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ミシュナ「Ketubot(ケトゥボット)」逐条解説 第2回:結婚証書における法的義務と権利の確定――「鉄の羊」と「引き抜く財産」における実質的所有権の変遷と処分権の法理

*本稿は、口伝律法ミシュナ『Ketubot(ケトゥボット)』第6章及び第8章に基づき、婚姻に伴う財産権の移動を逐条解説するものである。

 妻が婚家へ持ち込む「鉄の羊の財産(tzon barzel:ツォン・バルゼル)」の運用責任と割増規定、「引き抜く財産(nichsei melog:ニフセイ・メログ)」におけるerusinからnisuinに至る処分権の制限を、Beit Shammai、Beit Hillel両学派及びラッバン・ガマリエルの論争を通じて詳解する。2,000年前のユダヤ法廷における用益権と所有権の峻別を、原典の論理構造に従い手加減抜きで提示する。

前回までの要説:結婚証書の定義と婚姻の二段階制


 前回は以下の内容を扱った。

【1】結婚証書(ketubah:ケトゥバ)の定義と目的

 結婚証書は、妻の法的地位を確定し、離縁や死別時に夫が支払う保証金を規定する法的文書である。この保証金は、妻のその後の生活(約1年間の衣食住)を保護する。

【2】婚姻の時期と司法手続きの連動

 おとめ(処女)は水曜日、やもめは木曜日に結婚すべきとされている。これは、当時の法廷が月曜日と木曜日に開かれていた為である。

 新郎が初夜の後に妻の処女性について疑念を持った場合、翌朝(木曜日)すぐに法廷へ訴え出ることができるよう、合理的に設定されたものである。

【3】保証金額(ketubah;ケトゥバ)の規定

 女性の身分や状態によって、保証される金額が異なる。

①処女: 原則として200ズズ。

②やもめ・再婚者: 原則として100ズズ。

③例外規定:

 結婚の第1段階(erusin:エルーシン)で夫と死別・離縁した処女などは、実質的に未婚であるため200ズズが認められる。

 改宗者や捕虜、元奴隷であっても、「3歳と1日」未満で解放・改宗した場合は、法的に処女と同等の権利(200ズズ)が認められる。

【4】婚姻の二段階制(erusinとnisuin)

 ユダヤ法では、結婚は2段階に分かれる。

①erusin

 律法上は既婚であるが、まだ父の家に住み、性交渉は行わない段階である。

②nisuin

 夫の家へ移り、生活を共にする。この段階を経た後の再婚では、保証金は100ズズとなる。

【5】祭司階級や地域による特例

 祭司の法廷では、処女に対する保証金を通常の倍である400ズズとする慣習があり、ラビたちもこれを容認していた。

 ユダヤ地方など一部の地域では、婚約期間中に新郎新婦が二人きりになる習慣があった。その場合、夫は後に「妻が処女ではなかった」と訴える権利を失う。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ「Ketubot(ケトゥボット)」逐条解説 第1回:結婚証書における法的義務と権利の確定――婚姻区分(erusin[エルーシン]/nisuin[ニスイン])に基づく保証金額の法的多層性と伝統的諸註釈の再構築

https://note.com/mishnah/n/na82003c4a72d

「鉄の羊の財産」:元本保証と運用益の帰属


 今回はその続きである。新婦が夫の家に入る時、財産を持ち込む場合について扱う。これには2種類あるが、順番に解説する。

 1つ目は「鉄の羊の財産」(tzon barzel:ツォン・バルゼル)と呼ばれる。

 これについて、夫はketubahに価額を記載した際の価値に責任を担う。彼はこれを運用して資産価値を増やした場合、その利益を得ることが出来る。

 しかし損失を被った場合、負担しなくてはならない。

 羊飼いは通常この方法で羊を請け負う。ただ、妻の場合結婚当初の価額が保証されているので、価値が減少しない鉄になぞらえ、鉄の羊の財産(tzon barzel:ツォン・バルゼル)と呼ばれているのである。

 口伝律法ミシュナ「ketubot」6章3節には次のように書かれている。

金銭・動産における査定額の算定根拠(Ketubot 6章3節)

 もし彼女が彼に1,000ディナル持って来ることに同意した場合、-これに対応して、彼は1,500ズズ約束しなくてはならない。しかし査定を要するものについては、5分1弱を約束する。

(Ketubot 6:3)

 これは妻が現金で1,000ディナルの支度金を持って来る場合である。この場合、夫はketubahに1,500ズズと記載しなくてはならない。

 ディナルとズズは等価である。

 妻の財産の半分を割増分として記載することになるが、これは夫はこの資金を運用し、利益を挙げることが出来るからである。

 他方で「査定を要するものについて」、これは衣類や宝石類等の動産を指しているが、5分の1を割り引いて記載する。1,000ズズのものなら、8,00ズズと記載する。

 割り引く理由は幾つかあるらしいが、1つには新婦の対面を守る為、査定が高めに行われやすいという事情があると言われる。

 妻は離縁または死別された時、以上の価額を保証される。

 以上で「鉄の羊」についての解説を終えた。

「引き抜く財産」:所有権なき用益権の法理


 2つ目は「引き抜く財産」(nichsei melog:ニフセイ・メログ)である。これは喩えると羊本体には触らずに、夫が毛だけ引き抜くイメージである。夫は所有権を持たないが、そこからの収益を享受することが出来る。

 これは以下の通りに分類出来る。

①結婚前に所有していた財産で、ketubahに記載していないもの。

②結婚後に相続などによって得たもの。

 どちらにしても、ketubahに記載はされない財産である。「引き抜く財産」に関しては、妻の処分権について諸説が入り乱れている。

 「Ketubot」8章1節を数回に分けて引用しつつ、解説する。

erusin段階における財産処分権の論争(Ketubot 8章1節)

 結婚する前に彼女のものになった財産について、-Beit ShammaiもBeit Hillelも同意していることは、彼女はそれを売ることも出来るし、贈与することも出来るし、その行為は有効であるという事である。もし結婚した後に彼女の財産になるのなら、-Beit Shammaiは言う、「彼女はそれを売ることが出来る。」しかしBeit Hillelは言う、「彼女はそれを売ることが出来ない。」どちらも合意していることは、もしそれを売ったり贈与したならば、有効である事である。

(Ketubot 8:1)

 ここではBeit ShammaiとBeit Hillelの2つの学派の見解について言っている。次のようにまとめられる。

 この箇所の「結婚」はerusinを指している。

【1】erusin前の財産

 Beit ShammaiもBeit Hillelも、妻は自由に処分出来るとする。

【2】erusin後に得た財産(nisuinの前)

 注意すべきは、この箇所の「結婚後」はerusinの後であるが、nisuinの前であるという事である。結婚は完成していない。

 この場合、Beit Shammaiは処分してよいとし、Beit Hillelは不可とする。

 しかしBeit Hillelも処分してしまったなら、それは有効であるとする。

 続きには以下のように書かれている。

ラッバン・ガマリエルの抗弁:救済義務と不当な処分制限

 ラビ・ユダは言った、「彼らはラッバン・シモン・ベン・ガマリエルの前で論じた。彼は妻を獲得したのだから、その財産を獲得するべきではないのではないだろうか?」彼は彼らに答えた。「私たちは新しいものに関しては恥じている。そしてあなたは私たちに古いものを強いている。 」

(Ketubot 8:1) 

 ラビ・ユダは、ラビたちがこの問題についてラッバン・シモン・ベン・ガマリエルの前で論じ、質問したことを証言している。

 そこにおけるラビたちの見解は以下の通りである。

①erusinによって、夫は妻に対して既に権威を持っている。

②従って、erusin後の妻の財産について、自由な処分を認めるべきではない。

③Beit Hillel学派は、erusin後の妻の処分を不可としているものの、事後的に有効とする。それは不適切ではないか。

 以上である。

 ラッバン・シモン・ベン・ガマリエルはこの見解に同意しない。

 しかしここで1つの事情を知っておく必要がある。

 妻がもしも異邦人に連れ去られた場合、夫には妻を贖う義務がある。その為、ラビたちはnisuin後に妻が相続などで獲得した財産を処分した場合、夫は売買を無効とし、取り戻す権限を認めた。

 ラッバン・ガマリエルはこの権限にも納得していない。それが「新しいものに関しては恥じている」の意味である。この「新しいもの」はnisuin後の財産を指している。

 それなのに、結婚が完成していない段階でも、妻の処分権を制限するのは「あなたは私たちに古いものを強いている」。これは理不尽であると強く反対しているものである。

 ラッバン・ガマリエルがなぜ結婚完成後の妻の処分権の制限にも、不服であったのかは明確でないが、夫の権利はあくまで妻の在世中の用益権であり、所有権は妻にあると考えたものとも思われる。

 続きである。

 もし結婚した後の財産であるなら、どちらも合意していることは、彼女は売ったり、贈与したりしたら、夫は買い主から取り戻すことが出来るという事である。

(Ketubot 8:1)

 Beit ShammaiもBeit Hillelも、nisuinの後の処分については、夫が取引を無効とし、相手から取り戻すことが出来るとする。

 次である。

 もし結婚する前に彼女のものになったなら、-ラッバン・ガマリエルは言う、「もし売ったり、贈与したりしたら、それは有効である」。ラビ・ハニナ・ベン・アキバは言った、「彼らはラッバン・ガマリエルの前で論じた、「彼は妻を獲得したのだから、その財産を獲得するべきではないだろうか?」彼は彼らに答えた。「私たちは新しいものに関しては恥じている。そしてあなたは私たちに古いものを強いている。」

(Ketubot 8:1)

 これは上述の事例と似ているが、一様にnisuin後に処分したものの制限について扱っている点で異なる。以下のようにまとめられる。

①ラッバン・ガマリエルによると、erusinの前であるなら勿論、それからnisuinまでの間に得た財産を、妻がnisuinの後に処分したら有効である。

②ラビ・ハニナ・ベン・アキバによると、結婚を完成したのなら、妻は完全に夫の権威に服する。従って完成前に取得した財産であっても、nisuin後に処分したものは、夫は取り戻すことが出来るのではないかとする。

③ラッバン・ガマリエルは、nisuin後に得た財産を処分する権利の制限にも不服なのに、それ以前の財産について、nisuin後の処分を制限することは納得出来ない。

 やや複雑であったが、理解出来たであろうか?

 次節に進む。

nisuin後の取引取消権とラビ・シモンによる公開性の基準

 ラビ・シモンは1つの種類の財産と、もう1つを区別している。夫に知られている財産、-彼女はそれを売ることが出来ない。もし売ったり、贈与したりしたら、それは有効ではない。夫に知られていない財産、-彼女はそれを売ることが出来ない。もし売ったり、贈与したりしたら、それは有効である。

(Ketubot 8:2)

 前節において、Beit ShammaiとBeit Hillelは「もし結婚した後の財産であるなら・・・彼女は売ったり、贈与したりしたら、夫は買い主から取り戻すことが出来る」としていた。

 彼らはnisuin後に妻が獲得した財産のみ、夫が売却先から取り戻す事が出来るとしていたが、タルムードによると、ラビたちは後になって考え直し、erusinの前に獲得し、nisuin後に売却したものであっても、夫の取消権を可能としたらしい。

 本節によると、ラビ・シモンは妻の財産を2つに分けている。

①夫に知られている財産

 それがerusinの前に彼女の所有となったものであれ、後であれ、nisuin後には売ることは出来ない。

②夫に知られていない財産

 彼女は売ることが出来ない。しかし売ってしまったなら、それは有効である。

 この見解はhalachahとされている。

 ユダヤ教の参考書では、「結婚」という語を用いて、それがerusinであるのかnisuinであるのか、明確でないところがある。

 しかし大体以上の解釈になると思われる。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉ユダヤ法における結婚・離縁・家族の法理学

https://note.com/mishnah/n/ndeee1c7e77b4

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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