身調べ内観ってなあに?
身調べ内観って
名前を聞いただけだと
え、
何、なにっ?!
って
なる人もいるかもしれない。
主語がないからね。
身調べ内観の主語は
自分
です。
自分で自分の身を
調べていくもの。
身っていうと身体(からだ)
という意味もあるけど
ここでは
内側を意味します。
*
大元になっているのが
夫の健さんと私が体験した
内観法。
どんなことを
してきたかというと
してもらったこと
して返したこと
迷惑をかけたこと
という3つの問いをもとに
自分の内面を
調べていく(観る)方法
のことです。
これを6泊7日間
ひたすら繰り返します。
どうしてそんなことをするようになったかという経緯は、こちらの記事でお話ししているのでぜひこちらも読んでみてください。
*
これね
実際にやってみたら
自分がいかに
・自分だけのために生きてきて
・人からどれだけしてもらっているか
そして
して返すことの難しさ
を
思い知らされました。
そしてそして次に
なんとかして
この感謝をもとに
して返したい
と、
私は強く思いました。
でもね
かなしいかな。
してくれた人へ
直接して返すことって
大抵の場合できないんですよ。
このもどかしさは
内観法を体験していなくても
感じたことがある方は
いるんじゃないかな。
例えば
私の師である上村先生にだって
内観の時間をして返すことなんて
とうていできないですし
「それはあなたの中にあるものです」
という授けてくださった言葉に
して返せるものなんて
もちろんありません。
そういう時間を
与えてくださいました。
そしてそして
この究極はお母さん
なんですよ・・・
どれだけ与えられたか
どれだけ守られてきたか
どれだけ聴(ゆる)されてきたか
そんなことが
ほんとうに
わかってきちゃったら
どれもこれも返すことなんて
絶対に叶わないんですよ。
(元々、お母さんと私の関係はいいモノではなくいつも私がブチキレてばかりいて、どれだけしてもらってきたかなんて思えたのはほんの最近のことです。)
まあ、お母さんは
究極のパターンだけど
とにかく
返したくても
返せない人が
私にはいる。
じゃあ
今までの人生で
自分が人から
してもらったこと
渡してもらったエネルギーは
もらいっぱなしでいいのか
というと
それも違うと
私は思います。
してくれた人へ
返す方法は一つだけあると
思っています。
それは
自分ができることで
誰か別の人へ渡す
ということです。
大事なのは
自分ができること
ということです。
じゃあ
私はどうやって
して返したらいい?
何ができる?
ずっと続けてきたこと
氣がつくとやっていること
ずっと考え続けていられること
それはなに?
って深めると
やっぱりこたえは
自分の内側をみる
ここに辿り着いて
しまうんです。
というか
これしかないというのが
正直なところです。
2020年8月
湯河原に引っ越してきてからは
ひとりで1日中
内を観ていることは
どんどん増えて
ここ1、2年なんて
内を観ることが
私にとっての”日常”
みたいな感覚になって
すべてはわたしの中にある
って
自分の内側へ
意識を向け続けることで
その先の世界に
指先が
ほんの少しだけ
ほんの少しだけ
ふれつつあります。
*
そして
大事な部分なのですが
どうして
して返したいという
氣持ちになったかと
という話です。
極めて個人的なことです。
(ここの話なんて個人的な話以外のものなんてないけどw)
*
私のお母さんは
とっても苦労をしてきました。
お母さんのお母さんも
とっても苦労をしてきました。
そんなお母さんは
こんなにも人を聴すことが
できるのか・・・
ということを
目の前でたくさん
みせてくれました。
対して私。
私は苦労を知らない。
全く知らないんです。
両親や夫のおかげで
今こうして
生きていられています。
ひとさまの働いたお金で
今を生きていられています。
そんな身でありながらも
「私はやってきた」
「私はやっている」
と、奢ってきました。
それは
ぜんぶ自分だけ
のためだったのに。
人のためになんて
なんにも
できてないんです。
なんにも
やっていないんです。
なんにも
持っていないんです。
だから
私の中にはいまだ
憎悪や虚栄心が
渦巻いています。
なので
そんな私でも
できることは
したいのです。
*
繰り返しになりますが
身調べ内観の主語は
自分
です。
自分で自分を
調べていくもの。
自分の内側を調べていく。
それだけをする
ほんとうに地味で
楽しいってものじゃないし
おもしろいものでもない。
でもここに本質があると
私たちは実感しています。
*
自分の本当の氣持ちに
”自分”で辿り着けた時
ほんとうに深い幸福感が
広がっていきます。
なぜならば
自分の声が
一番聴こえにくく
だけども
聴けるのは自分だけだから。
自分の声だからね。
そりゃあ
自分しか聴けないんです。
それゆえ
辿り着けたとき
何よりうれしいんです。
そしてその入り口は
夫の健さんも私も
2019年9月
集中内観6泊7日での
体験からでした。
*
すべてはわたしの中にある
それは
一番の難関でありながら
一番の静けさの場所
と実感しています。
まだまだ言い足りてないことが
ある氣がしますが
今日はこのあたりで。
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
同道者
西村純子
同道者(どうどうしゃ)とは
身調べ内観の参加者が自己の内面を見つめる内観の道を歩むとき、その過程に同じ道を行く者として立ち会い、静かな内省の場を保つ役割を担う者である。
