【長編小説】 2085 : エデンの果て PART Ⅰ ⑶ 【連載】
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Muse - Hysteria
PART Ⅰ
Chapter 03
変わりなく、いつも通り生活をこなしていく毎日。ある日、俺は記事を一本仕上げた後、珍しく定時を過ぎたオフィスに残っていた。
ホログラムが照らす空間には、もう誰の気配もない。机の上には未送信の原稿が残り、推奨された最適な語彙が無機質に並んでいる。
この原稿を、俺は本当に書きたいのか? そんな疑問が浮かんだ瞬間、俺は端末を閉じて席を立った。まるで、その問いから逃げるように。
ビルを出ると、夜の街は静かだった。だが静かすぎるほど整ったその静けさに、息苦しさを感じるのは俺だけじゃないはずだ。照明は常に均一に明るく、空気は管理され、人の足音すら消え入りそうな通り。天気は曇り。予報通りだ。予報を外すことなど、もはやほとんどない。人工気象が完全にコントロールされているんだから。
なにかを考える余地なんてない。いや、考える余地しかなく、考えすぎてもうなにも浮かばないと言った方が正しいのかもしれない。
「周辺の騒音レベルは基準以下。安全なルートをガイドするよ」
アレーテがそう言った瞬間、俺の視界の右端に、青いラインが現れる。ガイドライン。安全と効率の象徴。犯罪予防のため、街中に設置された監視カメラの範囲内の道だけを示す。
だが今日は、それを無視した。
「経路を外れてる。ルートの再設定を行うよ」
「やめてくれ……」
「了解。安全性が基準以下になったらアラームが鳴るから引き返してね」
俺は軽く頷くだけに留めた。
高層ビルの合間を抜け、人気の少ない裏路地へと足を向ける。舗装の甘い古い道。たまにこうして、整備の行き届かない場所に立ち入ることで、自分がまだ人間であることを確認したくなる。
「その道は安全が確保されてないよ。引き——」
「大丈夫だから。ありがとうアレーテ。でもしばらく黙っていてくれないか」
俺はアレーテを静かにさせ、薄暗い路地裏をそのまま突き進んだ。数メートル進んだところで、一人の老人がしゃがみこんでいるのが見えた。
街灯に照らされることもなく、古びたジャケットに身を包み、なにかを弄っている。細かい電子部品か?
「……なにしてるんだ?」
気がつけば声をかけていた。
老人は顔を上げた。白く濁った瞳に、しかしどこか鋭さが宿っている。見た目の印象とは裏腹に、なにかを計算しているような、そんな視線。
「さぁね。お前は、なにをしてると思ったんだ?」
問い返されたことに一瞬、戸惑う。だが次の瞬間、老人の足元に転がる金属の塊が目に入った。
「それは、アンドロイド?」
今の時代ではまず見かけない、ボロボロだが、あの夜見た40年代に作られていたあのアンドロイドだ。どこか生々しい質感が残っている。動いてはいないが、完全に壊れているわけでもなさそうだった。
「……修理してるのか、それ」
老人は肩をすくめた。修理と呼べるほど綺麗な作業じゃないよ、というようなジェスチャーだった。
「生き返るかはわからん。けどな、こういう連中は、壊れてなお、人より人だったりするんだよ」
まるで意味のわからないことを言う。だが、その言葉にどこか引っかかりを覚えた。
俺の職業柄、物言う老人には注意すべきという訓練を受けていた。特にこうした未認可区域で接触する人物は、思想的にリスクがあるとされている。
だが、不思議と警戒心は湧かなかった。
「あの、失礼だけどお名前は?」
「名前なんざ、必要か? どのみち、お前が興味あるのは中身だろ」
そう言って、老人はアンドロイドの胸部パネルを開き、配線を指で弾いた。スパークがひとつ、暗闇に跳ねる。
「違うよ。あなたのお名前。俺は有岡レイジ。ゴンゾのジャーナリストなんだ」
「あぁ、なんだ。てっきりこいつのことかと。俺は澁谷暖だ。ジャーナリストがこんな老人になんの用だ?」
「こんな古い機械、なにに使うつもりなんだ?」
「古いって、ハッ、誰が決めたんだ?」
澁谷は笑った。だがその笑みは、どこか痛みを含んでいた。
この世界が抱えている正しさとは何か。その夜、俺は初めて正しさに疑問を持った人間と出会ったのかもしれない。
——澁谷と初めて顔を合わせてから数日が過ぎた。あの老人はただの奇人かと思っていたが、その言葉には確かな熱量があった。
彼は古いアンドロイドを静かに修理しながら、時折言葉を選んで語った。
「今の社会は完璧を求めすぎて、人間が人間であることを忘れてしまったんだ。真実も正解も、すべて完璧であることに焦点を当てて、現実から目を背けてる」
俺は澁谷の言葉を何度も頭の中で繰り返していた。俺はジャーナリスト。物事の本質を突き詰めて伝える仕事であるはずなのに、澁谷の視点の方がどこか正しいように思えた。
俺は取材の名目で、仕事として澁谷に会いに行くことにした。
出会った路地裏のすぐ近くに、澁谷の工房があった。
そこには、錆びつき、ほこりをかぶった古いアンドロイドが何体も並んでいる。
「これらは、俺が過去の名残として守っている。今のAIとは違い、感情を持つと言われた最後のモデルたちだ」
澁谷は元AI開発者・設計者の一人だった。さらに、2050年代から続く、現在のAI社会を設計したプロジェクトの初期メンバーでもあった。
だが数年後、途中でプロジェクトを離脱。理由は倫理的な懸念と感情の排除に対する反発。澁谷は、凄腕の技術者で、いわゆる"情動を持つAI"に執着してプロジェクトに着手していたが、当時の政策で封印された。
マイクロチップの埋め込みも頑なに拒否。現在は社会から半ば抹消された存在。AI管理社会では不安定因子として記録され、表向きは死亡扱いされている。
「こいつらが普及していたら、もっと感情的な世の中になったのにな」
澁谷は優しい手つきでアンドロイドをメンテナンスしだした。
俺はその姿を見つめながら、澁谷の手首に刻まれたタトゥーが目に入った。綺麗な円をZの文字が切り裂いているシンプルなデザインだ。
俺は聞いたことがある。反AI思想を掲げ、政府の管理システムに反抗する過激派組織。AIの危険性を身をもって体現するとの大義名分で、AIを利用した犯罪などを繰り返し"人間の自由"を主張している連中。
『ゼロコア』
メンバーは、マイクロチップを自らの手で摘出し、その傷の上からZのタトゥーを刻んでいる。まだ実在すら怪しまれていた頃から、俺たちジャーナリストの間では噂に上っていた。
「そのタトゥー——」
俺が聞こうとすると同時に澁谷は言った。
「レイジ、お前はジャーナリストなんだろう? ただの伝達じゃなくて、真実の物語を伝えろ」
澁谷のその言葉が胸に刺さった。この世界の真実とはなにか? そして、俺はなにを伝えなければならないのか? これからの俺の道が、少しだけ見えた気がした。
つづく
勝手にED主題歌
Vampire Weekend - White Sky
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