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ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第20回:安息日自体の忘却と安息日律法の無知を巡るハラハーと、贖罪の献げ物(chatat)の算定基準(7章1節)

*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Shabbat(シャバット)』の第20回目の解説である。

 今回はミシュナ『Shabbat』第7章に入り、安息日における意図的な律法違反に対する最高刑の条件、そして不注意(過失)による違反において「贖罪の献げ物(chatat)」がいくつ必要になるのかという法理的算定基準を解説する。

 「安息日自体の忘却」と「個別の禁止行為の無知」の違い、さらに客観的な時間の経過(曜日の感覚)がもたらす法的推定について、Rashi(ラシ)の注解を交えて手加減なしに深く考察する。


前回の振り返り:『Shabbat』6章3節〜4節のハラハー基準

 前回はミシュナ『Shabbat』第6章3節後半から4節に基づき、女性の装身具、男性の武具と「荷物」を分けるハラハー(律法)を解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】女性の装飾品と「荷物」の判定(6章3節)

 安息日に女性が身につけて外出することを禁じられ、違反した場合に贖罪の献げ物(chatat)が必要となる品目が挙げられている。

 すなわち目(穴)のある針、印章付き指輪、カタツムリ型の髪飾り、香料の束、香水瓶である。

 ラビ・メイル(Rabbi Meir)はこれらすべてをトーラ違反としたが、ラビたちは「香料の束」と「香水瓶」については装飾品と見なしている。ただし、「香料の束」と「香水瓶」も、外して他人に見せてしまうリスクがあるので、ラビ規定によって外出時の着用は禁じられている。

【2】男性の武具携行をめぐる論争(6章4節)

 男性が5つの武具(剣・弓・盾・丸い盾・槍)を持って外出することの是非が論じられている。

①原則

 これらの武具は衣類でも装身具でもないため、持ち出すことは「荷物の運搬」にあたり、重大な違反(chatatの義務)となる。

②ラビ・エリエゼル(Rabbi Eliezer)の主張

 武具は男性にとっての「装身具(飾り)」であり、身に着けて外出してもよいと主張した。その根拠として、剣を威光として称える詩編45編4節を引用している。

③ラビたちの反論(多数派)

 武具は装身具ではなく「恥」であると反論した。根拠として、「剣を打ち直して鋤とする」というメシア時代の平和を預言したイザヤ書2章4節を挙げ、真に優れたものであればメシア時代にも存在するはずであると主張した。

④結論(ハラハー)

 ラビたちの見解が支持され、武具の携行は禁止されている。

【3】法理上の決定的な違い

 「Shabbat」第6章2節と4節で扱われる品目の法的な扱いの違いが対照されている。

①防具(鎖帷子・兜・すね当て)

 これらは「衣類の一種」と見なされるため、外出禁止はラビ規定に留まる。違反しても贖罪の献げ物は不要である。

②武器(剣・弓・盾など)

 これらは「衣類でも装身具でもない荷物」に分類される。従って、安息日の携行はトーラ違反となり、贖罪の献げ物を捧げる義務が生じる。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第19回:安息日における武具の携行制限:ラビ・エリエゼルの装身具論とメシア預言(イザヤ書)に見るハラハーの境界線(6章3節〜4節)

https://note.com/mishnah/n/n93ffc5c3118a


安息日(Shabbat)における意図的な冒涜と過失(不注意)の法的条件(Yad Avraham概論の要約)


 今回から「Shabbat」7章に入る。まずはYad Avrahamの概論の要約から始める。

 意図的な安息日の冒涜、すなわち律法で禁じられた行為を故意に行うことは、死刑に値する。しかし法廷がこの刑を科すことができるのは、以下の条件を満たす場合に限られる。

①2人の適格のある証人が事前に違反とその罰について警告したこと。

②警告の直後に侵犯行為が行われたこと。

 これらの条件のいずれかが満たされない場合、その事案は地上の法廷の管轄から外れるが、karet(カレート)と呼ばれる天上の法廷による刑罰の対象となる。

不注意による違反(過失)の3大分類と贖罪の献げ物(chatat)の算定規則


 以上は安息日に禁止された行為を意図的に侵犯した場合であるが、不注意で侵犯した場合、chatatを献げることで贖わなければならない。

 このような不注意による違反は、以下の3つの誤りのいずれかによって生じる。

(a)安息日の律法そのものを知らなかった。

(b)安息日の一般的な律法は知っていたが、特定の行為が禁じられていることを知らなかった。

(c)安息日の律法は知っていたが、その日が安息日であることを忘れていた。

 基本的に、理論上は行ってしまったmelachah(安息日に禁じられた仕事)の一つ一つに対して責任を負うべきであるが、一つの同じ誤りの結果として犯されたすべての不注意な違反に対しては、一つのchatatを献げるだけで十分とされる。

 一方で、異なる誤りから複数の違反が生じた場合(例:複数の安息日の禁止事項を知らなかった場合)は、違反の原因となった誤りごとに個別のchatatを献げる必要がある。

 この規則には重要な限定条件がある。1つのchatatが、1つの誤りに起因するすべての違反を贖えるのは、それらすべての違反が、その間にその誤りに気づくことなく行われた場合に限られる。

 もし違反を犯した後に誤りに気づき、その後その禁止事項を忘れて最初の違反と全く同じ行為を繰り返したら、2つ目のchatatを献げる必要がある。

 「Shabbat」7章では、どのような場合に1つのいけにえを献げる義務があり、いつ複数のいけにえを献げる義務があるかの判断を示している。

臨在の幕屋に由来する禁令:avot(父たち)とtoladot(子供たち)


 次は復習事項であるが、安息日に禁止されているmelachahは大きく2つに分類される。

①avot(アヴォット:父たち)

 臨在の幕屋に関連する仕事を指す。

②toladot(トラドット:子供たち)

 その目的や本質においてavotに類似したタイプの仕事を指す。

 以上を前提にミシュナ「Shabbat」の7章に入る。まずは7章1節の本文の引用から始める。

ミシュナ『Shabbat』7章1節本文の引用と「安息日自体の忘却・安息日律法の無知」をめぐるハラハー解釈

 安息日に関する主なルールはラビたちによって定められている。誰でも安息日が如何なる日であるのかを忘れ、多くの仕事を何日もの安息日に行なうなら、1つの罪の為に贖罪の献げ物を献げる。

(Shabbat 7:1)

「既知の安息日の忘却」と「始めからの安息日律法の無知」におけるchatat有責性の論争

 まずは「安息日が如何なる日であるのかを忘れる」ことについて解説する。これは大きく2つに分類される。

①かつては知っていたが忘れた人

 一度は安息日の律法を知っていたが、後に忘れてしまったケース。

②最初から知らなかった人

 非ユダヤ人の間で育った子供や、非ユダヤ社会の中で改宗したため、安息日の律法が存在すること自体を一度も知らなかったケース。

 「かつては知っていたが忘れた人」、「最初から知らなかった人」が安息日のmelachahを行ってしまった場合、chatatを献げる義務があるのか問題になる。

 これに関して2つの見解が示されている。

第1の見解

 安息日の律法を一度も知らなかった者は、違反を避けることが不可能であったため、chatatを献げる義務は一切ないと考える。

第2の見解(多数派)

 無知は不可抗力の根拠にはならない。教えを請う相手を探すことは可能だったはずであり、理論上は回避できた違反であるため、chatatを献げる義務があると考える。

ミシュナの文言表現「忘れ」に対するRashi(ラシ)の法理的注解


 第2の見解を取る場合、ミシュナ本文で「誰でも安息日が如何なる日であるのかを知らずに」と言わずに「誰でも安息日が如何なる日であるのかを忘れ」と表現していることの理由が必要になる。

 この点について、Rashiはもしも「誰でも安息日が如何なる日であるのかを知らずに、多くの仕事を何日もの安息日に行なうなら、1つの罪の為に贖罪の献げ物を献げる」と書いたなら、忘れた場合には安息日ごとにchatatを献げなくてはならないという誤解が生じるからと説明している。

 ミシュナが「安息日が如何なる日であるのかを忘れ、多くの仕事を何日もの安息日に行なうなら、1つの罪の為に贖罪の献げ物を献げる」と書いたのは、忘れていた場合、たとえ複数の安息日で違反していた場合であっても、1つのchatatを献げることを明確にする為である。

 続きには次のように書かれている。

出エジプト記31章16節に基づく聖書的根拠と、週の間の「気づき」の法的推定

 安息日が如何なる日であるのかを理解し、かつ多くの仕事を何日もの安息日に行なうなら、それぞれの安息日の為に有責になる。

(Shabbat 7:1)

 「安息日が如何なる日であるのかを理解している者」とは、トーラにおいて安息日にmelachahをしてはならないことを知っている者を指す。

 「かつ多くの仕事を何日もの安息日に行なうなら」とは、安息日にmelachahをしてはならないことを知っている者が、複数の安息日にmelachahを行った場合を指している。

 「それぞれの安息日の為に有責になる」とは、違反した安息日が2日であるなら2つのchatat、3日であるなら3つのchatatを献げることを言っている。

 安息日の日数だけchatatを献げる根拠はトーラに求められる。

 イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。

(出31:16)

 この本文の「安息日」は単数形で書かれている。安息日の戒めについて理解している者が侵犯したなら、安息日の日数だけchatat献げなくてはならないことが示されていると解釈されている。

 一週間を過ごす中で、その日が実際には何曜日であるかに気づかずに過ごすことは非常に考えにくいので、律法はその人が週の間のどこかで自分の間違いに気づいたはずであると推定する。

 従って次の安息日に再び過ちを繰り返すことは、以前の誤りの継続ではなく、新たな誤りであると見なされる。たとえ本人が途中で間違いに気付いた記憶がなかったとしても、免責されない。

 次回、「Shabbat」7章1節の残りの箇所を扱う。今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Shabbat』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n96f434acde54


 全記事の目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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