ミシュナ「Ketubot(ケトゥボット)」逐条解説 第3回:婚姻における生存権・性的権利の法理的確定――職業別の義務と未亡人扶養の地域慣習差
*本稿は、古代イスラエルのモーセ五書(トーラ)と口伝律法ミシュナにおける婚姻法を、歴史学的・律法学的視点から解析する研究である。記述に含まれる性に関わる表現は、すべて一次資料の法定義を正確に論じるための学術的用語であり、性的好奇心を喚起する意図は一切含まれない。
本稿では、ユダヤ教口伝律法『ミシュナ』の「Ketubot(ケトゥボット)」4章から12章にわたる条文を精読し、2,000年前のイスラエル社会における婚姻の法的実態を解説する。
夫が負う「食事・衣類・性行為」の扶養義務は、単なる道徳的勧告ではなく、出エジプト記21章10節に根差した厳格な責務であり、それは妻の疾病や捕囚という極限状態においても、離縁とketubahの支払いによって相殺・回避できない性質を持つ。
特筆すべきは、夫の職業(労働者、運送業者、船乗り等)に応じて妻への性的義務の頻度を具体的に数値化した点、および未亡人の居住権においてエルサレムとユダヤ地方で見られる慣習の法的相違である。これらは、婚姻が女性の生存権と尊厳を守るための法廷条件として、いかに緻密に設計されていたかを証明している。「律法の現場」における真実を、船舶な解釈を排した学術的強度をもって記述する。
はじめに:前回の復習と本稿の射程
前回は以下の内容を扱った。
【1】「鉄の羊の財産(tzon barzel:ツォン・バルゼル)」:元本保証と運用益
新婦が夫の家に入る際に持ち込む財産の一つで、夫がその価値を保証し、ketubahに記載し、運用責任を負うものを指す。
夫は鉄の羊を運用して利益を得ることが出来るが、損失が出た場合も負担しなければならない。妻にとっては「価値が減らない(鉄のような)」財産となる。
(1,000ディナルに対し1,500ズズ)で記載する。これは夫が運用益を得られる為である。
一方、衣類や宝石などの動産は2割引きで記載される。
【2】「引き抜く財産(nichsei melog:ニフセイ・メログ)」:用益権と所有権
夫が所有権を持たず、そこから生じる収益のみを享受できる財産である。
結婚前に所有していたがketubahに記載されていないものや、結婚後に相続で得た財産などが該当する。
妻がこの財産を売却・贈与できるかについては、婚姻の段階(erusinかnisuin)や学派によって見解が分かれる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ「Ketubot(ケトゥボット)」逐条解説 第2回:結婚証書における法的義務と権利の確定――「鉄の羊」と「引き抜く財産」における実質的所有権の変遷と処分権の法理
https://note.com/mishnah/n/n9fc74c025762
夫が担う「生活・贖い・埋葬」の三元的責任
今回はその続きである。口伝律法mishnah「Ketubot」4章4節から始める。次のように書かれている。
もし彼女が結婚したら、夫が父よりも優るのは、彼女の生存中用益権を享受することである。彼はその生活、贖い、その埋葬について責任を担う。ラビ・ユダは言う、「イスラエルにおいて、最も貧しい者であっても、2人のフルート、1人の嘆く女は雇わなくてはならない。」
夫が父よりも優れている点は、妻が婚姻後に財産を相続した場合、その用益権を享受出来ることである。
これはすぐに後で出てくるが、もしも彼女が誰かに連れ去られることがあった場合、贖う義務があるからである。
夫は次のことに関して責任を担う。
①生活
これは食事とされる。しかし出エジプト記21章10節により、食事、衣類、性行為と解釈する見解もある。
もし、彼が別の女をめとった場合も、彼女から食事、衣服、夫婦の交わりを減らしてはならない。
②贖い
これは私たちの感覚では理解が難しいが、彼女が誘拐された場合、贖い金を払うことを指す。
③埋葬
妻の埋葬についての責任である。
以上に加えて、ラビ・ユダは妻の葬儀の時、少なくとも2人のフルート奏者と、1人の嘆く女を雇わなくてはならないとする。
それが「イスラエルにおいて、最も貧しい者であっても、2人のフルート、1人の嘆く女は雇わなくてはならない」の意味である。
次に進む。「Ketubot」4章9節である。これは上記「②贖い」に関連する。
非代替的な扶養義務:離縁状(get)による責任回避の禁止
もし彼女が捕えられたら、彼には彼女を贖う責任がある。もし彼が「ここにgetがあり、彼女のketubahもある。彼女が自分を贖えばよい」と言うなら、-彼はそうすることを許されない。
これは彼女が連れ去られた後、夫が離縁状(get:ゲト)を作成し、ketubahをもって贖い金に当てるように言った場合のことである。
それは許されない。彼は夫として彼女の為に贖い金を負担しなくてはならない。
次は上記「①生活」に関連する。
もし彼女が病気になったなら、彼にはその治療について責任がある。もし彼が「ここにgetがあり、彼女のketubahもある。彼女が自分を治せばよい」と言うなら、-彼はそうすることを許されない。
これは妻の病気の治療についても同様であることを言っている。夫は離縁状の200ズズまたは100ズズのketubahを当てるのではなく、自ら治療費を負担しなくてはならない。
次は妻の義務について規定している。
これらの仕事は女性が夫の為にしなくてはならない。粉を挽くこと、焼くこと、洗うこと、料理すること、子供の面倒を見ること、ベッドを作ること、羊毛で作ること。
妻が夫の為にする主な仕事が7つ挙げられている。
①粉を挽くこと
②焼くこと
パンを焼くこと。
③洗うこと
衣類を洗うこと。重労働である。
④料理すること
⑤子供の面倒を見ること
⑥ベッドを作ること
夫のベッドを作ること。
⑦羊毛で作ること
もし彼女が女奴隷を連れて来るなら、自分でする仕事が減ることになる。次のように書かれている。
もし彼女が1人の奴隷女を連れて来るなら、彼女には粉を挽くことも、焼くことも、洗うことも求められない。もし2人連れて来るなら、料理すること、子供の面倒を見ることも求められない。3人-彼女は彼のベッドを作ることも、羊毛で仕事をすることも求められない。4人-椅子に座っていればよい。
これは本文が素直であるので、特に解説することはない。女奴隷が多いなら、それだけ妻自身の仕事が減ることになる。
ただ、多くの女奴隷を連れて来ても、本人や家族の為に最低限の仕事をさせるべきとする見解もある。次のように書かれている。
ラビ・エリエゼルは言う、「たとえ彼女が100人の奴隷を連れて来ても、羊毛で仕事をさせるべきである。というのも、暇は不忠実に至るから。」
性的権利の数値化:職業別頻度と「暇は不忠実に至る」の法理
次は夫婦行為の頻度について言っている。上記引用の通り、トーラでは妻との性行為について「減らしてはならない」と命じている。
具体的にどの程度は保証しなくてはならないのか、そこまでは書いていない。それはラビたちに委ねられたことと言える。
次のように書かれている。
もし妻について夫婦行為をしない誓いをするなら、-Beit Shammaiは言う、「2週間である。」Beit Hillelは言う、「1週間である。」学生は30日間許可を得ずに出てよい、労働者は1週間である。
もし夫が性行為をしない誓いを立てるなら、どの程度の期間までが許容されるのかを言っている。
Beit Shammaiは2週間までは許容されるとする。
Beit Hillelは1週間までは許容されるとする。
学生はトーラの学びの為、30日間は家を留守にしてよい。家で仕事をしている労働者は、後述の通り週に2回の義務があるが、1週間自宅を離れることが出来る。
続きには次のように書かれている。
夫婦行為の権利はトーラに書かれている。時間の余裕のある者は毎日、労働者は1週間に2回、ろばに乗る者は1週間に1回、らくだに乗る者は30日間に1回、船乗りは6ヶ月に1回、これらはラビ・エリエゼルの言葉である。
箇条書きにすると、下のようになる。
①時間の余裕のある者
豪邸で生活しているような境遇の者とされる。毎日する義務がある。
②労働者
住んでいる町で雇われて働いている者。週に2回する。
③ろばに乗る者
市場まで出かけて行って、穀物を売る者。週に1回する。
④らくだに乗る者
遠方まで商品を運ぶ者。30日間に1回する。
⑤船乗り
地中海を渡って商売をする者。6ヶ月に1回する。
これらはラビ・エリエゼルの見解とされるが、halachahである。
以上の通り、職業(労働者、船乗り、学者など)によって夫婦行為の頻度が細かく定められており、女性の性的権利が保護されている。
次は夫を失った後の妻の生活についてのミシュナである。
未亡人の生存権:居住権の継続と地域別慣習(エルサレム・ガリラヤ・ユダヤ)の相違
もしやもめが言うなら、「私は夫の家から離れたくない」、相続人たちは「父の家に帰って下さい、私たちはあなたを養いません」と言うことは出来ない。むしろ、彼らは彼女の夫の家で彼女を養わなくてはならないし、彼女の名誉に相応しく、住まいを与えなくてはならない。
夫の死後、妻がその家から離れたくない意志を示した場合の対応である。
元々、夫はketubahに「自分が先立ったなら、妻は自分の財産で生活することが出来る」旨を明記しなくてはならない。
たとえその通りに書いていなかったとしても、妻にはその権利がある。次のように書かれている。
もし彼が「あなたはやもめになったなら、生涯私の家に住み、私の財産によって扶養される」と書かなくても、彼は有責である。
従って、相続人たちは妻を追い出すことが出来ない。
ただし、これには地域差がある。なぜなら「Ketubot」4章12節の続きには、次のように書かれている。
・・・なぜならそれが法廷によって確立された条件であるから。エルサレムの人たちは、このように書いたものであった。ガリラヤの人々はエルサレムの人々のように書いたものであった。ユダヤの人々は書いたものである。「相続人があなたにketubahを与える時まで。」つまりもし相続人が望むなら、彼らは彼女にketubahを与え、彼女を去らせてよい。
「エルサレムの人たちは、このように書いたものであった。ガリラヤの人々はエルサレムの人々のように書いたものであった」とは、エルサレムとガリラヤにおいては、妻が夫の家から離れたくない意志を示している限り、扶養しなくてはならない習慣である。
しかしユダヤにおいては異なる。ユダヤの人々は妻にketubahを与え、去らせることが出来る。
「もし相続人が望むなら、彼らは彼女にketubahを与え、彼女を去らせてよい」とは、そのことを言っている。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉ユダヤ法における結婚・離縁・家族の法理学
https://note.com/mishnah/n/ndeee1c7e77b4
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
