ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第3回:「semichah(按手)」の法理的二面性と法廷人数論争、及び「eglah arufah(首を折られた雌牛)」における法廷人数論争(1章3節)
本稿は口伝律法ミシュナ第4部『Nezikin(ネジキン)』に属する『Sanhedrin(サンヘドリン)』の第3回目の解説である。
今回は『Sanhedrin』1章3節を取り上げ、トーラ(レビ記・民数記・申命記)のヘブライ語原典における「名詞の複数形」および「接続詞」の有無から、ラビ・シモンとラビ・ユダがどのように「3人法廷」および「5人法廷」のハラハー(実定法)を導き出したのかを検証する。
神殿犠牲への按手とラビ叙任の為の按手、その為に必要な法廷の人数、および犯人不明の殺人事件が発生した際、eglah arufah(エグラ・アルーファ)の儀式を行う為の測定手続きに必要な法廷人数について、妥協のない専門性をもって解説する。
前回の振り返り:『Sanhedrin』1章2節の法理要約
前回は『Sanhedrin』1章2節を取り上げ、「鞭打ち刑」に必要な判事の人数と、ユダヤ暦の維持に不可欠な「閏月・閏年」の宣言プロセスについて、聖書的根拠に基づいた解説を行った。
主な内容は以下の通りである。
【1】鞭打ち刑(39回の鞭打ち)を巡る人数論争
鞭打ち刑を下すために必要な判事の人数について、以下の2つの見解が対立している。
①3人法廷説
申命記25章1節の「(判決を下す)彼ら」という複数形表現を最小人数の「2人」と解釈し、多数決を可能にするための奇数1人を加えた「3人」を根拠とする。
②23人法廷説(ラビ・イシュマエル)
聖書において「悪い者(rasha:ラーシャー)」という言葉が、鞭打ちを受ける者と死刑に処される者の両方に使われていることに注目し、死刑と同様に23人の判事が必要であると結論付ける。
ゲマラでは、鞭打ち刑を「死刑の代わり」と見なす考え方も示されている。
【2】ユダヤ暦の調整(新月と閏年の判断)
太陰暦と太陽暦のズレ(年間約11日)を調整し、過越祭などの祭りを正しい季節(農耕サイクル)に合わせるための司法判断が行われる。
①新月の宣言
出エジプト記12章で神がモーセとアロンの2人に命じた記述に基づき、多数決に必要な最小奇数である3人で行われる。これにより、前月が29日か30日になるか確定する。
②閏年の判断(13ヶ月目の挿入)
これらについて、ラビ・メイルは3人で行うとしているが、地方の法廷で個々に判断するという意味ではなく、エルサレムの最高法院(大サンヘドリン)から選出された特別法廷で判断することを意味している。
【3】エルサレム最高法院による「審議拡張法理」
ラッバン・シモン・ベン・ガマリエルは、閏年(13ヶ月目の挿入)の決定プロセスにおいて「3人・5人・7人」と段階的に人数を増やす動的な意思決定の仕組みを示している。
①検討委員の任命
Nasiは閏年の検討の為に、最高法院の議員から7人を選ぶ。
②最初の検討
最初に7人の内の3人で検討する。
③継続審議の是非
3人の内の1名が議論を継続し、真剣な検討を要すると判断した場合、議論は継続されない。閏年は宣言されないことになる。
もしその内の2人が「追加のメンバーを加えて議論を継続するべきである」と意見した場合、更に2名が追加される。
④5人による検討
5人の内の3人が閏年の必要はないという意見であるなら、通常の年であることが決まる。
5人の内の3人が閏年の必要があると判断するなら、更に2名追加される。
⑤7人による宣言
5人による検討結果を踏まえ、7人で閏年を宣言する。
Maimonides(Rambam)によると、7人でも閏年の是非を審議する。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第2回:鞭打ち刑の判事人数論争、「月の日数決定(29日制/30日制)」と「13ヶ月目の挿入」を巡る最高法院の司法管轄権(1章2節)
https://note.com/mishnah/n/ne0ed9d053c08
『Sanhedrin』1章3節における「semichah(按手)」の二面性
今回はその続きで、口伝律法ミシュナ「Sanhedrin」1章3節に入る。まずは本文を引用する。
長老たちの按手と雌牛の首を切る儀式は3人でする。これらはラビ・シモンの言葉である。
最初に「長老たちの按手」について解説する。按手はヘブライ語でsemichah(セミハー)と呼ばれる。トーラではsemichahは全く異なる2つの意味で使われる。
神殿祭儀における共同体の贖罪の献げ物(chatat)と按手
まずは神殿において、献げ物を献げる時のsemichahについて解説する。いけにえを献げ物として献げる時、所有者がいけにえの頭に両手をのせ、力いっぱい押す。それから神に罪を告白するという手続きである。
通常semichahは個人がいけにえを献げる時に行われるが、トーラでは共同体の献げ物であっても、semichahを要する場合を規定している。その内の1つはYom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)のアザゼルの雄山羊であり、もう1つはレビ記4章で規定されている献げ物である。
トーラには次のように書かれている。
13イスラエルの共同体全体が過ちを犯した場合、そのことが会衆の目にあらわにならなくても、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、 14その違反の罪に気づいたときは、会衆は若い雄牛を贖罪の献げ物としてささげ、それを臨在の幕屋の前に引いて行く。 15共同体の長老たちは主の御前に立って牛の頭に手を置き、主の御前でその牛を屠る。
最高法院の誤った判断によって一定の罪をイスラエルの共同体の大部分が犯してしまった時、若い雄牛を贖罪の献げ物(chatat:ハッタート)として献げる。
「一定の罪」とは意図的に犯したならkaret(カレート)になり、不注意で犯したなら贖罪の献げ物を献げなくてはならない罪であり、重罪である。
この時献げるchatatは個人のものではなく、イスラエルの共同体の為のものであるが、semichahを要する。最高法院の議員たちによってsemichahが行われる。
判事・ラビの正式叙任
semichahのもう1つの重要な意味は、ラビとしての正式な叙任、判事としての叙任の儀式である。semichahによって判事に任じられると、罰金を課す権限も付与される。
この儀式にsemichahという単語を用いているのは、トーラに起源がある。次のように書かれている。
22モーセは、主が命じられたとおりに、ヨシュアを選んで祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせ、 23手を彼の上に置いて、主がモーセを通して命じられたとおりに、彼を職に任じた。
この箇所でモーセは、共同体の指導者としての権限をヨシュアに伝えたものである。
ミシュナ本文では、これら2つのsemichahは「3人でする」と述べている。特にラビの判事として叙任するsemichahについては、按手する3人の内の少なくとも1人は、モーセに遡る伝統的な叙任の系譜に連なっていなくてはならない。
以上で「長老たちの按手」についての解説を終えた。
「eglah arufah(エグラ・アルーファ:首を折られた雌牛)」の距離測定と大サンヘドリンの管轄権
次に「雌牛の首を切る儀式」について説明する。申命記21章において、聖地イスラエルで殺害された遺体が見付かり、犯人が誰であるのか分からない場合の対応について記されている。
この場合、遺体が発見された場所に最も近い町が、一度も働かせたことのない若い雌牛を耕作されていない谷へ連れて行き、その首を折るという儀式をしなくてはならない。トーラには次のように書かれている。
1あなたの神、主があなたに与えて、得させられる土地で、殺されて野に倒れている人が発見され、その犯人がだれか分からないならば、 2長老および裁判人たちが現場に赴き、その死体から周囲の町々への距離を測らねばならない。 3死体に最も近い町の長老たちは、労役に使われたことのない雌牛、すなわち軛を負わされたことのない若い雌牛を選び、 4長老たちは、その雌牛を水の尽きることのない川の、耕したことも種を蒔いたこともない岸辺に連れて行き、その川で雌牛の首を折らねばならない。
エルサレムの最高法院の役割は、どの町が遺体に最も近いか、距離を測定し判定を下すものである。それは地元のサンヘドリンではなく、エルサレムの大サンヘドリンによって行われなくてはならない。
雌牛の首を折る儀式自体は、最も近いと判定された町の裁判所によって執行される。
ミシュナ本文には「雌牛の首を切る儀式は3人でする」と書かれているが、正確に言うと「遺体から最寄りの町まで測定するのは、3人で行う」という事である。
ラビ・シモンが3人と述べている根拠は、上記引用のトーラにおいて「長老および裁判人たちが現場に赴き、その死体から周囲の町々への距離を測らねばならない」(申21:2)とあり、「長老および裁判人たち」が複数形で記されていることによる。
複数形の最少人数は2人であるが、法廷を構成するのは奇数でなくてはならないので、「3人」としたものである。
以上はラビ・シモンの見解による、レビ記4章15節のsemichahと、申命記21章2節の距離を測定するのに必要な人数である。どちらも3人である。
ラビ・ユダによる「5人法廷説」の言語学的・算術的根拠
これに対して、続きには次のように書かれている。
ラビ・ユダは言う。5人による。
ラビ・ユダ(Rabbi Judah)はどちらも5名必要であると主張する。彼も根拠をトーラに求めている。まずはsemichahの方から解説する。
レビ記4章15節における「複数形の重複」と奇数調整の論理
レビ記4章15節には次のように書かれていた。
共同体の長老たちは主の御前に立って牛の頭に手を置き、主の御前でその牛を屠る。
日本語の翻訳には表れていないが、文頭には「そして」の単語が付けられている。この部分は「そして共同体の長老たちは・・」と始まっており、この「共同体の長老たち」は、前の箇所に続く複数形であると解釈される。
分かりやすく言うと、下の通りになる。レビ記4章14節から、必要な単語を補うと、下のようになる。
14その違反の罪に気づいたときは、会衆(彼ら)は若い雄牛を贖罪の献げ物としてささげ、それを臨在の幕屋の前に引いて行く。 15(そして)共同体の長老たちは主の御前に立って牛の頭に手を置き、主の御前でその牛を屠る。
「会衆(彼ら)」+「(そして)共同体の長老たち」となり、「複数形」+「複数形」である。その最少人数は「2 + 2 = 4」であり、法廷の人数であるから奇数に調整すると、5人になる。
申命記21章2節における「名詞の並列」と5人判事の算定
次に身元不明の遺体から、最寄りの町までの距離の測定であるが、申命記21章2節には次のように書かれていた。
長老および裁判人たちが現場に赴き、その死体から周囲の町々への距離を測らねばならない。
この箇所では「長老(複数形)」+「裁判人たち(複数形)」であり、その最少人数は「2 + 2 = 4」である。法廷の人数であるから奇数に調整すると、5人になる。
以上の論理で、ラビ・ユダはどちらの場合も5人の判事を要すると判断する。
ハラハーとしての最終結論
ハラハーは以下の通りである。
①semichahはラビ・シモンの見解であり3人である。
②身元不明の遺体から、最寄りの町までの距離の測定については、ラビ・ユダの見解であり、5人である。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
