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いにしえ | エッセイ


(約800字)



わたしの祖父母宅は鹿児島県知覧に在りました。
知覧は知覧特攻平和会館があります。
小さな頃、夏休みに祖父母宅に長期で泊まりにいくとお墓参りが毎日のようにありました。


今のような霊園ではなく、墓石というより石材に亡くなった人々の名を彫り無骨な感じが妙に不思議な世界でお墓という死者との交流の場という感じがいたしました。


毎日、お庭の花を摘んでお線香と共に弔いに行くのですが、まるでおままごとのような感覚でした。お墓に彫られた名前は小さな子から、知らない方のお名前まで、一緒についてきてくれた祖母に尋ねたりしながら死者と身近にいるという感覚でした。



その後、霊園へと整備されていくのですが。
整備される前のお墓のほうが好きで、亡くなると皆同じになるんだと安堵感すら覚えました。
人気ひとけのないお墓は夕暮れときは涼やかな風が吹きお線香の香りと質素なお花が揺れ、お墓が好きだったことを思い出します。






わたしは、両親早めにお見送りしているのですがもう20年経とうとしています。
小さな頃の純粋なお墓参りとまた違う学びがあります。
仏事ごとを大切にする親戚を迎え、遠方から来てくださったことに感謝しおもてなしをする。
またお寺さんとの調整や関係性を保つ長い年数。
こちらは、小さな頃気づかなかった現実的な死者を弔う仏事ごとの意味を学ぶべきばかりです。


死者を弔う、純粋な気持ちで供養すると同時に
そこにも現実的に33回忌まで動いてくださった方の労を知り、生きている者と死者との絆のように思うのです。


小さな頃の涼しさは微塵も感じられない昨今ですが、お墓参りはお時間許す限りお近くであれば足を運んでいただきたいなと個人的に思います。



昔、いえ遥か昔のいにしえの方々にも届く思いがあるかも知れません。



ご住職から説かれる言葉に「生きている者の時間と死者との時空の流れは違うものですが、今の時代ある程度同じと考えなければ、多様で多忙な現代弔うことすら難しくなっているのかも知れません」。少し耳が痛いところです。


わたしがどうにか、ここまで仏事ごとを続けられたことは、仏様になられた方々には不純な動機かも知れません。苦労した両親でした。



わたしが仏事ごとを続けることで苦労した人生ではなかった。見守り続けた人がここにいるというただのわたしの小さなプライドだけでした。



介護、お見送りまで大変なことかと思います。
特に在宅での介護の大変さは言葉にはできません。そのまま仏事ごとを担うものには「お疲れになりませぬように」と言葉をかけられますが、何かしら事が運ばなくても、両方を担うものを許してあげてほしいと願うばかりです。




✳︎墓じまいには肯定的です。その家の考え方と限界かと思います。無理は禁物ですものね。
放置が一番気になるところでした。




( 了 )



自分のために書いておきたくて筆をとりました
いつもありがとうございます🙇‍♀️



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