押入れタイムカプセル(010)
七十円十三銭 ─ 昭和15年に届いた「留守宅給与通知書」
戦時中の暮らしと聞くと空襲や灯火管制、防空壕などが思い浮かぶかもしれませんが、戦争は日々の家計や家族のやりくりにも深く関わっていました。
今回紹介するのは昭和15年(1940年)7月26日付で発行された「留守宅給与通知書」。戦地に出征していた兵士が銃後を守る家族のために送った給料の通知文です。明細ではないですが現在の給与明細のような…。
■「留守宅給与制度」とは?
戦時下において、徴兵された軍人たちは任務中でも一定の給与を受け取っていました。そのうちの一部は、家族のもとへ**「留守宅給与」として支給**される仕組みがありました。これは現在でいうところの「仕送り」や「生活補助」にあたる制度です。
受け取り人は、通常は妻や親などの家族。軍が直接振り込み、または現金書留のような形で支給し、その通知がこのような様式で届けられていたのです。
■届いた金額は「七拾圓拾参銭」
通知書の中央には、くっきりと「七拾圓拾参銭」と記されています。昭和15年当時の70円という金額は、現在の価値でざっくり数万円に相当します。東京市の小学校教員の月給が60〜70円前後だった時代ですから、家族が生きていくには欠かせない大切な金額でした。

下部の押印には「昭和15年7月26日」「福岡 三三八八三部隊(第十二師団司令部 経理部)」の表記があり、実際に戦地での軍務が進行中であったことがうかがえます。ハガキ大の簡易な紙1枚。現在の明細票のようなものではなく、罫線もないざらっとした紙に、ゴム印と手書きが混在する簡素な通知ですが、そこには戦地と家庭、国家と個人のつながりが凝縮されています。
■軍からの給料=「つながり」だった
この1枚の紙が伝えているのは仕送りの金額だけではありません。戦地にいる者が「無事である」証拠であり「今月も送れるぞ」という意思表示でもあったでしょう。今のように電話もSNSもない時代、給与通知や手紙は数少ない家族との橋渡しだったのです。
この通知書を受け取った家族はどんな思いで開封したのでしょうか。「今月もやりくりできる」という安心、あるいは「無事なのだろうか」という不安が入り交じっていたに違いありません。
■紙1枚に宿る暮らしの記憶
「押入れタイムカプセル」には、こうした何気ない紙片が数多く眠っています。その全てが誰かの生活の証しであり時代を超えた声でもあります。この「七拾圓拾参銭」の通知書もその1つ。金額以上に重たい意味を持って今に残されています。
【おまけ:昭和15年頃の物価目安】
白米(10kg):約6〜7円
味噌(1kg):1.2〜1.5円
たばこ(10本入り):15〜20銭
映画の入場料:35〜50銭
理髪料:50〜70銭
家賃(下宿・長屋):月10〜20円
※70円という金額は都市部の一般家庭の場合、家賃と食費をカバーしても余る水準であり、家族4人が1か月間きちんと生活できる程度の金額と考えられます。
■ そして裏面。そこにはもう1つの現実が…
この通知書には裏面もあります。事務手続きに関する注意書きです。
「六月二十日以前の日付で出された証書は、すでに返却処理されている場合があります」
「照会の際は、部隊名を必ずご記入ください」

そんな事務的な一文が並ぶだけの紙にも見えますが、そこに浮かび上がるのは大量の通知書が全国に送られ、確認や誤処理が日常的に起きていたであろう実態です。この1枚の紙が単なる記録ではなく、「運用されていた道具」だったことを静かに物語っています。
表面には出征兵士と家族をつなぐ“手紙”としての側面があり、裏面には制度と仕組みの網の目が見え隠れしている。まるで両面の役割をもつ硬貨のような1枚です。
