「三者懇談+二者懇談」のハイブリッド型、学校で導入してみませんか?
先日、三者懇談をわずか5分でボイコットして帰ってしまった息子の話を投稿した。
そんな前代未聞の事件を経て、ふと考えさせられたことがある。
実は同じ時期に、高校生の娘の三者懇談もあったのだ。
こちらは進路のことなど決めるべきことも多く、先生から娘への話が多く、かなりじっくりと30分ほど話し合う時間になった。
一方、中学の息子はといえば、先日書いた通り「三者懇談が5分」で、残りの10分は強制的に僕と先生の「二者懇談」になった。
一般的に、学校の懇談時間はだいたい15分が平均とされている。
この「娘の30分懇談」と「息子の5分(+10分)懇談」という、まったく対極の2つの時間を同時に味わったことで、僕の中でひとつの確信が浮かんだ。
子どもの前では、相談しにくいこともある
実は娘の懇談の帰り際、僕は先生にこう切り出した。
「先生、実は子どものことで、少し個別にご相談したいことがありまして……」
担任の先生と話ししたのはこの日が初めて。電話やアプリでの簡単に相談する内容ではないためだ。結果、娘とはまた別の日を設けて、先生と僕だけで二者懇談をすることになった。
「三者懇談のときに、その場で一緒に相談すればいいじゃないか」と思われるかもしれない。
けれど、子育てはそう簡単ではないのだ。
思春期真っ当中のデリケートな時期。
親として不安に思っていることや、家庭内含めて少し深い悩みなど、「子どもの前だからこそ、本人を傷つけそうで相談しにくいこと」は確実に存在する。
手遅れになる前に先生と共有しておきたいけれど、本人の前で言うとへそを曲げてしまう、なんてことはザラにある。
正式に枠組みが用意されているわけではないけれど、僕のように「実は……」とこっそり別日を打診している親御さんは、案外多いのではないだろうか。
そしてこれは、親だけの問題ではない。
子どもだって、親がすぐ隣にいるからこそ「先生に本音を話しにくい」ということがたくさんあるはずなのだ。
親の顔色を伺ってしまったり、あとで何か言われるのが嫌で黙り込んでしまったり。
お互いにブレーキをかけ合いながら形骸化した話を続ける15分間は、正直お互いにとって「拷問」に近い。
「三者か二者か」ではなく、ハイブリッドが最強
学校によっては、最初から「三者懇談」か「二者懇談」のどちらか一方を選べる仕組みになっているところもあるかもしれない。
かといって、親と先生だけの二者懇談に終始してしまうのも、決して良くはないと思っている。
自分の現状に向き合い、大人の意見を聞、自分の言葉で何かを伝える。
子どもにとって、そういう「面談の場を経験すること」は、将来的に社会へ出る上で絶対に必要なことだからだ。
子どもを完全に蚊帳の外に置いて、大人だけで物事を決めてしまうのは本人のためにならない。
「子どもの置き去り」はしたくない。
けれど「大人の本音トーク」もしたい。
だったら、あの5分で脱走した息子のスタイルをシステム化すればいいのではないか。
名付けて、『希望制・三者から二者へのハイブリッド懇談』だ。
15分の持ち時間があるとしたら、最初の5分ほどはしっかりと子どもを交えて3人で話す。
子ども自身がしっかりと面談の場を経験し、学校での頑張りや事務的な確認が終わったら、先生から「じゃあ、〇〇さんは先に帰っていいよ」と促してもらい、残りの10分を親と先生の二者懇談に切り替えるのだ。
これなら、子どもにとっては面談の経験を積みつつも、「早く終わってラッキー!」とプレッシャーから解放される。
僕たち親と先生にとっては、子どもが席を外したあと、周りの目を気にせず「ここだけの本音の作戦会議」ができる。
お互いのメリットだけを凝縮した、最強の形だと思う。
時期や性格に合わせたグラデーションを
もちろん、これがすべての場合に当てはまるとは思っていない。
先に帰ることで「ラッキー!」と喜ぶ子がいる一方で、性格によっては「自分が帰ったあと、親と先生が2人で何を話してるんだろう……」と逆に不安な気持ちになってしまう子もいると思う。
だからこそ、これは一律強制ではなく、学年や時期、それから何より本人の性格に合わせた「希望制」にするのがベストだと思う。
中3や高3など、いよいよ進路を決定する人生の瀬戸際になれば、15分どころかもっと時間をかけて、3人でじっくり膝を突き合わせて話し合う必要がある。
綺麗ごとだけでは進まない時期だって、当然あるのだ。
「最初だけ一緒に話して先に帰るスタイルにする? それとも最後まで3人でいる?」と、事前に子ども自身に選ばせてあげる。その自己決定こそが、子どもを一人の大人として尊重することにも繋がるはずだ。
時代に合わせた、学校のアップデートを
これはあくまで僕個人の考えだが、これまで何度も子どもたちの懇談を経験する中で、しみじみと思ったことである。
よく考えてみれば、僕たちが子どもの頃には当たり前だった「先生が家にやってくる」という一大イベント、家庭訪問は今の時代、ほとんどなくなりつつある。
親にとっても子どもにとっても大仕事だったあの行事も、時代の変化とともに姿を変えた。
学校の仕組みやあり方は、時代とともに少しずつ変わってきているのだ。
であれば、この「三者懇談」のカタチだって、今の時代や思春期の子どもたちの心境、あるいは家族のあり方に合わせて、もっと柔軟にアップデートされてもいいのではないだろうか。
一律の枠にみんなを無理やり当てはめるから、親も子も先生も、どこか疲れてしまう。
あの日、スタスタと一人で先に帰っていった息子の背中を見送りながら、そんな「これからの柔軟な懇談のカタチ」を本気で学校に提案したくなっている。
