支那事変一周年1938年7月7日①
【第1回・イギリス編】
「蒋介石に同情するも、調停はせず」慎重すぎる外交
◆ 序章:一周年の紙面から、世界のまなざしを読む
1938年7月7日付の東京朝日新聞には、少し異質な特集が組まれていた。
見出しに躍るのは「事変一周年」。満洲事変ではない。
前年の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争(当時の呼称は「支那事変」)から1年。その節目に日本の新聞は世界各国の「対日論調」を大きく報じた。
登場するのは、英・米・独・仏・伊の5ヵ国。
今回はその中からイギリスの動向を取り上げた特電記事を読み解く。
◆ 蒋介石には“精神的同情”、でも介入は「時期尚早」
記事はロンドンからの特電で、見出しにはこうある:
断末魔の蒋に未練
首鼠両端の老獪振り
言い回しは辛辣だが、これはむしろ「英国の姿勢」を皮肉った見出しだ。
本文では、英国政府の二面性を次のように描いている:
蒋介石に対し「精神的同情」を寄せる。
しかし日中調停への積極関与はしない。
なぜなら、調停に失敗すればチェンバレン政権が揺らぐから。
英国は「時機が熟せば」調停に乗り出す用意はあるが、「今はその時機に非ず」と慎重。日中どちらに対しても深入りは避けつつ、将来の影響力は手放さない。そんな老獪なバランス外交が透けて見える。
◆ 英国が恐れていたのは、「日本の強さ」ではなく「持久力の限界」
この特電では、もう一つ興味深い視点が示されている。
それは「日本の経済力に対する認識」だ。
日本の経済力は予想以上に強固だが、
この状態を継続すれば、いずれ限界点に達する。
つまり英国はこう考えていた:
「いずれ日本の戦争遂行能力には限界が来る。
だから蒋介石を今、見放すわけにはいかない。」
一方で、蒋介石に大規模な経済援助をする気配はなく、あくまで“見殺しにはしない”程度。その距離感が、英国的と言えば英国的かもしれない。
◆ 戦争は「アジアの話」ではなかった
この一周年紙面は、今読むと驚くほど国際的だ。
当時の日本は孤立を深めつつあったが、それでも新聞紙面では、
「世界は我々の戦いをどう見ているのか」
という視点がしっかりと示されていた。
これは戦争が決して“アジアのローカル問題”ではなかったことを如実に物語っている。ロンドンも、ニューヨークも、ベルリンも、遠くからじっとこの戦争の帰趨を見つめていたのだ。
◆ 次回予告
次回はアメリカの対日論調を取り上げる。
記事の中では「英米は一心同体」と書かれていた。
当時の日本は、まだそれに気づいていなかったかもしれない。
