ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第9回:消火のmelachah(メラハー)と補助的油つぼをめぐる法理(2章4節)
*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Shabbat(シャバット)』の第9回目の解説である。今回は『Shabbat』2章4節を扱い、安息日に禁止される39のアヴ・メラハー(av melachah:主要な禁止労働)のうち、36番目に相当する「消火」の定義をめぐり、中世の高名な注釈書であるトサフォート(Tosafot)とRosh(ロシュ:ラビ・アシェル・ベン・イェヒエル)の間で交わされた、燃料(油)の抜き取りと消火の因果関係(直接的消火か間接的消火か)に関する法理的対立を緻密に解析する。
ミシュナ本文が規定する「卵の殻」「土器」「ボウル」という3つの具体的な補助的油つぼ(燃料供給システム)の事例を挙げ、タンナ・カンマ(Tanna Kamma:多数派のラビ)が敷いた過失による消火違反を防ぐ「予防線の法理」、およびこれに対するラビ・ユダ(Rabbi Judah)の容認裁定の論理を紐解く。
また、陶器師が元から備え付けた「一つの器」と見なされる物理的・心理的一体性の法理までを踏み込み、日本語圏における聖書学・ユダヤ教法理の最高峰の網羅性をもって解説する。
前回の振り返り:ミシュナ『Shabbat』2章1節の法理
前回は、ミシュナ『Shabbat』2章1節に基づき、安息日の灯火の義務と、そこで使用が制限される「芯」と「油」の材料について解説した。
主な内容は以下の3点である。
【1】安息日の灯火における「喜び」と「敬意」
安息日が始まる前に明かりを灯すことは、イザヤ書58章13節の記述に基づき、ラビたちによって義務付けられている。この灯火には2つの法的な意味付けがある。
①安息日の喜び(オネグ・シャバット)
暗闇での怪我を防ぎ、何を食べているか見えるようにすることで、安息日を喜びの内に過ごすためのもの。
②安息日への敬意(カヴォド・シャバット)
安息日という聖なる日を尊び、祭日のような華やかな雰囲気を作るためのもの。
【2】使用が禁止される材料とその理由
安息日のランプには、炎が安定して燃え続け、油をよく吸い上げる素材が求められる。2章1節では、これに適さない以下の材料の使用が禁止されている。
①芯の材料
杉の樹皮、梳(くしけず)っていない亜麻、真綿、柳の樹皮、砂漠の繊維、海藻。これらは燃え方が不均一であったり、油の吸い上げが悪かったりするため、芯には不適切とされる。
②油の材料
溶解したアスファルトや蝋、綿種油(kik)、焼かなければならない油(祭儀的に汚れたterumahの油のこと)、羊の尾の脂、ヘレヴ(食用禁止の脂肪)。
【3】「過失による点火」を防ぐ予防線の法理
これらの材料が制限される最大の理由は、安息日に禁止されている39の仕事の一つである「点火(火を調整すること)」を未然に防ぐためである。
①ランプの調整防止
吸い上げの悪い油や不安定な芯を使うと、明かりを強めようとして無意識にランプを傾けたり炭をいじったりする恐れがある。
②心理的要因
明かりが不十分だと安息日の喜びを享受出来ず、食卓を離れてしまうことも懸念される。
③cheilev(ヘレヴ)の全面禁止
聖書で食用が禁じられている「cheilev(ヘレヴ:脂肪)」については、加工の有無による混乱を避けるための予防措置として、例外なく使用が禁じられている。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第8回:安息日の灯火の義務と、芯・油の適格性をめぐる法理(2章1節)
https://note.com/mishnah/n/ne8503856173a
安息日に禁止されるmelachah「消火」をめぐるラビたちの法理対立
今回はミシュナ「Shabbat」2章の続きであるが、その前に安息日に禁止されるmelachahの1つ「消火すること」について触れる。
火を消す行為は「アヴ・メラハー(av melachah:主要な禁止労働)」の36番目に相当する。この「av」は「父親」を表し、「av melachah」で「禁止される主なmelachah」を表す。
以前の記事でも触れた通り、av melachahとして安息日に禁止される仕事は39個ある。しかしこれに類似する行為は「toladot(子供たち)」と呼ばれ、やはり安息日に行うことは禁止されている。
「消火すること」はav melachahの1つである。
タルムードの解釈部であるゲマラ(Gemara)によると、安息日に燃えているランプから少量の油を取り出すだけでも、消火行為をした責任(有罪)を問われるとされている。
その理由については、若干見解が分かれている。
①トサフォート(Tosafot)の見解
油の量を減らすことは、即座に炎の勢い(強度)を弱めることにつながり、それは「炎の一部を消したこと」と同等であると考える。
②Rosh(ロシュ:ラビ・アシェル・ベン・イェヒエル/ Rabbi Asher ben Jehiel)の見解
油を抜くことで、本来燃え続けるはずだった時間よりも「早くランプが消える原因」を作るため、消火と見なされると考える。
Tosafotは、Roshの意見に対して「油を抜いてもその瞬間に炎に変化がないのであれば、それは直接的な消火ではない」と反論している。油を抜くことは間接的に消火を引き起こす行為に過ぎず、本来はmelachahには含まれないと主張する。
これに対しRoshは、火や燃料に対して直接行われた行為が結果的に消火を招くのであれば、たとえ即座に消えなくても「消火」と見なされるという立場を取っている。
以上を前提に「Shabbat」2章4節を引用する。
ミシュナ『Shabbat』2章4節の記述と「補助的油つぼ」の規制
卵の殻に穴を開け、油で満たし、ランプの上に固定して、油がそこに落ちるようにしてはならない。たとえそれが土で作ったとしても同じである。しかしラビ・ユダはこれを許容した。しかしもし陶器師が元からそれを備え付けているなら、許容される。なぜなら一つの器になるから。
この箇所においてミシュナは、不注意による消火を防ぐための具体的な禁止事項を定めている。
まず、当時は必要以上の油が消費されることのないように、芯が入ったランプ皿の上に、別の燃料容器(補助的な油つぼ)を吊るしていたことを知らなくてはならない。
この補助的な油つぼの底には小さい穴が開けられており、少しずつ油を供給して、火が燃え続けることが出来るようにしたものである。
補助的な油つぼは卵の殻で作られることもあった。
ラビたちは安息日において、補助的な油つぼの使用を禁止した。人々が無意識に卵の殻(補助的な油つぼ)から油を取り出したり、殻そのものを外したりする行為は、上述の「消火のmelachah」になるからである。
また、ランプと補助的な油つぼが分かれていると、無知な人は「補助的な油つぼからなら油を抜いても大丈夫である」と誤解してしまう可能性があるからである。
Roshの立場とTosafotの見解を支える「ムクツェ(muktzeh)」の法理
上記のRoshの立場では、このミシュナの規定は明白である。補助的な油つぼの油を取り除くことは、ランプの燃えている時間を短くするので、消火のmelachahに該当する。
Tosafotの立場では、このミシュナの規定には困難が伴う。これに関しては、ランプの為の油はmuktzehとして、そもそも動かすことが禁止されるという論理が成り立つ。
muktzehは以前の記事で扱ったが、安息日に動かしてはならない物のことを言う。この禁止が定められたのは、無闇に物を動かすことを許容していると、本来してはならないmelachahをしてしまう恐れがあるからである。安息日違反を未然に防止する為、muktzehは定められた。
「ランプの為に設置された油」をわざわざ安息日に動かすのは、muktzehを動かすことと見なすことが出来る。Tosafotの立場でも、この観点からミシュナの規定を理解することが出来る。
素材のバリエーション、例外規定、およびラビ・ユダの異議
ここまで「卵の殻に穴を開け、油で満たし、ランプの上に固定して、油がそこに落ちるようにしてはならない」の部分について解説をまとめた。
次に「たとえそれが土で作ったとしても同じである。しかしラビ・ユダはこれを許容した」の部分である。
補助的な油つぼの素材が土の場合であっても、同様の理由(油を抜いてしまう恐れ)から禁止される。
ラビ・ユダ(Rabbi Judah)は補助的な油つぼの規定に対し、「許可される」という立場を取っている。油つぼから油が滴っているのを見るなら、ランプに使っているのは明白であり、視覚的な状況から誤りを犯すことはないとする。
そこでラビ・ユダは、油つぼとして卵の殻と土器の両方の使用を許可する裁定を下している。
続きには次のように書かれている。
陶器師による恒久的結合と「一つの器」の法理
しかしもし陶器師が元からそれを備え付けているなら、許容される。なぜなら一つの器になるから。
もし、陶工が窯で焼く前に、油つぼを皿に結合させて一つのランプとして形成していた場合、あるいは所有者自身がその2つの部品をセメントなどで永久的に接着させた場合、多数派のラビたちであっても、安息日にそのランプを使用することを許可している。
ここでミシュナが陶器師に言及しているのは、その部品が恒久的かつ専門的な方法で結合されていなければならないことを示す為である。その理由は次の一語で示されている。
「なぜなら一つの器になるから」。ランプの皿と補助的な油つぼが恒久的な仕方で結合されているなら、それらは1つの部品として見なされる。
そこでランプの火皿から油を取り除かないのと同様に、補助的な油つぼからも油を取り除くことはない。
続きには次のように書かれている。
ボウルを用いた二部構成ランプに対する規制
ボウルの中に油を入れ、ランプの隣に置き、芯の端をその中に入れ、油を供給するようにしてはならない。しかしラビ・ユダはこれを許容した。
ここでは2つの部品からなる即席のランプについて説明している。火皿として使われるボウルが、長い芯を保持するランプの隣に置かれ、火のついていない芯の端がランプからボウルへと伸びており、追加の燃料供給を可能にしている。
ラビたちは、安息日のランプにこのような仕掛けを使用することを禁止している。その理由は、吊り下げられた補助の油つぼを用いる二部構成のランプの禁止理由と同じであり、誰かがそこから油を抜き取ってしまう恐れがあるからである。
「しかしラビ・ユダはこれを許容した」とある通り、この形式のランプについても、ラビ・ユダは許可している。
本節では同じ争点の問題について、3つの具体的な事例を挙げている。すなわちランプの上に吊るされた卵の殻を素材とする補助的な油つぼ、同様に吊るされた土を素材とする補助的な油つぼ、そしてランプの近くに置かれたボウルである。
それぞれのケースで、Tanna Kamma(多数派のラビたちの見解を代表するものであり、ミシュナの中でしばしば匿名において、最初に示される見解)は、補助的な油つぼ、またボウルから油が抜き取られることを懸念してその使用を禁止している。他方でラビ・ユダはその使用を許可する。
3つの具体例(卵の殻・土器・ボウル)が並列された論理的必然性
3つの具体的な事例は気まぐれに列挙しているものではなく、それぞれ意図をもって挙げられている。
①「卵の殻による補助的な油つぼの事例」だけが記載されていた場合
もし卵の殻のケースだけが記載されていたら、「ラビたちの厳しい裁定は清潔な卵の殻(油を抜き取りたくなるようなもの)にのみ適用され、あまり綺麗ではない土による補助的な油つぼを使うなら、ラビたちもラビ・ユダの意見に同意して許可するだろう」と誤解される危険がある。
②「土による補助的な油つぼの事例」だけが記載されていた場合
逆に、土のケースだけが記載されていたら、「ラビ・ユダの寛容な裁定は容器の不潔さによるものであると誤解され、綺麗な卵のようなケースでは、彼もラビたちの厳格な意見に同意するだろう」と誤解される恐れがある。
③「卵の殻による補助的な油つぼの事例」と「土器による補助的な油つぼの事例」だけが記載されていた場合
卵と土の事例だけが記載されていたなら、それらは恒久的に設置されていない仕方で結合していたとしても、一見したところ全てランプの一部である。
芯と油つぼを全く別にした、かりそめのランプを設置した「ボウルを置くケース」は、また違った仕方で裁定されるという誤解を招く恐れがある。
そこで3つの具体的な事例を示すことにより、Tanna Kammaの裁定とラビ・ユダの裁定の内容を厳密に示すことが出来るのである。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Shabbat』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n96f434acde54
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
