私的に縁を切っていた血縁と、物理的に縁を切った話
文学フリマ東京40の新刊「私的に縁を切っていた血縁と、物理的に縁を切った話」をnote用に転記した本文のみの記事になります。
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お買い上げのお礼に、書ききれなかった婆様の話を蛇足として書きました。
私的に縁を切っていた血縁と、物理的に縁を切った話
以下有料記事で公開。
はじめに
突然ですが、私的に縁を切っていた血縁と、物理的に縁を切った話をします。
私の家の事情が何重にも入り組んだ結果、家を出て、連絡手段を断ち、相手から連絡をされないように画策し、心情的にはもう縁を切っていたのですが、必要に迫られて物理的縁を切るに至りました。
端的に言うと分籍(親の戸籍から抜けて私個人で戸籍を独立)しました。
分籍するメリットと、デメリット、後は「何で分籍(縁切ったり)したの?」な話を簡単にお話しようと思います。
なお、全部話すと超大作になるので、できる限りサクサク行こうと思います。
ちょっと身内との胸糞話もございますので、注意喚起をところどころ挟むかと思います。
ご注意下さい。
さて、まず血族と言っても私の血族は結構死に絶えておりまして、現在生き残っている近親は母方の叔父家族×2、父方の伯母家族、母親に兄だけとなっております。
この中で、とりあえず私にとって脅威、及び不利益を齎すのは母親(及び母方親族)と、兄です。
母親と兄はバリバリ私が所属する戸籍内の血族なので、ここと分籍する事にしました。
前情報な私の家庭の話
私は良い所の家のお嬢でした。
しかし代々の家業は戦争を機に畳まれ、祖父が仲間と別の会社を起こして経営していたけれど早世。
祖母が遺産分で資産運用。
父は祖父と反目(めちゃくちゃオタク趣味を批判されたそうで)して、祖父の会社の誘いを蹴って公務員になり、見合いも断り、人の紹介で知り合った母親と結婚したそうです。
そんな家に生まれたのが兄と私です。
お嬢している時はそんなお嬢の自覚がなかったのですが、異変があると自覚するものですね。
まず母親が脳溢血で倒れました。
認知症も併発したので、有り体に言うと幼児返りをしました。
何やかんやとあって、半分施設に入りつつ在宅介護時は父が母親の面倒を見るような生活が続いた所で、父が病気で早世しました。
そこから祖母と兄と私の三人暮らし、時々要介護の母親が来る生活が始まりました。
ヤングケアラー編
祖母は大病を患っていた時期があり、体が弱っていたのですが、本家の女主人で気位はMAX。
兄は本家直孫の上に初孫、そして長男跡取りです。
ヤングケアラーな私が爆誕しました。
この当時、私女子高生でした。
今思えば、母親が病気になっても生活に困らず、父が亡くなっても金に困らずな金持ちな家だったので、本当に「金あるなら完全介護の施設に母親を預けろ」と思うんですが、大正生まれの女主人な祖母が言うんですよ。
祖母「娘(私)がいるのに、家族の面倒を見ないなんておかしい。施設は最低限」
いや、そう言うならお前が見ろと小一時間。
私は女子高生ぞ。
学校から帰ったら母親を介護しつつ、祖母のご飯(和食メイン)も兄のご飯(育ち盛り)も作る日々です。
元々料理は趣味で、幼少期から包丁握ってあれこれしてはいましたが、それがいきなり年齢層が違う一家の主婦になりました。
想像して下さい。
自分の好きに好きなものを作るのではなく、前述の通り祖母のご飯(和食メイン)も兄のご飯(育ち盛り)も作る日々です。
和食のみ作れば兄が、わんぱくご飯を作れば祖母が、それぞれに文句を言う訳です。
何なら食べずに、作り直しを要求されます。
そこで作り直しても、感謝なんかされないんですがね。
更に日によってはそこに、要介護の母親が加わる訳です。
私がご飯作ると母親が子どもみたいに駄々をこねて食べないわ、泣くわで大変です。
祖母が母親をあやしつつご満悦(歪んだ母性本能なのか嫁姑問題が変質して改善)になりながら、私に向かって「あんた(私)はお母さんが可哀想じゃないのか?」と文句を言う。
兄はそれを見て「気持ち悪い」という顔で眺めつつも、我関せずで、ご飯を食べると自室に即退散します。
地獄かな?
まあその分いい所の家だったので、有り体に言うと生活費や遊興費にめちゃくちゃ余裕があったので、当時バンギャ(ヴィジュアル系バンドの追っかけ)をしていた私は、家の事がなければLIVE全通とかできました。
あの時は本当に何ていうか、 兎に角なんか義務を果たしつつ、オタクやバンギャとしても全力投球で日々必死でした。
今にして思えば、辛さを楽しさで打ち消したかったリベンジ精神でしたね。
私よく生きてたな。
そんな生活を二年程続けながら私が女子大生になった頃、祖母が病気再発からの要介護になって、ようやく母親が完全に施設入りになり、母親の介護から解放されたのですが、今度は入れ替わりで病気再発の祖母の介護が開始されました。
体が不自由だけど、口が達者で気位が高い祖母の介護です。
地獄かな?(二回目)
因みに引き続き兄はスルーです。
一緒に暮らしているんですけどね。
たまに兄に祖母の介護をお願いしたら、兄は一切人の世話ができないタイプなので、当然兄と祖母とで大喧嘩になるのですが、大喧嘩後も暫くたてば「お兄ちゃん可愛い」の祖母になるので、私は理不尽も不条理も骨の髄迄体験しました。
因みに話変わりますが、この辺りで初めて彼氏ができました。
皆さんご存知、裁判男(私が裁判をした元彼)です。
祖母の介護をしつつ、空いている時間(祖母が検査入院したり、ヘルパーさんが来たりした時)は彼氏と遊んだりしていました。
後確かこの時期大学もちゃんと通っていたんですよね。
本当に当時リベンジ精神が半端なかった私です。
ただひたすらに若かった。
そんな生活を更に二年程送った所で、祖母が亡くなりました。
父が亡くなった時は泣いた私ですが、祖母が亡くなった時は「終わったあ!」となりました。
薄情この上ないですが、ヤングケアラーなんで本当にそう思った訳です。
しかし安心したのもつかの間、そこからが本番でした。
私にとっては要介護の祖母が亡くなって、介護生活から解放されて自分の日常が帰ってきたな話ですが、現実では本家の資産を管理する祖母が亡くなった訳ですよ。
そこから長きに渡る遺産相続大戦争が勃発しました。
遺産相続大戦争編
祖母には子どもが二人いました。
亡き私の父と、伯母です。
この伯母ですが、祖父が存命の折に結婚に反対されて勘当されるも、孫(従兄)が産まれたのを機に勘当を解かれた経緯があります。
実はこの伯母、私目線では祖母の介護の時にたまに助けてくれた人(助けると言っても偶に家に来て祖母の話し相手してくれたり、私の愚痴を聞いてくれたり程度)だったので、兄に比べて好きだったのです。
そんな伯母ですが、祖母の初七日が過ぎたら弁護士を伴って殴り込み(比喩)にきました。
伯母「私には遺産を半分貰う権利がある!(一応法律上はそう)」
しかし祖母の資産は私と兄の生活に紐づいているので、生前祖母が遺言状(私と兄に遺す)を書いていたのですが、異議申し立てですね。
私としては、まあ法的に権利あるなら話し合うかくらいな気持ちでしたが、兄はその話を聞いた途端ぶち切れました。
兄「ふざけんな。遺留分で祖母の貯金分くらいならやろうと思ったけど、それ全部使ってもあいつ(伯母)には一銭もやらん!」
さて、そこでようやく私に注目が集まります。
兄「俺ら二人で伯母をやっつけようぜ!」
伯母「あんたの事助けたったやん?」
わあ、人間て、怖いなあ(棒読み)
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