ミシュナ『Eruvin』の法理研究 第4回:6章「中庭の合併(eruvei chatzeirot)」の構造と権利無効化・象徴的賃貸契約の擬制
*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Eruvin(エルーヴィン)』の第4回目の解説である。
今回は『Eruvin』6章の「中庭の合併(eruvei chatzeirot)」を解説。共同利用の中庭(chatzer)の安息日運搬制限を解除する世帯擬制の論理、当日でも可能な口頭宣言による「権利の無効化(nullification of rights)」、および異邦人との「象徴的賃貸契約」による法的処理を詳解する。
前回の振り返り:野外・軍事宿営地における境界要件とラビ規定の免除
前回は『Eruvin(エルーヴィン)』第1章8節および10節に焦点を当て、野外宿営における境界の要件と、軍営における特例規定について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】隊商の宿営地における境界の数理的条件(1章8節)
野外(半公共的な領域であるkarmelit[カルメリット])でキャンプをする際、馬具などを積み上げて作る一時的なバリケードが法的な「仕切り」として認められる条件が示されている。
①高さと比率
仕切りは10手幅(約80〜100センチ)以上の高さが必要であり、かつ「壁」の部分の合計が「隙間」の合計以上(壁 ≧ 隙間)でなければならない。
②入口の規定
隙間の幅が10キュビット(約5メートル)以下であれば「入口」として許容されるが、それを超えると「壁の崩壊」と見なされ、囲い全体が無効になる。
ただし、柱と横木で「ドアの形(Tzurat ha-Petach:ツーラット・ハペタフ)」を作れば、10キュビットを超えても有効である。
【2】杭による仕切りと「lavud(ラヴド)」の原理(1章10節)
杭を打って宿営地を囲む際の規定と、その適用範囲に関する議論である。
①lavudの適用
杭と杭の間隔が3手幅未満であれば、法的に「繋がっている」と見なされ、壁として成立する。
②個人とキャラバンの相違
ラビ・ユダは、この簡易な仕切りが面積制限なしに許されるのは3人以上のキャラバン(旅団)に限ると主張した。
一方、ラビたちは個人であっても必要に応じてこの方法を用いることが出来ると主張している。
③構造要件
ラビ・ヨセ・ベン・ユダは垂直(柱)と水平(横木)の両方の要素が必要だとしたが、ラビたちはどちらか一方でよいとしている。
【3】軍営における4つの特例(1章10節)
戦時中の軍営(軍事的な宿営)においては、兵士の負担を軽減するために以下の4つのラビ規定が免除・緩和されている。
①薪の調達
他人の所有地からであっても、どこからでも薪を調達することが許される。窃盗や強奪とは見なされない。
②手洗いの免除
パンを食べる前の儀礼的な手洗いが免除される。
③demai(デマイ)の免除
am haaretzから農作物を購入した際、改めてterumahなどを取り分ける義務が免除される。
④eruv(エルーヴ)の免除
宿営内の私的な領域間で物を運ぶために必要な「中庭の結合(eruvei chatzeirot:エルーヴェイ・ハツェイロット)」の手続きが免除される。この後具体的にその内容を扱う。
これらの内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Eruvin』の法理研究 第3回:『Eruvin』1章8節・10節における野外宿営(カルメリット)の境界要件、ラヴド(lavud)の幾何学的限界、および軍営における4つのラビ規定免除
https://note.com/mishnah/n/n6ed1540aae4a
ミシュナ『Eruvin』3章〜4章:安息日限界「techum(テフーム)」の概論
今回はその続きであるが、口伝律法ミシュナ「Eruvin」3章~4章は主にtechum(テフーム)について扱っている。まずは概論から述べる。
安息日には、自分の居住地から一定の距離を超えて移動してはならないという律法上の制限があり、許容範囲は2,000キュビット(約1キロ)とされている。この許容範囲をtechumと呼ぶ。
例えば居住地から2,500キュビットの所に目的地がある場合、安息日に行くことは出来ないことになる。
しかし安息日の始まる前に「eruvei techumin(エルーヴェイ・テフーミン)」という手続きを行うことで、安息日における移動可能範囲を事実上拡張することが可能である。
具体的には、安息日開始前の居住地とは別の場所に「拠点」を設定しておく。これにより、本来の場所から最大で4,000キュビットまで移動出来るようになる。下の図を見て欲しい。

赤い星印の付いている点が居住地である。円の中心に「拠点」を設定しておけば、次のように移動が可能になる論理である。
①居住地から「拠点」までの2,000キュビット
②「拠点」から円周上の地点まで2,000キュビット
「拠点」が移動の中心地になるので、2,000キュビット以内の移動という要件を満たしていることになるのである。
その手続がeruvei techumin(エルーヴェイ・テフーミン)と呼ばれている。eruvei techuminの設定方法は、安息日開始前に、「拠点」にしたい場所に「2食分」のパンを置くことで、そこを翌日の安息日の根拠地とする。「2食分」については、水と塩以外の食べ物であれば使用可能である。
野宿における身体的専有面積と4キュビット制限
他方で野宿をすることになり、特定の居住地を持たずに安息日を迎えた場合、身体的専有面積に基づく「4キュビット(約2メートル)」がその人の場所と見なされ、そこから外へは出てはならない。
これらtechumに関する詳細は以前の記事で詳しく解説したので、ここでは再び取り上げない。ただ、この先に進むにあたって必要な知識であるので、不確かな方は復習して欲しい。
◉安息日の移動制限「techum(テフーム)」の法理体系(上):出エジプト記16章及びミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』に基づく律法規定の詳解
https://note.com/mishnah/n/n507daf8d6dbe
◉安息日の移動制限「techum(テフーム)」の法理体系(下):ミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』に基づくeruvei techuminの規定と境界混合の定義
https://note.com/mishnah/n/nf2782ea232de
ミシュナ『Eruvin』6章:中庭の合併「eruvei chatzeirot」の法理体系
いよいよ今回から「Eruvin」6章に入り、eruvei chatzeirot(エルーヴェイ・ハツェイロット)について見て行くことにする。本文に入る前に概論から述べる。
以前の記事でも扱ったように、ミシュナ時代のイスラエルの民は特徴的な家の配置、中庭の配置を備えている。下の写真の通り、複数の家で共通の中庭を共有しているのである。

この中庭をchatzer(ハツェル)と呼ぶ。chatzerは図の黄色で囲ったエリアである。
ラビの規定により、安息日に自分の家から、自分と他の住民が共同で使用するchatzerへ物を運ぶことは禁止されている。この点、同じ中庭を共同利用する人々は、お互いの家と中庭の間で物を運ぶことを禁じ合う「制限」を加え合っている状態にあると言える。
制限解除の二大アプローチ:中庭の合併と権利の無効化
この制限を解除し、各自の家とchatzerの間の運搬を可能にするために、ラビたちは2つの手続きを規定している。
①eruvei chatzeirot(エルーヴェイ・ハツェイロット)
文字通りには「中庭の合併」を意味する。これにより、chatzerの全住民が法的に「一つの世帯」と見なされる。それぞれの家が安息日の間同一の世帯と見なされるので、中庭における運搬行為を制限する理由が無くなる。
eruvei chatzeirotの手続きは、上記のeruvei techuminと同様に安息日が始まる前に行わなければならない。
②権利の無効化 (nullification of rights)
中庭を使用する権利、または当日家屋に対する権利を放棄することである。これは口頭での宣言によって行われ、eruvei chatzeirotとは異なり、安息日の当日であっても行うことが出来る。
権利を無効化した人は、その安息日の間、中庭での運搬権を放棄したと見なされ、その日のみ共同利用者ではなくなる。その結果、残りの者がその空間の唯一の占有者となり、運搬が可能になる。
あるいはA、B、C、Dという4人の者がchatzerの共同利用者であり、B、C、Dがeruvei chatzeirotを設定したが、それにAが参加していなかったとする。
この場合4人ともchatzerへ物を運んだり、そこから家の中へ物を入れたりすることは出来ない。しかしAが安息日におけるchatzerの権利を放棄するなら、B、C、Dは自由に物を持ち運ぶことが出来る。なぜならB、C、Dは律法上「一つの世帯」を構成していると見なされるからである。
異邦人混在時における占有権の象徴的賃貸契約
ここまで、eruvei chatzeirotの基本的な考え方について説明した。今検討した事案では家屋の所有者が全員ユダヤ教徒である場合である。中庭の共同利用者の中に異邦人が混じっている場合、手続きは別の様相が加わることになる。
なぜなら宗教的な枠組みを共有出来ないので、異邦人にはeruvei chatzeirotという方法も、権利の放棄という方法も要求することが出来ないからである。
そこで、その異邦人から中庭における権利を賃貸するという方法を取る。これは市場価値に基づいた賃貸契約ではなく、安息日にchatzerへ物を運ぶ為の象徴的な法的行為である。
具体的には安息日が始まる前に、住民の代表者がその異邦人のところへ行き、「あなたの中庭への権利を、この硬貨と引き換えに安息日の間だけ貸して欲しい」と交渉する。
異邦人が同意して硬貨(または物品)を受け取った時点で、賃貸契約が成立する。この契約によって、その異邦人の権利が制限される訳ではない。上に述べたように、これは象徴的な行為である。
以上で安息日におけるchatzerの利用に関して概論を述べた。次回からミシュナ本文に入り、具体的な事案を検証する。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Eruvin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/ncb2fc95494d1
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
