『伝える』ことの難しさと、息切れする夏に想うこと
1ヶ月半ほど前、次から次へと書きたいことがあふれ出して、記事のストックが大量にできた時期があった。
いわゆる「ライターズハイ」というやつだ。
あれから40記事ほど書いたけれど、最近の連日の暑さで食欲が落ち、夏バテ気味になっていくのと同じように、僕のnote執筆もさすがに息切れしてしまった。
実は、子どもの度重なるトラブルで頭がいっぱいになっていたこともある。
連日、外部機関も含めて毎日違う方に1時間近く、同じ悩みを相談し続ける日々。
流石に心が参ってしまう。
それほどまでに、解決の糸口が見えにくい難しい問題だった。
当の本人は、どこか他人事で危機感をあまり抱いていない。
親としてそのリスクを伝える必要があるけれど、反抗期を迎えた子どもには、こちらの言葉が驚くほど届かない。
届かないどころか、強い反発となって跳ね返ってくる。
このもどかしさ。
伝えるって、本当に難しい。
子育てって、どうしてこんなにも難しいんだろう。
子どもが成長し、自分の世界を広げていくこと自体はとても微笑ましく、喜ばしいことだ。
けれど、幼い頃のように「目に見える地域の中」で守られていた子育てとは違い、世界が広がるほどに、親の目には届かない場所で大きな問題やリスクが潜むようになる。
今、僕にできることは、その小さな異変にいち早く気づき、そっと手を差し伸べることくらいだ。
そして、そんな風に手を引いてやれるのも、きっと今のうちだけなのだろう。
成人すれば、どんな問題が起きても自分自身で察知し、自分自身で乗り越えていくしかない。
危機管理をどうするか。
壁にぶつかった時、誰に相談するのか(あるいは相談できる関係を作れているか)
ここで突き進むのか、様子を見るのか、それとも一度立ち止まって引き返すのか。
小さな日常の判断から、人生を左右するような大きな選択まで。
思い返せば、人生とはいつだって「選択の連続」だ。
言葉が届かず途方に暮れる夜もあるけれど、いつか子どもが自分の足で立ち、自分の人生の選択を重ねていくその日まで。
今日もまた、焦らず、諦めず、そっと見守る距離感を模索している。
