湘南ですか?そーなんですか
…というベタなオヤジ表現はさておいて。
三崎は湘南でしょうか?
今の感覚で言えば、たぶん違う。
少なくとも一般的な「湘南」のイメージ
――茅ヶ崎、鎌倉、江ノ島あたり――とは少し距離がある。
けれど、「そう呼ばれていた時代」は確かにあったようです。
その根拠が、この1冊。

昭和13年(1938年)、三崎尋常高等小学校が発行した
『漁港の教育(郷土に立脚せる学校経営)』。
「湘南」の説明は後にして、まずこの表紙の右上に注目します。
興味深い文字が並んでいます。
「昭和十三年 東京灣要塞司令部 地乙第一一一號 許可濟」
つまりこの本は、軍部の許可を得て刊行された出版物です。
加えて、
「神奈川縣指定研究 第二十一輯」
とも記されています。
単なる学校の記念冊子ではない。県の指定研究であり、かつ軍部検閲を経た、公式性の高い刊行物だったわけです。
そう考えると、―― 以下に説明しますが —— 「三崎は湘南休養地の一」と記された一文も、単なる教師の私見ではなく、当時の公的認識の一端だった可能性が高いということになります。
では本題の問い「三崎は湘南ですか?」の答えを見ましょう。
この本の16ページ5行目に、こうあります。
「三崎は湘南休養地の一として、鎌倉、逗子、葉山と共に、その位置を三浦南端の一角に占めている。」

はっきり「湘南休養地」と書いてあります。
昭和13年当時、三崎は「湘南ブランドの中」に位置づけられていたわけです。
この本は130ページを超える、かなり本格的な内容です。
地理、産業、郷土観、教育環境、漁港の実情、地域社会との関係。


ざっくり言えば、
当時の三崎は、活気ある漁港都市であり、教育の実験場でもあった
ということが様々な角度から記されています。
だからといって、
「よし、今も湘南だと言い切ろう」
…と単純に言えるのかどうかは分かりません。
時代によってブランドの境界は変わります。
地図よりも、人の認識の方が早く動く。
湘南という言葉の射程も、きっと変化してきたのでしょう。
正直言って「湘南」という言葉には、どこか上位ブランドの響きがあります。
私の中にも、無意識にそんな感覚がある気がします。
でも三崎は三崎で、明らかに特別な場所です。
相模湾と太平洋と東京湾を見渡せる町。
富士山と房総半島を望む町。
半島の先端という地理的な孤立と、海に開いた視界。
それだけで、十分に独特です。
湘南に含まれるかどうかよりも、
三崎という固有名が立っていることの方が面白い。
三崎小学校は1872年創立。
私が入学した頃は、ちょうど100周年記念誌が作られていました。
この『漁港の教育』は創立66年頃の発行。

社会科の副読本だったのか、記念誌だったのか。内容は明らかに大人向けなので、学校経営の成果報告的な意味合いもあったのかもしれません。
世代的には、おそらく父が学校から受け取った1冊。
押入れに残っていなければ、三崎が「湘南休養地」と明記されていた事実を、私が知ることもなかったでしょう。
湘南かどうか。
答えは、たぶん時代によって変わる。
でも昭和13年の三崎は、確かに
鎌倉や葉山と並んで、湘南の一角を占めていた。
それだけは、史料がはっきりそう語っています。
そして、史料は時々、
今とは違う町の横顔を見せてくれます。
