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ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第18回:安息日におけるtefillin・お守り(kamea)の着用制限、および武具・針・印章付き指輪の運搬をめぐるハラハーの判定基準(6章2節〜3節)

*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Shabbat(シャバット)』の第18回目の解説である。

 今回は第6章2節の後半から3節の前半に焦点を当て、安息日における「身に付けるもの」と「荷物として運ぶもの」のハラハー(律法)上の境界線を検証する。

 tefillinや護符(kamea:カメア)の着用可否、戦争の疑惑を招く武具(鎖帷子・兜・すね当て)の禁止理由、さらに違反時に「贖罪の献げ物(chatat)」が義務付けられる仕立屋の針や印章付き指輪の運搬法理について、当時の社会背景とともに手加減なしで徹底的に解剖する。


前回の振り返り:6章1節後半〜2節前半における装身具のラビ規定、Maimonides・Rambanの解釈対立、および鋲付きサンダル禁止の歴史的背景

 前回は『Shabbat』第6章1節の後半から2節を取り上げ、女性の装身具に関する外出制限、中庭での着用をめぐる論争、および男性の履物に関する歴史的禁止規定等を扱った。

 主な内容は以下の通りである。

【1】女性の装身具に関する外出禁止規定(6章1節後半)

 安息日に公的な領域へ身につけて出てはならない具体的な装身具が列挙されている。

①額のパッド

 金属製の額飾りの下に敷く布製のパッド(当て布)。

②金の町の飾り

 エルサレムの街並みが刻まれた王冠のような飾り。

③ネックレス・鼻輪・印章のない指輪・ピン

 以上のものは人に見せるために外して手に持つ(安息日違反になる)恐れがあるため禁止されている。

 ただしこれらはトーラの禁止命令の対象ではなく、ラビ規定による禁止であるので、違反しても「贖罪の献げ物(chatat)」を献げる義務はない。

【2】中庭(私的な領域)での着用とeruvei chatzeirot(エルーヴ・ハツェイロット)の論争

 これらの装身具を「中庭(複数の家が共有する私的空間)」で着用することの可否について、有力なラビの間で解釈が分かれている。

①Maimonides(Rambam)の説

 eruvei chatzeirotを設定していれば、中庭での着用は許可される。

②Nachmanides(Ramban)の説

 eruvei chatzeirotの有無に関わらず禁止。中庭での着用を許すと、そのまま公共の領域へ出てしまうリスクがあるため。

*eruvei chatzeirot(エルーヴ・ハツェイロット)に関する詳しい内容は、このシリーズの後の回で扱う。

【3】男性の装備品と「鋲を打ったサンダル」(6章2節)

 男性の履物に関しても、安息日の喜びを損なわないための特別な制限がある。

①鋲(びょう)を打ったサンダル

 補強用の鋲があるサンダルの着用は禁止されている。

 迫害時代、洞窟に隠れていた人々が外を歩く鋲の足音を敵の襲撃と誤解してパニックになり、多くの死者を出した惨劇があった。安息日にこの悲しい記憶を呼び起こさないための配慮である。

②一足(片方)だけの着用

 怪我をしていない限り、片方だけ履物を履いて外出することは禁止されている。もう片方を「運んでいる」という外観(疑わしい行為)を避けるためである。

【4】特定の装身具の例外

①イヤリング

 バンドで隠れており、人に見せるために外す手間がかかるため、外出時の着用が許可される場合がある。

②ピン(穴のない針)

 平日は髪を整える道具、安息日は頭飾りの固定に使われるが、外出先で髪型を直すために抜くリスクがあるため外出時は禁止される。

 このように前回の記事では、「外して持ち運ぶリスク」と「悲劇の記憶の回避」という二つの側面から、安息日の規定を守るための裁定を解説した。

以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第17回:『Shabbat』6章1~2節による額のパッド・宝飾品の中庭着用制限におけるMaimonidesとRambanの解釈対立、および鋲付きサンダル禁止規定の歴史的背景

https://note.com/mishnah/n/nb4397d00e1d1

『Shabbat』6章2節:tefillinおよび護符(kamea)の安息日着用におけるハラハー上の判定基準


 今回は口伝律法ミシュナ「Shabbat」6章2節の続きである。まずは本文から引用する。

 tefillin、kamea(カメア)、もしもそれが専門家によって作られていないなら、不可である。鎖帷子、兜、すね当ても同様である。しかしもし彼がそれで出かけたとしても、贖罪の献げ物は献げない。

(Shabbat 6:2)

公的な領域におけるtefillin運搬リスクとラビ規定による禁止


 順番に確認する。最初に「tefillin」についてだが、そもそも安息日にtefillinを身につけてよいのかどうか、タルムードで争いがある。身に付けるべきであるとする専門家もあり、身につけてはならないとする専門家もいる。

 安息日にtefillinを身につけてならないとする者たちは、tefillinが衣類でも装飾でもないことを理由として主張する。

 安息日にtefillinを身に付けるべきであるとする者たちも、外出する時にはtefillinをつけてはならないとする。

 お手洗いを済ませる時には、tefillinは外さなくてはならない。この点もしtefillinを着用して公的な領域へ出た場合、用を足す際にtefillin外さなくてはならないが、その際に外したtefillinを手で持って、4キュビット(約2メートル)以上運んでしまうリスクがある。その為にラビたちによって禁止されている。

 なお、安息日にtefillinを身に付けるべきという見解は、halachahとして受け入れられていない。

専門家(mumche)の成立要件とkameaの例外許可条件


 次に「kamea(カメア)」であるが、これはお守りのようなもので、
神の名前や祈りの言葉が書かれた羊皮紙を、特定の病を治すとされる薬草の根などと一緒に束ねたものある。首から下げて治療や予防のために用いられる。

 kameaについては「もしもそれが専門家によって作られていないなら、不可である」と書かれている。kameaであるならどのようなものでも安息日に着用してよいのではない。

 具体的にはkameaの製作者が過去に少なくとも3回、その製作物で治療に成功した実績がある場合、その人物は「専門家(mumche:ムムヘ)」とみなされる。

 mumche(ムムヘ)が作ったものであれば、たとえその特定のkamea自体がまだ未試用であっても、安息日に着用して外出することが許される。着用者がその効能を確信していれば、それは「荷物」ではなく「衣類の一部」と見なされるからである。

 反対に実績のない人物が作ったkameaは、安息日に着用出来ない。着用者が効能を信頼していない場合、途中で外して手で運んでしまうリスクがあるためである。

戦闘用武具の着用制限とmarit ayin(外観の疑惑)の法理


 次に「鎖帷子、兜、すね当て」についてである。まず「鎖帷子」についてであるが、日常生活に着用するものではない。もし鎖帷子を着用しているなら、戦争に行くという印象を与えるが、差し迫った危険が迫っているのでない限り、安息日に戦争をすることは禁止されている。

 たとえ本当に戦争をするのではないとしても、客観的に禁止される行為をしようとしている外観を作ってしまっている。そこで安息日に鎖帷子を着用することは出来ない。

 疑わしい外観は許容しない原則をmarit ayin(マリット・アイン)と呼ぶ。

 鎖帷子は私的な領域においても着用することは出来ない。疑わしい外観を作っていることで禁止されることは、私的な領域でも行ってはならない原則があるからである。

 次に「兜」であるが、鎖帷子と同様の理由で、安息日の着用が禁止される。

 「すね当て」も戦闘中でしか着用しない。やはり同じ理由で安息日の着用が禁止される。

ラビ規定による禁止と贖罪の献げ物(chatat)の免除

 本節の最後に「しかしもし彼がそれで出かけたとしても、贖罪の献げ物は献げない」と書かれている。たとえここで列挙された装身具や武具を安息日に身につけて外出してしまったとしても、贖罪の献げ物(chatat)を献げる義務は生じないことを言っている。

 なぜなら、これらは平日や戦闘時には実際に「衣類」や「装飾品」として着用されるものであるため、トーラが禁じる本来的な意味での「荷物」には該当しない。ラビたちが「うっかり手で持って運んでしまうこと」や「他人に疑念を抱かせること」を防ぐための予防的な禁止規定である。

 ここまで「Shabbat」6章2節の解説を終えた。

『Shabbat』6章3節:贖罪の献げ物(chatat)の義務を伴う安息日違反と通常運搬の法理


 少し振り返ると「Shabbat」6章1節では女性、6章2節では男性が安息日に身につけてはならないものを列挙したが、たとえ違反してもchatatを献げる義務は無かった。次節の6章3節では、もしも犯したらchatatを献げなくてはならない行為が列挙されている。まずは本文から引用する。

仕立屋の針に見る職業的習慣と運搬の通常性

 女性は目のある針、印章付きの指輪、カタツムリの形の髪飾り、香料の腕輪、水筒をもって出てはならない。

(Shabbat 6:3)

 穴の開いている針は裁縫道具であり、装飾の為ではない。仕立屋は日常的に針を自分の服に刺して持ち運ぶ。そこで仕立屋が不注意でそのようにして安息日に針を服に刺して運んだら、chatatを献げなくてはならない。

 女性は裁縫師でなかったとしても、裁縫には慣れているものである。そこでこの点で仕立屋と同様に見なされる。女性が安息日に針を服に刺して運んだら、chatatを献げなくてはならない。

 一般の男性がこの方法で針を運んでしまったとしても、chatatを献げる義務はない。なぜなら、彼は日常的に自分の服に針を刺して持ち運ぶことをしないからである。

印章付き指輪の男女間受け渡しにおけるハラハーの解釈対立


 次に「印章付きの指輪」についてである。印章付きの指輪を付けるのは男性であり、女性は付けない。そこで印章付きの指輪は女性の服飾品と見なすことは出来ない。勿論衣類でもないので、荷物と見なされる。もしも安息日に印章付きの指輪をして移動したら、chatatを献げなくてはならない。

 この点、女性が印章付きの指輪を嵌めて移動することは、通常の方法に拠らない運搬とする見方をするかもしれない。もしそれが正しいなら、女性にはchatatを献げる義務はないことになる。

 しかし男性はしばしば印章付きの指輪を外して妻に渡し、妻はそれを所定の場所まで嵌めて行くものである。従って、妻が印章付きの指輪を嵌めて運ぶことは、「通常の方法による運搬」に該当する。

 同様に夫が妻の印章の付いていない指輪を嵌めて移動したら、chatatを献げなくてはならない。なぜなら妻は指輪を職人に修理してもらいたい場合、外した指輪を夫に渡し、夫はそれを嵌めて職人の所へ行くからである。

 「Shabbat」6章3節の続きは次回とする。今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Shabbat』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n96f434acde54


 全記事の目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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