ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第8回:安息日の灯火の義務と、芯・油の適格性をめぐる法理(2章1節)
*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Shabbat(シャバット)』の第8回目の解説である。今回は『Shabbat』2章1節を扱う。
安息日の灯火の義務に関するイザヤ書58章13節のハラハー的解釈を巡り、「安息日の喜び(オネグ・シャバット)」と「安息日への敬意(カヴォド・シャバット)」の法的位置付けの相違を、『Shulchan Aruch(シュルハン・アルーフ)』やラビ・イツハク・ゼヴ・ソロヴェイチク(Rabbi Yitzchok Zev Soloveitchik)の知見から分析する。
さらに、2章1節本文で列挙される芯の材料(杉の樹皮、梳っていない亜麻、真綿、柳の樹皮、荒野の繊維、海の苔)および油の材料(アスファルト、蝋、綿種油[kik]、羊の尾、cheilev)が禁止される根拠を、安息日に禁止される39の仕事(melachah:メラハー)の37番目「点火」を未然に防ぐ予防線の法理から徹底解説する。
前回の振り返り:安息日直前の調理・焼成規定と「Ben Derusai」の法理
前回はミシュナ『Shabbat』1章10節に基づき、安息日直前の「調理・焼成(パン焼き)」に関する制限と、その背後にある「過失による点火」を未然に防ぐ法理を解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】禁止の目的:炭の攪拌(点火)の防止
安息日に禁止される39の仕事(メラハー:melachah)の37番目にあたる「点火」には、「炭をかき回して熱を強める」行為も含まれる。
安息日に入ってから、調理中の食べ物の火力が足りないと感じて無意識に炭をいじってしまうリスクを避けることが、これらの規定の主な目的である。
【2】調理基準「ベン・デルサイ(Ben Derusai)」の法理
調理中のものを火にかけたまま安息日を迎えてよいかどうかの判断基準として、「ベン・デルサイ(Ben Derusai)の食べ物」という概念が用いられる。
①定義
強盗であるベン・デルサイ(Ben Derusai)が完全に調理していないものを急いで食べていたという逸話に基づき、食べ物が全体の3分の1程度まで調理されている食べ物を「Ben Derusaiの食べ物」と呼ぶ。
②法的効力
「Ben Derusaiの食べ物」の段階まで調理が進んでいれば、安息日の間にあえて火を強めようとする衝動に駆られる恐れが低いと見なされ、そのまま火にかけておくことが許容される。
【3】調理環境や食材による具体的な区分
状況によって、炭をかき回すリスクの大きさが異なると判断される。
①肉を直接火にかける場合
早く焼き上げようとして炭をいじる危険が高いため、安息日が始まる時には、Ben Derusaiの段階に達していることが必須となる。
②火の近くに置く場合
牛肉のように時間がかかる食材は制限されますが、野菜や小さく切った肉など短時間で調理できるものは、炭をいじる恐れが小さいので、許容される。
③オーブンの状態
完全に密閉されたオーブンは、開けると熱が逃げて料理に悪影響を与えるため、安息日の間に中をいじる危険が低いと見なされ、使用が許容される。
【4】パンやケーキの焼成完了基準
安息日直前にパン生地をオーブンに入れたり、ケーキを石炭の上に置いたりする場合、以下の基準が議論されている。
①Tanna Kamma(タンナ・カンマ:第一の意見)
壁に接していない側の「外側の表面」に皮ができる時間があれば、焼成が完了したと見なされる。この段階になれば、火を強めてもパンが焦げるだけなので、炭をいじるリスクはないと判断される。
②ラビ・エリエゼルの見解
「底(壁に接している面)」が焼ける時間があればよいという、より緩やかな(解釈によっては厳格な)基準を提示している。
「Shabbat」10章1節の核心は、安息日の神聖さを守るために、単に「仕事をしない」だけでなく、日常の食事準備という習慣的な行為が「無意識の安息日違反(点火)」に繋がらないよう、客観的・心理的な観察に基づいた詳細な予防線を張っている点にある。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第7回:安息日直前の調理・焼成規定と「ベン・デルサイ(Ben Derusai)」の法理(1章10節)
https://note.com/mishnah/n/n4e8cd735bbbd
今回から「Shabbat」2章に入る。
安息日の灯火における「喜び」と「敬意」の法理
ラビたちは、安息日の食事を明るい部屋で摂るために、安息日が始まる前にランプやロウソクを灯すことを義務付けている。その根拠になっているのはイザヤ書の下の箇所である。
安息日に歩き回ることをやめ
わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ
安息日を喜びの日と呼び
主の聖日を尊ぶべき日と呼び
これを尊び、旅をするのをやめ
したいことをし続けず、取り引きを慎むなら
ここでポイントになるのは、安息日を「喜びの日」とし「尊ぶべき日」とすることである。
安息日の食事における光は、安息日を喜びにする為である。なぜなら家が暗く、自分がどこにいるのか、何を食べているのかも見えない状態では、安息日を楽しむことは困難であるから。すなわち安息日の食事における光は、安息日を「喜びの日」にする為である。
他方で、安息日の食事における光は、安息日への敬意であるとする見解もある。この場合、安息日の食事における光は、安息日を「尊ぶべき日」にする為である。
タルムードでは、明るい家は目に見えない障害物による怪我を防ぎ、平和な雰囲気をもたらすと付け加えている。
「安息日の光」を巡るMaimonides(Rambam)の立場
Rambam(ランバム)とも呼ばれるMaimonides(マイモニデス)はそのどちらにも言及している。Maimonidesは安息日の光は「喜びの日」の為であるとし、「尊ぶべき日」の為でもあるとする。彼の安息日の光に対する立場は一貫していない。
「Shulchan Aruch(シュルハン・アルーフ)」とラビ・ソロヴェイチクによる法的位置付けの確定
タルムードでの議論を経て、16世紀に編纂されたユダヤ法の集大成「Shulchan Aruch(シュルハン・アルーフ)」によると、Maimonidesの一貫しない立場は、目的の異なる灯火について述べているからと説明している。「Shulchan Aruch」は以下のように述べる。
①食事をする部屋の灯火は、一種の祭日の雰囲気を作るためのものであり、「安息日の誉れ」のために灯される。
②家の他の部屋の灯火は、人々が躓かないようにするためのもので、安息日を快適に過ごすための「安息日の喜び」のために灯される。
20世紀前半に活躍した高名なラビであるラビ・イツハク・ゼヴ・ソロヴェイチク(Rabbi Yitzchok Zev Soloveitchik)によると、事前の準備がこれから来る者に対する敬意を表すように、金曜日の点火は安息日への敬意であるとする。
光に照らされた部屋で安息日の食事を摂ることは、「安息日の喜び」に分類される。
「安息日の光」については、大体以上のような概論が述べられている。
しかし私たちの感覚では、「安息日の光」が安息日を「喜びの日」にする為のものなのか、「安息日」を「尊ぶべき日」にする為のものなのか、それ程詳細に論じるべきことであるのか、若干の疑問を感じる。
読者の方々におかれても、「安息日の光は喜びの為であり、敬意の為でもあるとすれば、何の問題もない」と感じられるかもしれない。
しかし口伝律法もその解釈も、精神論に終始するものではなく、法的な議論であり実践である。1つの灯火が「喜び」の為なのか、「敬意」の為なのかで、灯火の位置付けが変わり、対応の仕方が変わる。
従って1つの灯火に対して分析し、法的な位置付けを確定しようとする試みは、些末なものであるどころか、専門家たちの仕事の核心である。
以上で「Shabbat」2章に入る前の概論を終え、本文に入ることにする。
ミシュナ『Shabbat』2章の前提:灯火の材料(芯と油)の適格性
「Shabbat」第2章においては、灯火に使用する材料の適格性が議論される。ポイントは芯と油である。
①芯(wicks)
油をよく吸い上げ、炎がちらついたり弾けたりせず、安定して燃え続ける素材でなければならない。
②油(oils)
芯に吸収されやすく、炎が安定して燃える種類のものである必要がある。
以上を前提に本文に入る。
ミシュナ『Shabbat』2章1節:灯火に使用できない「芯(wicks)」の材料
安息日のランプについて、何を用いて火を点けてもよく、何を用いて火を点けてはならないのだろうか?杉の樹皮、梳っていない亜麻、真綿、柳の樹皮、荒野の繊維、海の苔で点けてはならない。
この箇所では安息日の灯火に使用出来ない「芯」の材料が挙げられている。
①杉の樹皮(Cedar bast)
杉の木の皮の内側にある繊維質な部分である。これで作った芯は燃え方が適当でないと見なされている。
②梳(くしけず)っていない亜麻(Uncarded flax)
茎を砕いただけの状態の亜麻である。繊維を梳って整えない限り、油をうまく吸い上げることが出来ない。
③真綿(Floss silk)
蚕の繭から作られる低品質のシルクである。梳り、紡ぎ、布を織るのに適しているが、火を点けると炎が均一に燃えず、明滅するので、芯には不適切である。
④柳の樹皮(Willow bast)
柳の樹皮の下にある綿毛のような物質である。
⑤砂漠の繊維(Desert fiber)
イラクサなどの長い草を編んで芯にしたものである。
⑥海藻(Sea moss)
船の底や水面に蓄積する緑色の苔のような物質である。
以上の①~⑥のものは、いずれも灯芯に用いることが出来ない。
続きには次のように書かれている。
ミシュナ『Shabbat』2章1節:灯火に使用できない油の材料
アスファルト、蝋、綿種油、焼かれなくてはならない油 、羊の尾、cheilevで点けてもならない。
ここに列挙されているのは、用いてはならない油の原料である。
①溶解しているアスファルト
液体の燃料としては吸い上げが悪いため禁止されている。
②溶解している蝋
「溶解しているアスファルト」と同様に、液体の燃料としては吸い上げが悪いため禁止されている。
③綿種油
この箇所の原文の単語は「kik」であり、綿種油とされている。しかしゲマラ(Gemara)では、ヨナ書に登場する「kikayon(キカヨン:とうごま)」の油であるとする説がある。
Gemaraでは他に、レビ記11章18節で列挙されている鳥(kaat)であるという見解も示されている。従ってこの見解に従うと、kikはこの鳥から抽出した脂になる。
これらの材料が禁止されるのは、油の吸い上げが悪く、明かりが弱くなったり消えそうになったりすることによる。その際、具合を調整しようとして、ランプを傾ける恐れがある。
以前の記事で見た通り、ランプを傾けることは安息日に禁止されている「点火」のmelachahにあたるため、これを未然に防ぐために材料を制限したものである。
明かりが不十分であると、せっかくの安息日の食卓を離れて別の場所へ行ってしまう(安息日の喜びを享受できなくなる)ことも懸念される。
④焼かれなくてはならない油
これは祭儀的に汚れてしまったterumahの油を指している。汚れたterumahの油は廃棄しなくてはならず、通常の用途としての消費は厳禁される。
ただし処分を兼ねて、祭司の灯火として燃やすことは許容される。
⑤羊の尾
「羊の尾」とは「羊の尾の脂」を指している。
「羊の尾の脂」は、次の項目であるcheilev(ヘレヴ)よりは芯に吸い上げられやすい性質を持っているが、それでも安息日の灯火の為に使える程は十分ではない。
安息日の灯火の油としては使えないが、食べることは出来る。食べてよいという点において、次のcheilevとは異なる。
⑥cheilev(ヘレヴ/ヘレブ)
cheilevは油として使う以前に祭壇で用いるものであり、消費行為は禁止されている。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。牛、羊、山羊の脂肪を食べてはならない。
以上の①~⑤に関しては、安息日の灯火に用いることは出来ない。cheilevについては一定の加工手続きを経て使えるというラビの見解もあるが、多数派はそれも不可とする。
この点についてタルムードには、混乱を避けるための予防措置として、例外を認めずにcheilevの使用を全面的に禁じることが必要であったと解説されている。
なぜならどれが使ってよい加工品であり、どれが未加工のものなのか等、判断が難しい状況が想定されるからである。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Shabbat』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n96f434acde54
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
