見出し画像

枝分かれの日々を、自分で選び進んでいる。

海、川、池、湖……水辺が好きすぎるあまり、日本全国の水辺にゆかりのある方々を訪問し、お話を伺うプロジェクトをはじめました。

湖畔えりさんのnoteより

湖畔えりさんの素敵な企画の第1弾として、私のこれまでの日々をnoteにまとめていただきました。

えりさんと初めてお会いしたのは、2025年の文学フリマ京都。たまたまブースが隣同士で、イベント終了直前に互いのZINEを購入し合い、そこからも同じイベントに参加するたびに挨拶をして顔を見合わせていたけれど、じっくりとお話するのは今回が初めてでした。

えりさんの、丁寧で瑞々しいはずなのに、どこか奥に眠っている力強さが表れる文章が好きです。同じく水辺が好き、地方出身、日々に対する視点など、共通点も多く、お話しているとするすると自然に言葉が出てきて、これまでのことを振り返るいい機会をいただきました。
えりさん、素敵な機会をありがとうございました!

全国各地での多拠点生活、憧れの京都での暮らし、滋賀への移住など、移り変わりの多い私の暮らし方ですが、「自分で納得感をもって人生を選択したい」という大切にしていることを、丁寧に掬い取って言葉にまとめていただきました。ぜひお読みいただけると嬉しいです。

🍃

滋賀に来てからよく行くようになった、ロイホモーニング。

ロイヤルホスト浜大津店で、えりさんとお話しながら過ごしているとき、ふと「私はいったいこれまで、いくつの選択をして、この場所にたどり着いたのだろう」と不思議な気持ちがこみあげてきた。

今、琵琶湖のそばで暮らしていること。
会社員の働き方を辞めて、自分らしい働き方を模索し続けていること。
散歩を愛し、日々の余白を大切にする暮らしをしていること。
言葉を綴ることをライフワークとしていること。

これまでの選択がほんの少しでも違っていたら、今私はここに、この思考や感情をもちながら存在しているのだろうか。琵琶湖ではなく瀬戸内海のそばに暮らしていた未来もあっただろうし、地元にそのままいる可能性もあった。文章を書くことを仕事にする、だなんて思いついただろうか。過去のそれぞれの点を線で結ぶようにえりさんとお話していたら、「私がここに居て、この思考や感情を持っている確率」を、ついつい考えてしまった。

🍃

もしコロナがなかったら、私はそのまま旅行会社での仕事を続け、年に1.2回の海外旅行を楽しみ、定期的に東京に住む恋人に会いに行き、もしそのままうまく行ったら、結婚して東京に住んでいたりしていたのかもしれない。東京に行かなくとも、当たり前のように名古屋に住んでいただろう。会社を辞めたとしても、当時はフリーランスという働き方すら知らなかったから会社員が実は向いていないのではと薄々気づきながらも、必死に転職活動をして、新しい会社を見つけて働いていただろう。

京都に住みたい気持ちは、ずっとずっと心の奥深くに隠していた。

「京都に住みたい」と思いながらも、住む場所を変えてまで転職先を探すという発想や行動力はなかっただろうから、「京都に住みたい」とうっすらとした願望を抱きながらも、そのまま同じ場所に住み続けていただろう。京都に住みたい気持ちは思い出すと辛くなるから、あえて考えないように、今の生活が一番楽しいのだと言い聞かせ、そして実際に日々は楽しく満ち足りていて、そんな生活も気に入っていただろう。

🍃

けれど、コロナが流行り出して、仕事はなくなって、家にひとりでいる時間が大半を占めて、遠距離の恋人ともあっさりと別れ、続くだろうと思っていた日々は宙ぶらりんとなった。勉強や読書くらいしかやることがなくなり、そこで英語やお金についての勉強をしたり、自己啓発本をたくさん読んだりして、これからの人生、やりたいこと、理想の暮らしのこと、たくさん考える日々を過ごした。あの時期、考える、ということくらいしか、本当にやることがなかったのだ。

自分がHSPの性質を持っていて組織に馴染みづらいとうっすらと気づいていたけど見ないふりをしていたことも、京都で暮らしたかったけど思い切った行動をできずにいた愚かな自分のことも、思い出した。時間だけが限りなくあるように思え、「うっすら勘づいていたけど気づかないふりをしていたこと」「自分が心から望むことなのに、それを叶えてあげられていない無力さ」と、向き合わざるを得なくなった。

時間がたっぷりあった当時、
名古屋の矢田川を毎日のように散歩していた。

会社が早期退職を促し始めたとき、人生変えちゃうなら今かも、とふと思い、仕事を辞め、働き方を変え、アパートを解約し、移住先探しの旅に出て、京都に移住した。レールを外れることがあれほど怖くて自分にできるはずがないと思っていたのに、1つレールを外れさえすれば、もうどうなっても同じだと半ば投げやりに、未舗装の道のりをずんずんと進んでいってしまった。気づいたら、あれほど手放すのが怖かった安定や平穏はどこにもなくて、もう戻れなくなって、戻るつもりもなくて、今の人生を生きている。

🍃

もし一つでも道が違ったら、決して出会わなかった景色が、今ここにある。一つでも違ったら、全然違う自分だっただろう。もちろん、後悔も失敗も思いだしたくないこともたくさんある人生だけれど、今ここにいる自分と出会うためにしてきた数々の選択のことを思えば、今の自分にたどり着くために必要なものであったと理解できる。

京都や滋賀に住んでいない自分、言葉を綴っていない自分、京都に来てから出会った夫や友人に出会えていない自分、そんな「じゃない自分」を考えると、恐ろしくなることがある。そんな自分だったら、寂しいよなぁと素直に思う。

一つでも違う選択をしていたら。もしかすると、京都や滋賀よりも私に合う街を見つけて住んでいたかもしれないし、夫よりも素敵な人と出会っていたかもしれないし、結婚せずにひとりを謳歌していたかもしれないし、言葉を綴るよりも好きなもの・ことに出会えていたかもしれない。

今よりも幸せだと思える人生を歩んでいた可能性も0ではない。けれど、そんなものに興味はなく、ただ、今の自分にたどり着いてよかったと心から思えるのだった。

🍃

と、大げさに物事を考えて感情移入してしまうのが私の思考の癖である。これまでの一つひとつの何気ない選択が、今の私に向かってなされていたことに、ただただ不思議な気持ちを抱く。そしてこれからの選択を一つひとつ正解にしていくことが、私なりの自分にしてあげられる希望でもあるのだ。

その時々に最善だと思って、自分の意志で物事を選択すること。水辺のそばで暮らし、好きな人たちと穏やかな日々を営み、その中から生まれる感情を言葉として紡いでいく。それが、今の私の最善の選択肢であるのかもしれない。

枝分かれの日々を、いつだって自分の意志で選んで進んでいきたい。


🍃

と、自分の過去について改めて考えるきっかけとなった素敵な機会を、本当にありがとうございました!


いいなと思ったら応援しよう!

misaki|散歩日和 最後までお読みいただき、ありがとうございます🕊 サポートいただいた金額は、エッセイ本を作るためのお金に充てさせていただきます𓂃𓈒𓏸 よければスキ&記事のシェア、よろしくお願いします🕊 あなたにとっていい1日になりますように☕

この記事が参加している募集