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わたしと社会の欠陥を、武器にする。

生きていると、
人生は時々面白いギフトをくれる


今回話す、このギフトが今の私の
ビジネスというか、
働く思考の基盤になっています。



時をぐぐっと遡ること、2017年
ぐわん、ぐわん、ぐわん。(おや?)


私は当時、
世の中の黒を集めたようなブラック会社で
超絶長時間労働をしていた。


すごくすごく楽しかったんですが
体が思うように動かなくって
半分職場、半分フリーランス
そんな感じの働き方をしてた時期



交通機関に乗れず、
毎月15-20万をタクシー代に溶かしていた
そんな頃でもあります。


今思えば、もっと都心に
引っ越してもよかったのに
なんて思ったりもするけれど、
そこに思考の時間を割けなかったんだと思う。


当時、朝着る服選ぶのに
頭を使うのがめんどくさくて、
7着同じ服用意して着てたくらいには
思考は追い詰められていた。
そう、追い詰められジョブズ(黙れ)



半分職場、半分フリーランスの形になって、
仕事で知り合った方や、
知り合いの紹介でありがたいことに
仕事を安定してもらえていましたが



定期代の15-20倍の
毎月15-20万のタクシー代は
当たり前に考えて、
私の貯金をすぐに溶かした。


ちょうどこの頃
「人に会いたくない」
「人に会いたい」


多分、薬の副作用みたいなものもあり、
そんな感じで感情が振り子のよう。
体調も壊し、
お金が入ってもそのまま抜けていき、
恋愛はどこまでもインスタントな関係。



自分のことを完全に
「だめな奴」と思いながらも
これは何かに繋がる
そんな期待も抱いてました。
(情緒が迷子ですね…)



毎日たくさんのことしてたのに
なんかしたい

そんな感情が湧き出てきた。


そんな風に思った時、
東日本大震災の時に、割れた家のガラスで
アクセサリー作り、
売り上げを募金するという事を
やってたのを思い出しました。


よし、もう一度とりあえずやろう。


ブランド名はTurn
向きを変える、循環、変わる
いらないものも、かけがえのないものになる
そんな意味を込めて


怪我はしないように、
でも割れたガラスの質感は残るように
周りの欠けた部分をレジンで
コーティングした



綺麗なものが好きだ。
けれど、整った綺麗さよりも
泥臭い綺麗さが好き。


私も、こんな風になれたらいいなと思い
商品を自分に投影させて
ひたすら手を動かしてたのを覚えてます。



完璧独学だし、今思えば、
お恥ずかしい出来栄えである。



でも、想いはあった。
むしろ想いしかなかった。


この頃の自分の状況を
大手noterの林さんの言葉を使って言えば
私がやったのは、デザインの追求じゃない。

「社会から捨てられたゴミ」と
「新しい価値」の間に、
情緒的な『橋』を架けていたのだと思います。


作ったものを見せた時、
興味を見せてくれた人のみに
説明をした。


当時の日本はまだまだ、
規格や枠から
外れてしまったものに対して
あまりにも冷たかったから

興味を持ってくれる人だけに
時間を使おう。と
そう決めていた。



なんでこれを作ったのか?
なぜこの視点が私たちに必要なのか?
どんな想いで作ったのか?


営業が苦手なので、
ぽつりぽつりと、
句読点を置くように、
商品の説明ではなく
商品を作った想い
友達、知り合いに
説明していたのを覚えてる。


「FacebookやInstagramに
投稿してみたら?」

友達に言われて、
そうか。と思い投稿してみた。


その投稿に、たくさんの人が
コメントといいねをしてくれた。


そのいいねとコメントや、
撮ってもらった商品のビジュアルもあって、
当時、池袋の無印で
イベントの部署を担当してた方から
連絡をいただけた。


ちょうどその頃
回収した服を染め直して再販する
ReMUJIの原型になる活動が
無印良品で始まったこともあり
追い風に乗れたことも大きかったのだと思う。


担当の方にも、

商品の機能やデザインの話をしないで、
想いの話をする人はなかなかいないので

朧げの記憶だけど

なんて微笑みながら褒め言葉のような
そうでもないような、
でもそんな言葉をいただけた。


スペックや効率を重視する
「真ん中の世界」が主流、
でも隅のほうにいる私の
「不器用なまなざし」が、
希少価値のあるものに見えたのかな。

なんて思う。



当日は商品販売と
ワークショップを行った


今、冷静に考えてみても
6ヶ月前には存在しないプロダクト。

素人で、無名の私が、
ワークショップを行い
商品販売するなんて
全く持って意味不明なのですが、

私がもし、感情を使って橋を架けてなかったら
こんなことにはなっていない
そんな気はしています。



2019年、ロンドンへの留学を機に
一旦全てのキャリアをストップしたので、
このブランドは幻になりました。


でも、私がやってることは
何一つ変わっていないな、と。

私が売っていたのは
アクセサリーという「モノ」ではなく、
絶望を納得感へと変換する
「プロセス」そのもの。



今はコンサル、映像、講座、
雑談という名詞に変わったけれど、
差し出してるのはいつだって
「私というモデルケース」。



情報をただの無機質に
渡すのではなく、
「生っぽい感情」という
ツールを乗せて届ける。


手法が変わっても、
その構造は、いつだって
同じなのです。


多くの人が「欠陥を直す」という
コストの高い作業をしようと、
よいしょって試みると思うのですが、
光の当てる角度を変えてみる。

これが人生の
風向きを変えてくれることが
往々にしてある。


傷跡は、隠すべきものではなく、
光を複雑に反射させるための、
あなただけの武器になるのだから。




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