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開花新聞 1895 ー 通信と市井の記録⑦

※本作は明治期の新聞記事を基に構成したフィクションです。
 それに加えて後半では当時の広告について解説しています。

明治28年(1895年)5月。日清戦争が日本の勝利で終わり、下関条約が締結された直後。だが、三国干渉(露仏独)が突きつけられ、遼東半島を返還することになる日本政府。戦勝気分の裏で不満、困惑、そして次なる戦争への予兆が静かに芽吹いている時期。新聞では女工の待遇改善、庶民の暮らし、衛生問題などが日々報じられ、“兵の凱旋”と“市井の不穏”が奇妙に共存した時代の空気を感じて下さい。

●第7話「灯と声」

【登場人物】
小沢道之助:元陸軍伍長、帰還兵(30歳前後)
村野治:「開花新聞」記者(40代)
一橋弥一郎:夕刊売りの青年(19歳)
川村涼太:電信局見習い(17歳)
花江:「柚木家」の娘(17歳)

明治28年(1895年)5月17日(金)
開花町・開花新聞社と夜の交差点

――――――――――――――――――――――――――――――――

【午前・開花新聞社内の記者室】
木机に肘をつく村野記者。
壁には『講和の影/小特集』と原稿タイトルが墨書きされている。

村野(独白)
「書くとは掘ることだ。
埋められた何かを言葉で発掘する作業。土が深いほど筆は重くなる」

扉が開き小沢が通される。帽子を脱ぎ、無言で頭を下げる。

小沢「お忙しいところ、すみません」
村野「構いません。昨日の約束通り、お話を伺います。ただ、すべてを紙面にするとは限りません」
小沢「それでもいい。“声”にしたくて来ました」

村野がうなずき、手帳を開く。

小沢(ゆっくりと)「台湾に上陸したのは、春の始めでした。敵影は見えず、町には煙と静けさだけがあった。俺たちは“勝った者”として進んだはずでした。だけど…、町にはもう“人”がいなかったんです。残っていたのは、焼けた家と、動かぬ影と、それを知らぬ上官の号令だけだった」

村野がペンを止め、黙って頷く。

小沢「それでも帰ってきた時、“勝ってよかった”と笑って言えない俺がいました。だから、新聞に書いてほしいとは思わない。ただ、“知る人がいる”だけで、少し救われる気がするんです」
村野「その言葉は、きっと誰かを照らします」

【夕方・開花町の交差点】
弥一郎が新聞を売っている。手元の夕刊には小さな囲み記事が載っている。

《帰還兵、小沢道之助氏が語る「沈黙の戦後」》

涼太が電信局帰りに通りかかる。

涼太「これ、昨日の人の話ですよね」
弥一郎「ああ。読んだ人がいたって、それだけで違うからさ。今日の1枚、ちゃんと届けるよ」

そこへ花江が通りかかる。

花江「今日の紙、もらっていいですか?」

弥一郎が無言で手渡す。風に夕刊が少し揺れる。

花江(新聞を眺めながら)「書いてある言葉も、書かれなかった気持ちも…、読みたいと思える日がある。それが、今日だったのかもしれませんね」

3人がそれぞれ黙り、交差点の灯がともる。

──その日、開花町の空は少し霞んでいたが、灯は確かにともっていた。
誰かの声が、紙の上ではなく、人の間を通って届いていた。

【完】

※この物語は明治時代の新聞記事や社会状況をもとに構成されたフィクションです。史実との距離を保ちつつ、当時の暮らしの息遣いを描く試みです。

■《帰還兵、小沢道之助氏が語る「沈黙の戦後」》という記事について■
物語中の新聞記事《帰還兵、小沢道之助氏が語る「沈黙の戦後」》は架空のもので、実在の記録ではありません。明治28年当時、戦地に赴いた兵士が個人の内面や苦悩を新聞紙上で語ることはほとんどなく、特に「勝利の陰の沈黙」を取り上げるような報道はきわめて稀でした。本作では「もし、そんな声が紙面の片隅にでも届いていたら」という想像の元に書きました。
報道の歴史における“もしも”として…。

📰 この日の第一面トップ記事全文

🔹◎臺灣(=台湾) 星 峯子

内訌乎煽唆乎問ふを止めよ事体の如何を、他國の領
土を得るは鐡血に訴ふるも猶且つ難しとする所、樽
爼の間に得たるものは必ず涙を以て洗浄せざるべか
らず。
沛然たる大雨盆を覆して地却て固まり蓬々たる強風
空を拂ふて天地晴明、懐柔政策何ぞ要せむ蒙昧野蛮
の風土は鐡血を以て掃除するの勝れるに如かじ臺灣
の紛擾は我に此好機を與ふるもの希くば奮發一番此
暗黒世界を刷新せよ。

現代語訳◎台湾 星 峯子

内乱を煽るかどうかなどという議論はもうやめるべきだ。
その本質がどうであろうとも、他国の領土を手に入れるということは、
たとえ武力で訴えてもなお困難なことである。
戦争の交渉で得たものは必ず涙をもって清めなければならないだろう。

激しい大雨が盆を覆うように降りしきった後、大地は却って固まり、
蓬のように吹き荒れる強風が空を払って天地は晴れ渡った。
懐柔的な政策など、いったい必要だろうか。文明に至らぬ野蛮の地は武力によって掃き清める方が勝っているのではないか。

台湾の混乱は、我らにこの絶好の機会を与えているのだ。
願わくば、いまこそ奮い立ち、この暗黒の世界を一気に刷新せよ。


  • 日清戦争の講和(下関条約)締結は明治28年4月17日。その1ヶ月後の記事です。台湾割譲が国民的関心事になっており、『開花新聞』が台湾問題をいかに重視していたかが分かります。現代の価値観では極めて差別的・暴力的な論調で帝国主義的論説ですが、当時の新聞や言論空間ではこうした文章が一定数存在しました。

※この記事は1895(明治28)年5月17日付の新聞記事などを元に構成されています。

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※この物語は明治時代の新聞記事や社会状況をもとに構成されたフィクションです。史実との距離を保ちつつ、当時の暮らしの息遣いを描く試みです。

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