ミシュナ『Eruvin』の法理研究 第8回:『Eruvin』7章10節における「パン丸ごと」の法理と、タルムードに基づく長さ単位(手幅・キュビット)の現代センチメートル換算学説の詳解
*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Eruvin(エルーヴィン)』の第8回目の解説である。
今回は『Eruvin』7章10節の法理を論考。eruvei chatzeirotにおける「丸ごとのパン」の必要性、shitufei mevootとの制度趣旨の差異を解説。さらにタルムード(Menachot 41b)に基づく手幅・キュビットの厳格な定義と、ハゾン・イシュ、イグロス・モーシェ、ラビA.C.ノエによる現代センチメートル換算の3大見解を比較検証する。
前回の振り返り:『Eruvin』7章7~9節におけるeruv・shitufの規定量・補填と教育的配慮
前回はユダヤ教の口伝律法ミシュナの『Eruvin』第7章7~9節を取り上げ、安息日の移動制限を緩和するeruvei chatzeirot(エルーヴェイ・ハツェイロット)とshitufei mevoot(シトゥフェイ・メヴォオット)」の運用、準備する食料の分量、基準量を下回った場合の措置および教育的配慮等を解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】共有食料(shituf)の補充と新住民の参加(7章7節)
①食料の補充
共有していた食料(shituf)が減少した場合、不足分を補充して所有権を移転させる際、他の住民に通知する必要はない。これは、最初に共有を設定した際の同意に、補充への同意も含まれていると解釈される為である。
②完全消失時の対応
食料が完全に消失した場合は原則として再度の同意が必要であるが、同じ種類の食料を補充する場合は、元の共有の延長と見なされ通知不要とする説もある。
③新住民の加入
新しく住民が加わる場合、管理者が食料を追加するなら通知は不要であるが(他の住民にとって利益のみの行為であるため)、新住民自らが食料を提供する場合は、既存住民への贈与行為となるため同意が必要である。
【2】必要とされる食料の最低分量(7章8節)
shitufei mevootを成立させるための食料の分量は、住民の数によって決まる。
①住民が多い場合(18人以上)
全員分として合計「2食分」(卵6〜8個分、または干しイチジク18個分に相当)あれば、人数に関わらず有効である。
②住民が少ない場合(18人未満)
1人あたり「干しイチジク1個分」の容積が必要である。この「干しイチジク1個分」は、安息日に物を運んで罪に問われる最小単位に基づいている。
【3】設定と維持の区別、および教育的配慮(7章9節)
①設定と維持の法理
ラビ・ヨセによれば、上記の規定量はあくまで共有を「設定(確立)」する時に必要なものであり、一旦安息日が始まった後に食料が減少しても、わずかでも残っていればその有効性は維持される。
②子供たちへの教育
路地全体の共有が行われていても、個々の中庭内での共有手続き(eruvei chatzeirot)をあえて求めるのは、子供たちがこの律法の仕組みを忘れず、何の手続きもなしに物を運んでよいと誤解しないようにするための教育的配慮である。
このように、前回は実務的な所有権移転の法理から、律法の形骸化を防ぐための教育的意図までを解説したものである。
これらの内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Eruvin』の法理研究 第7回:『Eruvin』7章7~9節におけるeruv・shitufの設定・維持・補填と、法理の教育的配慮
https://note.com/mishnah/n/n13f562558cf1
『Eruvin』7章10節の原典解釈:水・塩の除外とラビ・ヨシュアの「パン丸ごと」の法理
今回はその続きで、口伝律法ミシュナ「Eruvin」7章10節である。まずは本文を引用する。
どんな食べ物でもeruvもしくはshitufに使ってよい。水と塩以外は-これらはラビ・エリエゼルの言葉である。ラビ・ヨシュアは言う。「パン(の全体)はeruvとして(有効)である。たとえ1セアで焼かれても、一部はeruvとして使えない。1イッサールの価値でも全体であるなら、eruvとして使える。」
本節の冒頭では、eruvei chatzeirotにおいても、shitufei mevootにおいても、水と塩以外の食べ物なら使うことが出来ることを述べている。水と塩は単体では「食べ物」と見なされず、eruvやshitufとしては不十分であると見なされるからである。
この見解はラビ・エリエゼル(Rabbi Eliezer)のものである。
これに対してラビ・ヨシュア(Rabbi Yehoshua)はeruvei chatzeirotにおいては、2つの条件が満たされることが必要であると主張する。すなわちeruvei chatzeirotにおいては、使う食料は「パン」であり、かつ「丸ごと一個」でなければならない。
eruvei chatzeirotの趣旨は、同じ中庭を共同利用している世帯を1つの世帯とすることである。家に住むことは食事をすることであり、彼らにおいて食事をすることとは「パンを食べること」である。
同じ世帯を構成している家主たちの中で、ある者は丸ごと1つのパンを提供し、ある者は無造作にちぎったパンを出したりすると、eruvei chatzeirotに参加する人たちの間で悪感情や不快感が生じるからである。
そこでラビ・ヨシュアはeruvei chatzeirotにおいて、それぞれの家主がパンを提供する場合、パンは丸ごと1つであることを要求する。
パンは丸ごとでなくてはならないという点について、ラビ・ヨシュアは「たとえ1セアで焼かれても、一部はeruvとして使えない。1イッサールの価値でも全体であるなら、eruvとして使える」という言い方をしている。
容積・通貨単位の換算とeruvei chatzeirot/shitufei mevoot/eruvei techuminの制度趣旨比較
単位を整理する。
1セア = 卵144個 = 8,640mL
すなわち8リットルを超える分量の粉でパンを焼いても、一部分であるならeruvei chatzeirotとしては使えない。
他方で、1イッサール(小さい硬貨の単位)で買える程度の少ない粉で焼いたパンであっても、全体であるならeruvei chatzeirotとして使える。
ただし、ラビ・ヨシュアもshitufやeruvei techuminについては、このような厳格な要件は求めていない。eruvei techuminについて不確かな方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉安息日の移動制限「techum(テフーム)」の法理体系(上):出エジプト記16章及びミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』に基づく律法規定の詳解
https://note.com/mishnah/n/n507daf8d6dbe
◉安息日の移動制限「techum(テフーム)」の法理体系(下):ミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』に基づくeruvei techuminの規定と境界混合の定義
https://note.com/mishnah/n/nf2782ea232de
なぜラビ・ヨシュアもshitufei mevootやeruvei techuminについては「パン丸ごと」を条件として求めていないかは、制度趣旨の違いによる。
上記の通り、eruvei chatzeirotの趣旨は、同じ中庭を共同利用している複数の世帯を「1つの世帯」とすることである。
これに対してshitufei mevootは1つの路地を共有していることを示すことにある。従ってパンである必要さえもなく、原理的に不公平感も生じない。
eruvei techuminについては、制度趣旨が個人的である。「安息日に通常の境界(2,000キュビット)を超えて移動する必要がある」という、本人だけの要請から行われる。
eruvei chatzeirotやshitufei mevootは「コミュニティ全体の調和や共有空間の形成」を目指すが、eruvei techuminはそうではない。
以上、簡単にではあったが、本シリーズで「Eruvin」の基本的な内容に触れることが出来た。最後に「Eruvin」でも度々出てくる長さの単位についてまとめる。
タルムード(Menachot 41b)における長さの基準:手幅(tefach:テファ)とキュビットの厳密な法理定義
本稿では大体1キュビット=約50センチ、1手幅=8~10センチで扱っている。
もう少し厳密な話は以下の通りになる。
タルムードによれば、1キュビットは6手幅で構成される。手幅は、指を「広げた状態(relaxed)」か、「握りしめた状態(compressed)」かによって異なる。その差は1キュビットにつき指の幅半分程の誤差になる。
「握りしめた状態(compressed)」とは指をきつく閉じた状態を指し、「広げた拳(relaxed)」とは指を緩やかにした状態を指す。
タルムード(Menachot 41b)によると、「1手幅 =(標準的な男性の)親指4本を横に並べた幅」である。これは人差し指5本、または小指6本の幅に等しいとされる。
適用ルールとしては、原則として、「より厳しい(制限的な)方の数値」を採用する。例えば、ミシュナにある「20キュビット以内」を測る際、数値が小さくなる「握りしめた手幅」でのキュビットを用いる。
ミシュナの単位を現代のセンチメートルやインチに換算する際、権威者によって意見が若干異なる。箇条書きでまとめると以下の通りになる。
現代センチメートル換算における3大権威(ハゾン・イシュ/イグロス・モーシェ/ラビ A.C. ノエ)の諸説比較
【ハゾン・イシュ (Chazon Ish) の見解】
1手幅 (1 tefach):9.65 cm
1キュビット:58 cm
20キュビット:11.60 m
【イグロス・モーシェ (Igros Moshe) の見解】
1手幅 (1 tefach):9.1 cm
1キュビット:54.6 cm
20キュビット:10.92 m
【ラビ A.C. ノエ (R' A.C. No'eh) の見解】
1手幅 (1 tefach):8 cm
1キュビット:48 cm
20キュビット:9.6 m
多くの権威者は、トーラで定められた「mitzvah(ミツヴァ)」を実行する際、安全のためにわずかに大きめの数値を使用することを推奨している。
以上で「Eruvin」の最後の記事を終える。
全能である方は永遠に讃えられますように。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Eruvin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/ncb2fc95494d1
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
