「音楽になった」と、初めて思えた日(47歳、エレクトーンに人生を振り回される)
ちゃんと弾けていた。
でも、
まったく満たされなかった。
ミスも減った。
止まらなくもなった。
先生からも、
「前より良くなったね」
と言われるようになっていた。
なのに——
なぜか、
“音楽”になっていない気がした。
エレクトーンの再挑戦を始めてから、
本当に色々あった。
早弾きができなくて、
歯を食いしばりながら弾いていた日。
右手と左手と左足、
さらに頭までバラバラになって、
「人間って、こんなに分裂できるんだ…」
と悟りかけた日。
毎日深夜まで
まるで副業状態に
なっていた音作り。
リズムの沼にハマって、
家にチンドン屋が住んでいた日。
高校生の自分に負けまくって、
本気で落ち込んだ日。
「もうやめようかな」
そう思った日。
そして——
「今の自分でいいのかもしれない」
そう思えた日。
本当に、
色々なことがあった。
エレクトーンでは、
めちゃくちゃ苦労した。
でも、不思議と、
人間関係ではいいことも増えていた。
人を、
少し認められるようになったこと。
「なんか変わったね」
と言われるようになったこと。
そして何より、
自分の中の“向き”が変わっていた。
前は、
「高校生の自分に負けたくない」
だった。
でも今は、
「今の自分でやっていこう」
に変わってきていた。
エレクトーンの再挑戦は、
ただ楽器を練習する時間では、なかった。
なんというか——
人生そのものを、
もう一度やり直しているような感覚がある。
そんなある日。
天気が良かったので、
窓を開けてエレクトーンを弾いていた。
その頃には、
もう“必死に弾かなくても”
弾けるようになってきていた。
だから時々、
弾きながら別のことを考える余裕もあった。
その日、
ふと、
父の顔が浮かんだ。
今まで、
親孝行らしいこと、
あまりしてこなかったなと思った。
だからだろうか。
自然に、
こう思った。
「この演奏、父に聴かせたいな」
父を喜ばせたい。
ただ、
そう思った。
不思議だった。
今までずっと、
「うまく弾くこと」
ばかり考えていたのに。
間違えないように。
止まらないように。
リズムを崩さないように。
ずっと、
自分のことばかりだった。
でもその日は、
少し違った。
そのとき、
「うまく弾こう」
という感覚が、
どこかへ消えていた。
楽器を操作している感じも、
あまりなかった。
ただ、
“届けたい”
それだけが残っていた。
だから、
正直ミスもあった。
普通にズレたところもある。
でも、
弾き終わったあと、
今までにない感覚が残った。
あれ?
なんだろう、これ。
うまく言えない。
でも、
初めて、
「音楽だった」
と思えた。
そして後日、
先生に言われた。
「前より、音楽になってきたね」
あぁ。
たぶん、
こういうことだったんだ。
音を並べることと、
音楽になることは、
少し違う。
うまく弾くことと、
誰かに届くことも、
たぶん違う。
音楽って、
“自分”だけで完結した瞬間に、
ただの音へ戻ってしまうのかもしれない。
でも、
誰かを想った瞬間、
そこに初めて、
“音楽”が生まれるのかもしれない。
最近、
コンクールに出てみたいと思うようになった。
前は、
「うまく弾けるようになりたい」
その気持ちの方が強かった。
でも今は、
「誰かに届く音を弾きたい」
その気持ちの方が大きい。
だから、
人前で弾いてみたいと思った。
椿大神社で、
「もう一度やってみたら?」
と背中を押された気がした日から、
ここまで来た。
だからいつか、
ちゃんと弾けるようになったら。
感謝の演奏奉納をしてみたい。
……まぁ、
まだ普通にミスるんですけどね。
(現実)
47歳。
遅いのか、
ちょうどいいのかは、まだ分からない。
でも今は、
少しだけ思う。
人生って、
“うまくやること”より、
“誰かに届けようとすること”の方が、
大事なのかもしれない。
そんなことに気づき始めた、
47歳である。
でも、本当の挑戦は、
ここからなのかもしれない。
“自分のための演奏”から、
“誰かに届ける演奏”へ。
次の物語は、そこから始まる。
※この話は『47歳、エレクトーンに人生を振り回される』シリーズ#18です
👉すべてはここから始まりました。
→ 29年ぶりに人生が動いた日|椿大神社で決まった“再挑戦”
👉ここまでの流れを、ひとつにまとめました。
→47歳からやり直して、やっと気づいたこと。
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