ミシュナ『Rosh HaShanah』法理研究 第1回:4つの新年と王の治世年数を巡る法理(1章1節①)
本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Rosh HaShanah(ローシュ・ハシャナー)』の第1回目の解説である。
今回は口伝律法ミシュナ『Rosh HaShanah(ローシュ・ハシャナー)』第1章1節の法理体系について徹底的な解説を試みる。ユダヤ暦における「複数の新年」という概念の背景、バビロン捕囚期を境とする月の名称変遷、そして出エジプトの奇跡と結びついた「王の為の新年」の意義をRambanらの注解を交えて紐解く。
更にYad Avrahamが解説する金銭貸借証書の先取特権(抵当権)と時系列の整合性を巡る厳格な法的ロジックを具体例とともに検証し、Rashi(ラシ)、Tosafot(トサフォート)、Meiri(メイリ)ら中世ラビ権威たちの法理的対立の深層へと迫る。
創造の日を巡る論争と「複数の新年」という概念
今回から「Rosh HaShanah」の法理を解説する。Rosh HaShanahは文字通りには「年のはじめ」を意味し、一般的にはティシュレの月の1日を指す。ティシュレの月の1日は、ユダヤ教徒にとって新年となる。
1年の最初の日がティシュレの月の1日であることに関して、その理由はこの日に人が創造されたからであるとされる。しかしその是非は、必ずしも専門家の間で一致している訳ではない。
ラビ・エリエゼル(Rabbi Eliezer)は人の創造はティシュレの1日であるとしているが、ラビ・ヨシュア(Rabbi Yehoshua)はニサンの月の1日であるとする。
ミシュナ「Rosh HaShanah」においては、下の本文で見る通り、1年の始まりとして4つの日付を記述している。
1年の始まりが複数あることに違和感を覚えるかもしれないが、現代の日本社会でも新年は1月1日に始まるものの、会計年度は4月1日からであり、海外の新学期9月からであったりする。
ユダヤ暦については聖書の記述やラビの規定に基づき、複数の「年の始め」が定められていることになる。
捕囚期を境とする暦の変遷:聖書における「数字の月」と「バビロン式名称」
さて、現代のユダヤ社会で用いられている月の名前(ティシュレやニサンなど)はトーラや初期の預言書では使われていない。12の名称の内、8つは後代の預言書、例えばゼカリヤ書、エズラ記、ネヘミヤ記など、捕囚からの帰還の後の聖書に出て来る。幾つか引用する。
7ダレイオスの第二年十一月、シェバトの月の二十四日に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。
シェバトの月は第11の月である。
15この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。
アダルの月は第12の月である。
これらの名称はバビロン捕囚を経て持ち込まれたものであり、それ以前にはただ、「第1の月」、「第2の月」・・という風に、何番目の月であるかに従って呼ばれている。
Rambanによる二重の奇跡の記憶(エジプト脱出とバビロン帰還)
この点、Rambanはトーラの出エジプト記12章に注目する。
この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。
「この月」とは過越が成し遂げられる月である。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」というのは、エジプトから脱出する月を第1の月と呼ぶように命令したものである。
Rambanによると、この序数による月の呼び方は、エジプトを出た時の過越の奇跡を常に思い起こす為のものである。
Rambanは更にエレミヤ書16章に注目する。
14見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、 15「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。
この預言の中ではエジプト脱出の記憶が、バビロン捕囚からの解放と同列で置かれている。Rambanは、ここでバビロン捕囚からの帰還という奇跡は、エジプト脱出の奇跡を補完することが示唆されていると解釈する。
バビロンから帰還したユダヤ人たちは、エジプト脱出の記憶に合わせて、バビロン式の名称によって、捕囚からの解放という奇跡を思い起こすことになる。
数字の月とバビロンから持ち帰った名称を対照した表は以下の通りである。
第1の月:ニサンの月(Nissan)
第2の月:イヤールの月(Iyar)
第3の月:シヴァンの月(Sivan)
第4の月:タンムーズの月(Tammuz)
第5の月:アヴの月(Av)
第6の月:エルールの月(Elul)
第7の月:ティシュレの月(Tishrei)
第8の月:ヘシュヴァンの月(Cheshvan / Marcheshvan)
第9の月:キスレヴの月(Kislev)
第10の月:テヴェットの月(Tevet)
第11の月:シュヴァトの月(Shevat)
第12の月:アダルの月(Adar)
左側の数字による呼称はエジプト脱出を思い起こし、右側の名称はバビロン捕囚からの解放を記憶させるものとなる。
ミシュナ本文:4つの新年と「王の為の新年」
以上を前提に口伝律法ミシュナ「Rosh HaShanah」1章1節の本文を引用する。
4つの新年最初の日がある。ニサンの月の1日は、ユダヤ人の王の為の日である。また、祭日の為の日である。
本節のミシュナでは4つの新年最初の日を列挙する。その1つ目はニサンの月の1日である。この日は「ユダヤ人の王の為の日である」とされている。
ユダヤ人の王が1年の内のどの日に即位したとしても、ニサンの1日が来れば、その日から「治世2年目」と数えられる。極端な場合、新しい王が即位するのがアダル月の29日だったとしたら、この王の治世は1日だけであり、翌日に第2年を迎えることになる。
この規定は列王記上から取られている。
ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。
王の治世は正確に数えられなくてはならない。その法的な理由はYad Avrahamによって以下のように説明されている。
Yad Avrahamに基づく金銭貸借証書の法理学
ユダヤ法において、金銭貸借証書などの法的文書は、債務者の不動産に対して暗黙的または明示的に先取特権を発生させる。債務者が債務を履行出来なかった場合、債権者は金銭貸借証書に基づいて債務者の不動産を差し押さえることが可能になる。
次のように具体例を挙げることが出来る。ルベンがシモンに金を貸し、証人が署名した文書を作成した場合、ルベンはシモンが所有している不動産を差し押さえる権利を持つ。たとえシモンがその土地をレビに売却したとしても、ルベンはその権利を行使出来る。ルベンはシモンの財産を担保に金銭貸借したからである。
これを具体的な年月を用いてみると、例えば以下のように仮定することが出来る。
【実際の時系列】
①シモンはソロモン王の第7年ニサンの月の1日に土地を取得した。
②ソロモン王の第10年ニサンの月の1日に、シモンはルベンから金銭を借りた。金銭貸借証書の日付はこの通りにしなくてはならない。
しかし年月が不正確である場合、時系列が次のようになり得る。
【日付を誤った時系列】
①誤記により、ソロモン王の第1年ニサンの月の1日に、シモンはルベンから金銭を借りたことになっている(しかし実際はソロモン王の第10年ニサンの月の1日に、シモンはルベンから金銭を借りた)。
②シモンはソロモン王の第7年ニサンの月の1日に土地を取得した。
③ソロモン王の第10年ニサンの月の1日に、シモンはルベンから金銭を借りた。しかし年月を誤記した。
誤った年月で判断する限り、シモンがルベンから金銭を借りた時点で土地を所有していない。そこでルベンはシモンへ担保権を実行出来ないことになってしまう。
こういった不都合が生じることから、日付が誤っている場合、その文書は無効になる。
治世計算の思想的背景と中世ラビの論争
王の即位に関して、ニサンの月の1日が選ばれている理由として、Ranは、全てのユダヤ人の王に、エジプトからの脱出(出エジプト)を意識させる為であるとする。出エジプトはユダヤ人の主権の始まりを象徴しており、王の治世をニサンから数えることで、その歴史的な意味を継承する。
これに対してMeiriは、王が実際に即位した日を基準にすると、その正確な日付を忘れてしまう可能性があることを指摘する。この場合、上記の例のように法的文書の日付が正しいかどうか判断が難しくなる。
文書の年月日について、実際に即位した日を基準にして書かれている場合、TosafotやMeiriは有効とする。日付を遡らせたものではないからである。他方でRashiはそれを無効としている。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Rosh HaShanah』法理研究
https://note.com/mishnah/n/nfbeb416fd084
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
