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『ビニール傘』 岸政彦

俺は水商売の女にわざと髪を黒くさせるのが逆に苦手で、たまにガールズバーや場末のスナックに飲みにいっても、なんとなくいちばん派手でチャラい感じのキャラの女とばかり喋る。

黒髪の水商売の女性は、男性にどんな想像を掻き立てるのか。黒髪の女性に水商売の仕事をしてほしくない、そうであってほしくない、自分の家族でもなんでもないのに、偉そうに、どれくらい高い所からいってるんだ、とうんざりする。

女性の黒髪に清楚を求める男性は少なくなくて、清楚とは見た目のことだけなのだろうか。「根性ババ色」でも、見た目が清楚なら良いらしい。実際にそういっている男性たちを多く知っている。

「清楚系が好き」という男性を、私は弱いと感じるし、男性優位としての意見だと思わずにはいられない。思ってしまったことは自由だから、私もどう思おうと自然なことだ。褒められている対象や良いとされているものを、疑うのは私の性分だ。

私は清楚を売りにする女性を信用しない。それと、かわいいを演出する女性も嫌いだ。それらを天然で片付けることもしない。かわいいは、精々中学までで終わりだ。

だから、親たちは自分の子供たちを、「かわいい、かわいい」と心からたくさん伝えるべきだ。大人になっても欲しがり屋にならせないために、大人が大人ではないこの世の中で、言い訳ばかりの、嘆かわしい大人が増えないように。

元来、男性が女性を選んでいると思っている節があるが、実際は女性が男性を選んでいる。動物たちの世界がそうであるように。オスのダチョウは精一杯踊りながら、オスの孔雀はあの煌びやかな模様を見せびらかせながら、メスに求愛をする。お眼鏡に適うか否かを不安視するのは、男性側である。女性に選んでもらって、子供を産んでいただくわけだから。


ふと、中学生のときの最初の彼女を思い出す。それまではクラスのなかの生意気な女子だったやつが、デートのときにふたりきりになるととつぜん甘えてきて、俺は気持ち悪くなってファミレスにそいつを置き去りにしてひとりで家に帰ってしまった。
それ以来、何人かの女と付き合ってきたけど、いまはひとりで暮らしている。

付き合う前と付き合った後、婚前と婚後を如実に表している。付き合った後も、生意気なままでいてほしかったのか、彼女の甘え方に問題があったのか。彼女を置き去りにして、自分を守ったことが、良かったことなのかどうかは、後になってから知る。

性別やジェンダーに関わらず、相手にこうであってほしい、という自分よがりな理想や願いはやめにしないと、同じことばかりを繰り返す。面倒になったら、伝える選択を恐れ、またコンビニに彼女を置き去りにするのだろう。


そうか。そうやな。しゃあないな。こうやって、特に何のドラマもなく、こいつとも別れることになるんだなと思った。最初にどうやって出会ったのかもよく覚えてない。どれくらい付き合ってるんだっけ。いや、そもそも、俺はこいつと付き合ってるんだろうか。彼女は傘を持ってないほうの手で、俺の手を握ってきた。お互いそんなに、相手の顔や性格が好きというわけでもなく、ただなんとなく付き合うことになって、短期間だが一緒に暮らしたこともあったが、俺はこいつがいなくなっても何も変わらないだろうなと思った。付き合うときにもたいしたきっかけもなかったし、別れるときもなにごともなく別れていくんだろう。

正に、私の夫がいいそうな台詞だ。「変わったら俺じゃなくなる」ことが空恐ろしく、変化を嫌う。引用文のように、誰もがこれくらいの気持ちで付き合っていけたら、安易には傷つかないのかもしれない。

ぎゃーてー、ぎゃーてー(羯諦、羯諦)
はーらーぎゃーてー(波羅羯諦)
はらそーぎゃーてー(波羅僧羯諦)
ほーじーそわかー(菩提娑婆訶)
はんにゃーしんぎょう(般若心経)


和歌山の片隅の、海に面した小さな町にある実家に帰ってしばらくはのんびりするつもりだった。でも田舎だとこういう話はすぐに伝わる。あそこの長女、帰ってきたらしいで。東町の美由紀が帰ってきたんやて、知ってた?あの、川辺高のときに橘町の和也と付き合ってた女やろ?ちゃうちゃう、それはあいつや、美希や。美由紀っていうたら誰や。知らんなあ。あいつやろ、四十二号線のダイソーでバイトしとったやんか。あーあいつか、知ってる知ってる。そうか、帰ってきてるんか。たぶんこんな感じで、あっという間に広がっていく。誰かが携帯の画面を親指でなぞるたびに、どうでもいいことがどうでもいいひとたちに流れていく。

質的調査を得意とする、社会学者だけあって、どのページを読んでいても、実に自分のことであったり、こういうことあるよな、と実証してくれる。地元での噂が自分の耳にも届いて、また町を出る。


俺たちが暮らしているのはコンビニとドンキとパチンコと一皿二貫で九十円の格安の回転寿司でできた世界で、そういうところで俺たちは百円二百円の金をちびちびと使う。

だいたい大阪の町はどこに行っても似ている。私が住んでいるところが、正に、コンビニも、ドンキも、パチンコ屋も、回転寿司も近くにあって、そこに行けば完結できる暮らしだ。


最初は親切に仕事を教えてくれた優しい彼だったが、合鍵を渡したあたりから急に態度が変わり、無口に、ぶっきらぼうになっていった。彼は些細なことで怒るようになり、私は一緒にいるあいだずっと気を使っていた。なるべく怒らせないように、部屋に置きっぱなしになっている彼の下着やジャージを洗濯したり、ご飯をつくったりして、身の回りの世話をするようにしていたが、世話をすればするほどどんどん彼が不機嫌になっていって、私はどうしたらいいかわからなかった。まるで過保護な母親の世話になりながら、そのことで不満をつのらせ、でも自分ひとりで生きていくこともできずに自己嫌悪でいっぱいになっている、小さな男の子みたいだった。
私はたぶん、母親になっていたんだろうと思う。怒らせないように世話をすればするほど、彼は私と自分自身に対する嫌悪感を強く抱くようになっていった。

自分のことは自分でする。やってもらったら思いやりをもってお返しする。そして何よりも、彼女たち、妻たち、やってやったらあかんのや。


そんなときに彼と先生が抱き合ってるのを偶然見た。まず思ったのは、歳が倍ぐらい違うのに恋愛とか性的なこととかができるんだ、ということだった。確かに見た目も若くてすごい美人だったけど、二十歳そこそこの男が、四十過ぎた女のひととあんなことができるんだ。反射的に無言で店を飛び出したから、見てしまったことはバレなかったと思う。家へ帰る途中でだんだんと、くだらない男だったけど私は彼のことが本当に好きで、その彼から裏切られたんだなということがわかってきた。途中で雨が降ってきたので、そこらへんにあったコンビニに入って五百円のビニール傘を買った。透明な傘に雨がぽつぽつと当たり、夜の街の灯りがにじんでいた。

人は人が見えているはずなのに、まるで見えていない。悲しみや苦しみや憎しみの雨が降っているのに、それらを無視する。たった今、目の前にいるのに。

ビニール傘は透明だ。

#ビニール傘
#岸政彦
#社会学

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