ミシュナ『Machshirin』の法理研究 第5回:レビ記11章34節の構文論的解釈、hechsherを成立させる「修飾語なき7つの液体」の定義、およびkosherでない昆虫における「体内変容」の法理
本稿は口伝律法ミシュナ第6部『Tohorot(トホロット)』に属する『Machshirin(マフシリン)』の第5回目の解説である。
今回は『Machshirin』第6章4節を取り上げ、食品が祭儀的不浄への受容性を獲得する契機(hechsher)の核心に迫る。レビ記11章34節のヘブライ語原文が内包する構文論的・翻訳論的問題を検証し、果物の果汁(ジュース)がhechsherから除外される理由について「修飾語の有無(普遍的名称性)」という法理から解説する。
さらに、聖書学・ラビ文学において「飲料・食物」として定義される「血」や「蜜」の特殊性を申命記・民数記の記述から法的に基礎付けるとともに、非kosher(清くない)生物であるミツバチ・スズメバチの産出する蜜が食用として許容される論理を徹底的に究明する。
前回の振り返り:tahorとtameiの境界線、過半数無効化(nullification)、人間の満足と先後関係
前回は『Machshirin』第2章3節を取り上げ、清い状態(tahor)と汚れた状態(tamei)の液体が混在する場合の判定基準や、不浄への感受性を左右する「人間の満足(意図)」という核心的な部分について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】近接性の原理(プールの湿気)
tameiの水を貯めたプールと、tahorの水を貯めたプールが並置されている場合、壁面の水分の状態は、それぞれのプールからの距離によって決まる。
tameiのプールに近い場所の水分はtameiと判定され、tahorのプールに近い場所の水分はtahorと判定される。
両方のプールから等距離にある場所の水分は、tameiと見なされる。
【2】混合物の過半数無効化(小便の事例)
ユダヤ人の小便(tahor)と異邦人の小便(異邦人はラビの規定によりtameiとされる)がポットの中で混ざった場合、過半数を占める方の状態が全体に適用される。
異邦人の不浄はラビの規定によるものであるため、トーラの規定による不浄(zavなど)とは異なり、多数派による「無効化(nullification)」の基準で判断される。
両者が同量(半分ずつ)である場合は、tameiと判定される。
【3】「満足」と受容性を左右する混合の先後関係
廃水(tamei)と雨水(tahor)の混合においては、どちらからどちらに注いだかという先後関係が重要になる。
①廃水が先にある場合
雨水が後から注がれたなら、過半数による判定が行われる(雨水が多ければ全体がtahorになる)。これは、汚い廃水に雨水が混ざる状況において、人はその水に「満足」を感じないため、雨水が不浄への受容性を持たないからである。
②雨水が先にある場合
雨水に廃水が注がれるなら、たとえ廃水が少量であっても、接触した瞬間に全体がtameiになる。あらかじめ器に取られた純粋な雨水に対して、人は通常「満足」を感じているため、その雨水は不浄に対する受容性を既に獲得していると見なされるからである。
③補足的な重要点
これらの判定は、水が器などに取られて「土地から切り離されている」ことが前提となる。
池や泉のように、水が地面に付随した(大地に接続された)状態であれば、不浄の影響を受けることはない。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Machshirin』の法理研究 第4回:tahorとtameiの境界線、及び「満足」が左右する雨水と廃水の先後関係(2章3節)
https://note.com/mishnah/n/n97bf2fe85a8e
「Machshirin」6章4節の原点回帰:hechsherを成立させる7つの普遍的液体
今回はその続きであるが、第2章から最終章である第6章まで、大体hechsherが成立するのか、あるいは成立しないのか、具体的な事例を列挙して細かい判断の議論が続いている。これらの具体的な諸々の事例は、機会があれば後続の論考において詳述する。
今回は「Machshirin」の原点に戻り、そもそもhechsherを成立させる液体について扱う。まずは口伝律法ミシュナ「Machshirin」6章4節を引用する。
7つの液体がある。露、水、ぶどう酒、オリーブ油、血、ミルク、蜂蜜。スズメバチの蜜はtahorであり、消費してよい。
レビ記11章34節のヘブライ語構文解釈:翻訳上の問題と「人の飲み物」の法理的定義
この節は本シリーズの第1回目でも引用したが、ここでは少し深堀りして解説する。次にトーラを引用する。
この器の中の水がかかった食物はすべて汚れる。またその器の水を飲んだ場合、汚れる。
この箇所は、器の中に汚れたものを入れた場合の原則を述べている。器の中は汚れるが、引用箇所の前半において、水気を与えられたものは汚れることが示されている。水気が与えられていないものは、まだ「食品が完成していない」ので、汚れない。
後半部分の翻訳は若干問題を孕んでいる。なぜなら「飲んだら汚れる」という条件を示しているものとして訳されているからである。
この箇所を原文の単語の順序に従って直訳すると「如何なる飲み物であっても、人が飲むもので、如何なる器であっても、汚れる」である。従って「飲んだら汚れる」のではなく、「器の中にあって、人の飲み物であるなら汚れる」という意味になる。
これを整理して前半部分と合わせ、全体を翻訳すると、「器の中の食べ物に水気を加えているなら汚れる、また器の中の如何なる人の飲み物も汚れる」となる。
「水と同様の修飾語なき液体」の原則と、果汁(ジュース)が除外される論拠
「あらゆる飲み物」であるから、イチジクの果汁やその他の果汁をも含むと思われる。汚れに関してはその通りである。しかし前半部分、すなわち「この器の中の水がかかった食物はすべて汚れる」(レビ11:34)において、hechsherを引き起こす液体に関しては「水」と明記されている。
そこで水以外のhechsherを引き起こす液体(飲み物)に関しては、水と同様のものだけが該当すると解釈されている。「水と同様である」と判定されるもの液体だけがhechsherを引き起こす。
如何なる液体が「水と同様のものである」と判断されるのだろうか。「Machshirin」6章4節では、水と同様に修飾語を要しない液体だけを列挙している。「露、ぶどう酒、オリーブ油、血、ミルク、蜂蜜」である。
ここに果物の果汁(ジュース)は含まれない。果汁の場合、例えば「桑の実のジュース」や「イチジクのジュース」等のように、常に「〜の果汁」という限定的な名称で呼ばれる。この点が種類を限定する修飾語を持たない「水」と同様ではない。結論として果物の果汁(ジュース)はhechsherを成立させないと解される。
ミシュナは「蜂蜜」と記しており、修飾語を付けているが、通常「蜜」と言えば蜂蜜である。あえて「蜂蜜」と表記しているのは、この後出て来る「スズメバチの蜜」と区別する為である。
「血」と「蜜」の聖書学的飲料定義:レビ記・民数記・申命記の原文比較
さて、この中で「血」は異様に感じられる。一般的な感覚として血は飲み物ではない。この点についてトーラではしばしば、血を食べ物として扱っている。
脂肪と血は決して食べてはならない。
イスラエルの家の者であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、血を食べる者があるならば、わたしは血を食べる者にわたしの顔を向けて、民の中から必ず彼を断つ。
飲み物としての表現は少ないが、例えば次のように書かれている。
見よ、この民は雌獅子のように身を起こし
雄獅子のように立ち上がる。
獲物を食らい、殺したものの血を飲むまで
身を横たえることはない。
「蜜」もあまり飲み物ではなく、食べ物の感覚に近い。しかしトーラには次のように書かれている。
岩から野蜜を
硬い岩から油を得させられた。
翻訳では「得させられた」であるが、原文では「飲ませられた」である。蜜について「飲むもの」と位置付けている。
以上でhechsherを引き起こす7つの液体(飲み物)についての解説を終えた。
スズメバチの蜜の祭儀的状態:人間の消費・備蓄(意図)とtameiの要件
続きには次のように書かれている。
スズメバチの蜜はtahorであり、消費してよい。
まず「スズメバチの蜜はtahorである」についてであるが、スズメバチの蜜に関しては単純に「蜜」と言われることはない。そこで果汁同様、それ自体hechsherを引き起こすことはない。
あるいはここでミシュナがスズメバチの蜜に触れているのは、蜂蜜と区別して、スズメバチの蜜が自動的に食べ物に該当しないことを教えている可能性もある。
原則として人間の消費の為に蓄えるものだけが、tameiになる。たとえ食べることが出来るものでも、通常人間が食べないものに関しては食用として特別にその指定をしない限り、汚れない。スズメバチの蜜は、通常人が食べない。そこで、祭儀的な汚れに関しても、hechsherに関しても「スズメバチの蜜はtahorである」と言える。
蜂蜜に関しては特別の指定がなくても人が食べるものであり、tameiになるものである。
非kosher昆虫の産出物に関する許容論理:Tanna Kammaが提示する「体内変容」の法理
最後にスズメバチの蜜に関して「消費してよい」と書かれている。ここではスズメバチがkosherでない生き物(食べてはいけない生き物)であるにもかかわらず、それが作る蜜は食用として許可されることを言っている。
しかしミツバチも同様にkosherではない。ミツバチもkosherでないが、その蜜は勿論食べることが出来る。そこでミツバチの蜜を食べることの理由を述べ、その後スズメバチの蜜を食べることが出来る理由を解説するのがよいとされる。
さて、ミツバチは巣の中で、体内から蜜を吐き出すものである。ミツバチはkosherでないので、一見すると蜜は食べてはならないものであるように思われる。一般的にkosherでない生き物の体から出るものは、食べてはならないからである。
例えばkosherである牛の乳は飲むことが出来る。しかしkosherでないラクダの乳を飲んではならない。ミツバチの蜜が許容されている理由は、以下のように説明される。
ミツバチは花の蜜(ネクター)を摂取し、体内の嚢(のう)で蜜に変換するが、蜂の体は既存の蜜を単に変容させているだけである。卵や乳のように体内で一から作り出しているわけではない。
Tanna Kammaは、スズメバチの蜜もミツバチと同様のプロセスで作られるため、同様に許可されるべきであると主張している。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Machshirin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n36a7a5cdda45
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
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