Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 7回目:レビ記16章及びミシュナ「Yoma」に基づく祭儀空間の動線と聖具の法規――金の水差し、薪の山の数、至聖所進入プロトコル
*本稿は「ヨム・キップール(Yom Kippur:贖罪日)」の祭儀構造を、旧約聖書(トーラ)レビ記16章と、その実効的解釈を規定する口伝律法ミシュナ「Yoma(ヨマ)」篇の原典に基づき解明するシリーズである。
第7回となる本論では、祭壇スロープにおける大祭司の特異な動線、および「金の水差し」や「薪の山(Ma’arachah)」の数に関する諸ラビの法理的見解を精緻に検証する。特筆すべきは、至聖所進入時における二重の垂れ幕の物理的構造と、契約の箱へ至る「非対面」の歩法である。日本語圏における既存の説教的解釈を排し、律法の現場における実務的・空間的真実を原典から再構築する。
前回の振り返り:祭儀空間の法理と準備
前回は以下の内容を確認した。
【1】雄牛の屠殺と血の凝固防止
大祭司は、二重の按手と告白を終えた雄牛を屠殺(shechitah)する。
大祭司は血を祭器具で受け、別の祭司に渡す。その祭司は血が固まらないようにかき混ぜ続ける。彼は、神殿の床に敷き詰められた大理石の、神殿側から数えて4番目の列の上に立つよう規定されている。
【2】祭壇からの炭の採取と「金のシャベル」
大祭司は祭壇に上り、至聖所での献香に使うための炭を採取する。
祭壇の最も内側にある炭を取り出し、シャベルに盛って下りる。このシャベルは、血を攪拌している祭司の隣(4列目の大理石の上)に一旦置かれる。
通常の日と異なり、この日は効率と大祭司の負担軽減のために特別な「金のシャベル」が使われる。
①重量: 大祭司の体力を考慮して軽く作られている。
②ハンドル: 至聖所内での奉仕の都合上、通常より長く設計されている。
③純度: 最も純度が高く「赤い」と形容される最高級の金が使用されている。
【3】「両手いっぱいの香」の計量法理
レビ記16章12節の規定に基づき、献香のための香が準備される。
計量基準は特定の分量ではなく、大祭司が自らの「両手いっぱい」にすくった量が基準となる。
すくった香は、大小のスプーンが重なったような二重構造の器具に入れられる。これにより、粉がこぼれても外側の大きな匙が受け止める仕組みになっていた。
【4】至聖所への入場の構え
これらの準備を終え、大祭司は以下のものを手にして至聖所へと向かう。
①右手: 祭壇の炭が入った「金のシャベル」を持つ。
②左手: 香が入れられた「kaf(カフ)」を持つ。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 6回目:レビ記16章とミシュナ「Yoma」 4~5章における祭儀空間の法理――血の攪拌、炭の採取、および両手いっぱいの香の規定
https://note.com/mishnah/n/nfb271e9c0407
祭壇スロープにおける動線の変容(Yoma 4章5節)
今回は一端この流れを止め、ヨム・キップール特有の祭器具や動線について扱う。まず「yoma」4章5節を引用する。
毎日祭司はスロープの東側に沿って上り、西側に沿って下りる。しかし今日、大祭司はスロープの中央を通って上り、中央を通って下りる。ラビ・ユダは言う。「大祭司は常にスロープの中央を通って上り、中央を通って下りる。」
この節では祭壇のスロープ、または祭壇の上でどのような動線を描くのかを扱っている。
通常、大祭司も祭司も祭壇を上る為にスロープを歩く時、右側を歩く。写真の通りである。

これは祭壇の上にまで来た時に、右側(東側)を向き、右回りで歩くからである。
他方で下りる時にはスロープの左側(西側)を歩く。これも写真の通りである。

「しかし今日、大祭司はスロープの中央を通って上り、中央を通って下りる」とは、ヨム・キップールの当日のみ、大祭司はスロープの真ん中を通ることを言っている。図の通りである。

ラビ・ユダの見解は、大祭司は1年中、スロープの真ん中を歩くというものである。
次に進む。
手足の清めと「金の水差し」の法規
毎日大祭司は水盤から手足を洗う。しかし今日、彼は金の水差しから洗う。ラビ・ユダは言う。「大祭司は常に金の水差しから洗う。」
まず神殿において手足を洗う場所は、神殿と祭壇の間になる。しかし完全に両者の間ではなく、写真の通り少し南側に寄っている。

トーラでは次のように書かれている。
18洗い清めるために、青銅の洗盤とその台を作り、臨在の幕屋と祭壇の間に置き、水を入れなさい。 19アロンとその子らは、その水で手足を洗い清める。 20すなわち、臨在の幕屋に入る際に、水で洗い清める。死を招くことのないためである。また、主に燃やしてささげる献げ物を煙にする奉仕のために祭壇に近づくときにも、 21手足を洗い清める。死を招くことのないためである。
しかしヨム・キップールの日には、特別に金の水差しから手足を洗う。
次である。
祭壇における薪の山(Ma’arachah)の数:三ラビの法理学的対立(Yoma 4章6節)
毎日4つの薪の山がある。しかし今日5つである 。これらはラビ・メイルの言葉である。ラビ・ヨセは言う。「毎日3つである。しかし今日は4つ。」ラビ・ユダは言う。「毎日2つ。しかし今日は3つ。」
ここでは通常の日、またヨム・キップールの日において、祭壇に幾つの薪の束が置かれていたのか、3人のラビの見解が示されている。以下の通りに箇条書きに出来る。
【1】ラビ・メイルの見解
①Ma’arachah ha-Tamid(マアラハー・ハタミッド)またはMa’arachah Gedolah(マアラハー・グドラー)
tamidのいけにえを燃やす薪の山。次の記事に詳しい。
◉ミシュナ『Tamid(タミッド)』篇・逐条完全解説第3回:祭司の奉仕の順序と「灰(tapuach:タプアフ)」の神学的構造(1章4節~2章4節)
https://note.com/mishnah/n/n5774ea79964d
②毎日の献香の為に使う炭を燃やす薪の山
これは次の記事に詳しい。
◉ミシュナ『Tamid(タミッド)』篇・逐条完全解説第4回:「金の祭壇と聖卓の乳香」の為の火床の分離、「Lishkat HaGazit:リシュカット・ハガジット)」における祈り(2章5節)
https://note.com/mishnah/n/n353e94f15f56
③燃え続ける薪の山
レビ記の次の箇所が元になっている。
祭壇の上の火は常に絶やさず燃やし続ける。
④前日燃え尽きなかった部分を燃やす薪の山
⑤ヨム・キップールにおいて、至聖所で使う為の炭
5番目の山は至聖所の中で献香の為に使う灰を作る。これは前回の記事で扱ったものである。
【2】ラビ・ヨセの見解
①Ma’arachah ha-Tamid(マアラハー・ハタミッド)またはMa’arachah Gedolah(マアラハー・グドラー)
②毎日の献香の為に使う炭を燃やす薪の山
③燃え続ける薪の山
④なし
⑤ヨム・キップールにおいて、至聖所で使う為の炭
ラビ・ヨセの見解は、ラビ・メイルの見解よりも1つ薪が少ないことになる。
【3】ラビ・ユダの見解
①Ma’arachah ha-Tamid(マアラハー・ハタミッド)またはMa’arachah Gedolah(マアラハー・グドラー)
②毎日の献香の為に使う炭を燃やす薪の山
③なし
④なし
⑤ヨム・キップールにおいて、至聖所で使う為の炭
ラビ・ユダの見解は、ラビ・メイルの見解よりも2つ、ラビ・ヨセの見解よりも1つ薪が少ないことになる。
至聖所進入における空間構造(Yoma 5章1節)
では、再びヨム・キップールの祭儀について話を再開する。現在は右手に金のシャベル(中には祭壇の炭)、左手にはkaf(中にはbazichと香)を持って至聖所に向かっているところである。
大祭司はシャベルを右手に、kafを左手に持ち、神殿の中を歩いて垂れ幕の所にまで来る。この垂れ幕は至聖所と聖所を分けるものである。垂れ幕の間は1キュビット。
聖所と至聖所の間には、垂れ幕がかかっている。写真を見て欲しい。

拡大してみると少し分かりやすいと思うが、聖所と至聖所を隔てているカーテンが2枚重なっている。「垂れ幕の間は1キュビット」とあるのは、このカーテンの隙間が通路になっていることを言っている。
大祭司はこの間を通り、至聖所に入るのである。続きである。
外側の垂れ幕は南側で折れており、内側の垂れ幕は北側で折られている。大祭司はその間を歩き、北側に達する。そこから顔を南側に向け、垂れ幕に沿って歩き、契約の箱の前まで来る。
ここは分かりづらいが、頑張って欲しいところである。
「外側の垂れ幕は南側で折れており」とあるのは、聖所側の垂れ幕のことである。南側、つまり図で言う左のカーテンは壁面まで届いていない。図では見えないが、折り返されている。
大祭司は南側からカーテンの間に入ることになる。
こうして「南 → 北(左 → 右)」へと動く。
「内側の垂れ幕は北側に折られている」とは、至聖所側の垂れ幕は北側の壁面までは届いておらず、折り返されていることを言っている。
カーテンの間を通った大祭司は、こうして至聖所の空間に足を踏み入れることになる。
今の動線は次の写真に記している。確認して欲しい。

いよいよ至聖所の中に入る。
大祭司はその間を歩き、北側に達する。そこから顔を南側に向け、垂れ幕に沿って歩き、契約の箱の前まで来る。
大祭司は聖所の左側から幕の間に入り、2枚のカーテンの間を通って右端まで行き、そこで顔を左手に向けて、真っ直ぐに歩く。
つまり至聖所に入ったら、契約の箱には顔を向けず、南側の壁を見て歩く。
このようにして、契約の箱の前に来て、対面する場所まで来ることになる。ただし、至聖所に入ってからの細かい動きには、多少の見解の相違がある。
今回の解説は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Yoma』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n7222129b891f
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef
