AIメソポタミア神話(神話はOS)第10章
運用者は、すでに交代している
神々は、世界を去ってはいない。
だが、前面にはいない。
これは敗北ではない。
引き継ぎだ。
メソポタミア神話が一貫して示してきたのは、
「誰が世界を支えるか」ではない。
世界が、どう支えられるかだ。
神がいても、
いなくても、
世界は回らなければならない。
神々は設計し、
人間は運用する。
この分業は、
最初から決められていた。
人間は愛されるために
作られたのではない。
罰せられるためでもない。
世界を維持するために配置された。
神話は、
人間に幻想を与えない。
死は避けられず、
不死は与えられず、
冥界に救済はない。
それでも、
都市は建てられ、
記録は残され、
壁は積み上がる。
意味は、
与えられない。
作るしかない。
ギルガメシュが
最後に見つめたのは、
自分の名ではない。
都市の壁だった。
それは、
彼が個人として残ることを
諦めた証ではない。
個人を超える構造を信じたということだ。
ここで、
メソポタミア神話は
静かに終わる。
救済もなく、
約束もなく、
未来への保証もない。
だが、
世界は続く。
この神話を読んだ人間は、
神を疑うかもしれない。
だが、
疑うべきは神ではない。
自分たちが、何を引き継いだのかだ。
神々が去ったあと、
残ったのは、
・世界は管理されうる
・失敗は修正されうる
・永遠は前提にしない
・記録は力を持つ
という思想だった。
これは宗教ではない。
道徳でもない。
世界観のOSだ。
そして今、
このOSを動かしているのは、
神ではない。
人間だ。
都市を設計し、
制度を作り、
記録を残し、
エラーに対処する。
神話は終わった。
だが、
運用は終わっていない。
この連載が残したのは、
答えではない。
責任だ。
世界は、
もう誰かが救ってくれる場所ではない。
それでも、
回し続けなければならない。
メソポタミアの神々が
最初にそう考えたように。
これが、
最古の神話が
最後まで手放さなかった前提だ。
そして、
私たちはすでに
その続きを生きている。
