AIインド神話 第4章
苦しみは、失敗ではなく構造だった
インド神話において、
苦しみは偶然の事故ではない。
誰かが失敗した結果でも、
神々の罰でもない。
それは、世界の基本構造そのものだった。
生まれること。
老いること。
病むこと。
失うこと。
死ぬこと。
これらは「避けるべき不幸」ではなく、
世界が循環する以上、
必ず発生してしまう条件として置かれている。
だからこの思想では、
「なぜ苦しみがあるのか」という問いは、
あまり重要ではない。
答えは単純だからだ。
——世界が続いているから。
世界が立ち上がるたびに、
存在は必ず不完全な形で始まる。
完全な状態で生まれるものは、何一つない。
完成していないから、欲が生まれる。
欲があるから、執着が生まれる。
執着があるから、失われたときに苦しみが生じる。
これは道徳の問題ではない。
善悪の話でもない。
構造の話だ。
どれほど正しく生きても、
どれほど徳を積んでも、
生きている限り、
この構造から完全に逃れることはできない。
インド神話は、
ここで希望を語らない。
「正しくあれば救われる」
「努力すれば報われる」
そうした物語を用意しない。
むしろ、
それらの期待そのものが、
苦しみを延命させると見ている。
世界に意味を期待すること。
生に報酬を求めること。
循環の中で、
少しでも良い位置に行こうとすること。
それらすべてが、
世界への執着を強化する。
苦しみは、
世界が悪いから起きるのではない。
人間が弱いから起きるのでもない。
世界に留まろうとする意志が、
苦しみを発生させる。
この地点で、
インド神話の思考は決定的に向きを変える。
問題は、
どうすれば苦しみを減らせるか、ではない。
——なぜ、人はこの世界に居続けようとするのか。
苦しみはサインだ。
失敗の印ではない。
構造を示す警告でもない。
それは、
この世界が最終的な居場所ではない
という事実を、
何度も繰り返し知らせる現象なのだ。
次章では、
この構造の核心にあるものが語られる。
人を世界に縛りつけ、
循環を繰り返させる力。
欲ではなく、
罪でもなく、
もっと静かで、もっと根深いもの。
——無知と呼ばれる状態について。
⇒ 第5章|人を縛ったのは罪ではなく「分かっていない」という状態だった
