のタイルの家が見えたり、テージョ川を展望できる高台がたくさんあり、天気や時間帯で色んな顔を見せてくれる、素敵な街だった。
次回はシントラ観光と、ユーラシア大陸最西端のロカ岬について書く。
