ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第21回:無知と忘却を巡る罪数計算ハラハーと、「領域間移動」における主観的・客観的価値の法理(7章1節、3節)
*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Shabbat(シャバット)』の第21回目の解説である。
今回は『Shabbat』7章1節と3節を取り上げ、安息日律法における「故意」と「過失(概念の無知・個別の無知・忘却)」の境界線、贖罪の献げ物(chatat)の算定法理を体系化。さらに39のメラハーの難所「領域間の移動」における最小基準量と主観的価値のハラハーを解説する。
前回の振り返り:安息日律法における故意・過失と贖罪の献げ物の算定基準
前回は『Shabbat』第7章1節に基づき、安息日の律法違反における「意図的(故意)」と「不注意(過失)」の境界線、および過失の際の「贖罪の献げ物(chatat)」の算定基準について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】意図的な違反と不注意による違反の区別
安息日に禁止される仕事(melachah)を犯した場合、その動機によって法的な結果が異なる。
①意図的な違反
2人の証人による事前の警告があったにもかかわらず故意に行った場合、地上の法廷による死刑、あるいは天上の法廷による刑罰(karet:カレート)の対象となる。
②不注意(過失)による違反
以下の3つのケースに分類され、「贖罪の献げ物(chatat)」を献げることで贖う必要がある。
・安息日の律法そのものを知らなかった。
・一般的な律法は知っていたが、特定の行為が禁じられているとは知らなかった。
・律法は知っていたが、その日が安息日であることを忘れていた。
【2】 贖罪の献げ物(chatat)の算定規則
不注意で複数の違反を犯した場合、献げるべきchatatの数は「誤りの原因」に基づいて決まる。
①原則
一つの同じ誤りから生じた複数の違反(例:安息日であることを忘れて複数の仕事を行った)に対しては、一つのchatatで足りる。
②例外
違反の間に自分の間違いに気づき、その後再び忘れて同じ行為を繰り返した場合は、新たなchatatが必要になる。
【3】安息日律法を知っている者による長期間の違反
「Shabbat」7章1節では長期間にわたって違反を繰り返した場合の具体的な算定基準が示されている。
安息日に仕事をしてはいけないと理解している人が、何週間も曜日を間違えて安息日にmelachahを行ってしまった場合、違反した安息日の日数分(週の数)のchatatを献げなければならない。
律法では、一週間過ごす間にどこかで「今日が何曜日か」に気付く機会があったはずだと推定される。そのため、次の週の違反は「以前の誤りの継続」ではなく「新たな誤り」と見なされる。
【4】禁止行為の分類:avot(アヴォット)とtoladot(トラドット)
安息日に禁止されている仕事(melachah)は、臨在の幕屋に由来する根本的な仕事である「avot(父たち)」と、それらに類似した派生的な仕事である「toladot(子供たち)」に分類される。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第20回:安息日自体の忘却と安息日律法の無知を巡るハラハーと、贖罪の献げ物(chatat)の算定基準(7章1節)
https://note.com/mishnah/n/nda96e02735b2
ミシュナ『Shabbat』7章1節(後半):トーラの知識の欠如と罪数計算の法理検証
今回は「Shabbat」7章1節の続きである。まずは本文を引用する。
安息日であることを知りながら多くの安息日で仕事をした場合、それぞれの仕事のカテゴリーに従って有責になる。
安息日に禁止されるmelachahは39個であり、これらはavotと呼ばれるが、異なるmelachahを犯した場合、それぞれのmelachahごとにchatatを献げなくてはならない。
同じmelachahを多くの安息日で犯した場合は1つのchatatで足りるが、異なるmelachahの場合は、それぞれのmelachahを1回しか犯していないとしても、melachahの種類の数だけのchatatを献げることになる。
しかし、これについては細かい点まで網羅しなくてはならない。
安息日の概念自体の無知(根本的誤り)における一括贖罪
もしも安息日の基本的な事柄について無知である場合、39種類の個別のmelachahに違反したとしても、根本的な意味では「1つの誤り」、すなわち安息日の概念を知らなかったという1つの過ちにすぎない。
もしその人が安息日の基本的な知識の1つでも持っていたなら、そこから派生する様々な律法をすべて学ぼうとした筈だからである。従って、彼のすべての行為は1つの誤りの結果と言え、その1つの誤りから生じたすべての違反を贖うには、1つのchatatを献げるだけで足りる。
特定禁止事項の無知(個別的無知)における有責性の独立
一方で、安息日の一般的な律法は知っているが、特定の具体的な律法については知らない者の場合、その知識の欠如を1つの過失に帰することは出来ない。
彼が知らないそれぞれのmelachahは、個別の「無知」を表しているからである。
更に、ある1つのmelachahを知らなかったことに気付いたからといって、それが他の知らないmelachahに気付くきっかけになると言うことも出来ない。従って、彼は知らないmelachahの一つ一つに対して個別に責任を負うことになる。
ただし、同じmelachahに属するすべての違反は、1つの特定の禁止事項に対する無知、つまり「1つの誤り」の結果であるため、このすべての違反を贖うには、1つのchatatで足りる。さらに、これらの違反が複数の異なる安息日にわたって繰り返されたとしても、それらはすべて一つの誤りの一部と見なすことが出来る。
時系列の誤り(忘却)と知識の欠如(無知)のハラハー的相違点
時間の経過によって誤りが認識されると律法が推定するのは、誤りが「時系列的な性質」を持つ場合、つまり、その日が何曜日か分からなくなった場合に限られる。通常、人は時間の経過とともに実際の曜日に気付くからである。
誤りが「トーラの知識の欠如」にある場合、時間の経過だけでその誤りが修正されると前提することは出来ない。この誤りは安息日の律法を学習することによってのみ解消されるものである。
総括:過失パターン(a)(b)(c)におけるchatat義務の体系的分類
以上によりこの箇所のミシュナでは、それぞれのmelachahごとのchatatを義務付けている。
ここまでで「Shabbat」7章1節を終えたので、その内容を以下にまとめる。
(a) 安息日の基本的な知識に無知であった場合
違反したmelachahの種類や、違反が何回の安息日にわたったかに関わらず、一度に1つのchatatを献げる義務があるのみである。すべての違反は「1つの間違い」を構成する。
(b) 安息日の律法は知っているが、特定の掟(禁止事項)をいくつか知らなかった場合
違反したmelachahの種類ごとに1つのchatatを献げる義務がある。それぞれのmelachahの種類において、何度違反を繰り返しても、また何回の安息日にわたっても、各melachahにつき1つのchatatを献げる。
(c) 安息日の律法はすべて知っているが、曜日を忘れていた場合
違反が起こった安息日ごとに1つのchatatを献げる義務がある。その安息日にいくつのmelachahを侵したかは問わない。それぞれの安息日が個別の誤りを構成する。
従ってchatatを幾つ献げなくてはならないかの判断は、正しく状況を分析出来ることが前提になる。
続く「Shabbat」7章2節については、本稿の第1番目の記事で詳しく扱った。内容は39個のmelachahとその具体的な行為の解説である。この辺りの知識に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉安息日に禁じられた39のmelachah(メラハー):ミシュナ「Shabbat(シャバット)」により解明される、幕屋建設に関わる創造的活動
https://note.com/mishnah/n/n3c7de6af9a9c
ミシュナ『Shabbat』7章3節:ある領域から別の領域への移動(運ぶmelachah)の導入
39個のmelachahを確認した前提で、「Shabbat」7章3節に入る。本節からミシュナは39個のmelachahの詳細な検証をする。ミシュナ全体でよく見られる手法であるが、ここでもリストの最後に挙げられた項目、すなわち39番目のmelachahから検討を始めている。そのmelachahは「ある領域から別の領域への移動」である。
本節から第11章の始まりまで、ミシュナは安息日に物を移動させた際に罪の責任を負うことになる「最小限の分量」について、対象となる物体ごとに論じていく。
その導入として、次の「Shabbat」7章3節では、あらゆる物体に適用される最小量に関する一般的規則を定めている。
基準量(最小限の分量)の有無とトーラ・ラビの罰則境界線
最小量に満たない量であっても、トーラによって禁じられてはいるが(Yoma 74a)、違反による刑罰や、不注意の違反に対するchatatが課されるのは、その違反によって「少なくとも実質的な結果が得られる場合」、すなわち最低限の分量以上である場合に限られる。
基準量に満たないものは、トーラによる特定の裁定を下すにはあまりに微々たるもの(無意味なもの)と見なされる。ただし、そのような場合でもラビによる罰則(禁令)の対象となる可能性はある。
以上を概論として、口伝律法ミシュナ「Shabbat」7章3節の本文に入る。
有責性を決定する2つの条件:「保管価値の有無」と「基準量の充足」
彼らはまたもう1つのルールを定めた。「何であれ、保管する価値のあるもので、それだけの量を保管し、誰かが安息日に運ぶなら、彼は贖罪の献げ物に関して有責である。」
冒頭の「彼らはまたもう1つのルールを定めた」とは、安息日の律法違反の場合のchatatについて、別の規則を定めたことを言っている。ここで問題になるのは「ある領域から別の領域へ運ぶ」melachahに関する特則である。
「何であれ、保管する価値のあるもので、それだけの量を保管し、誰かが安息日に運ぶなら、彼は贖罪の献げ物に関して有責である」と書かれている。
chatatに関して有責である為には、2つの条件が満たされる必要がある。
①保管する価値のあるもの
②保管する価値の分量のあるもの
順番に解説する。①に関しては、逆を考えると分かりやすい。「保管する価値のないもの」とは、たとえばアシェラの木(偶像崇拝に使われる木)である。
偶像崇拝に使われたものから、ユダヤ教徒は如何なる利益を得てはならない。「保管する価値のないもの」を安息日に運んだとしても、chatatについて有責ではない。
「保管する価値のあるもの」を運んだなら、chatatについて有責である。
次に②の「保管する価値の分量のあるもの」についてだが、そのもの自身には価値があっても、最低限の分量以上でないなら、結局価値がないことを言っている。
最低限の分量に満たないなら、安息日に運んだとしてもchatatについて有責ではない。
結論として、chatatに関して有責である為には、そのものに保管するだけの価値があり、かつ、最低限の分量以上であることを要する。
続きには次のように書かれている。
主観的価値と客観的価値のハラハー:特定保管者(A)の有責性と一般人の免責
何であれ、保管する価値のないもの、またはそれだけの量を保管せず、誰かが安息日に運ぶなら、それを保管した者が有責である。
これは次の2つの場合を指している。
①誰かが(Aとする)保管する価値のないものを保管している。
②Aが保管する価値のあるものを、最低限の分量よりも少ない量を保管している。
この場合、安息日にAがこの物を運ぶなら、有責である。しかしA以外の人が運んだら、有責ではない。Aにとっては価値があるが、一般の人にとっては、全く価値のないものである。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Shabbat』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n96f434acde54
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
