温故知新(97)装飾古墳 高井田横穴墓群 千足遺跡 梶山遺跡 宮が尾古墳 メンフィス ドンゴラ サギノー湾 ハドソン湾 アテネ 出雲大社 パレルモ 三瓶山 珍敷塚古墳 マラケシュ グヌン・パダン 大津山阿蘇神社 宇美八幡宮 糸我稲荷神社
日本における装飾古墳は、5世紀初頭から、6世紀を中心として7世紀代までみられ、九州や東国に多く分布しています1)。畿内では大阪府柏原市の高井田横穴墓群以外にはみられず、中国地方では岡山市千足遺跡、鳥取市梶山古墳、香川県善通寺市宮が尾古墳などに装飾古墳がみられる程度です1)。梶山古墳は、6世紀末-7世紀初頭の築造と推定され、石室の奥壁にはベンガラで魚や同心円(日・月)、竜文、三角文を描いています。
福岡県うきは市にある装飾古墳の珍敷塚古墳は、メンフィス博物館とレイラインでつながっていますが、梶山古墳と千足古墳を結ぶラインは、高井田横穴公園とメンフィス博物館を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。

梶山古墳と宮が尾古墳を結ぶラインは、高井田横穴公園とドンゴラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。ドンゴラは、神武天皇社とレイラインでつながっています。

千足古墳とサギノー湾を結ぶラインは、梶山古墳の近くを通り、ハドソン湾と宮が尾古墳を結ぶラインも梶山古墳の近くを通ります(図3)。サギノー湾はアテネとつながり、ハドソン湾はパレルモとつながっています。

千足古墳とアテネを結ぶラインは出雲大社を通り、パレルモと宮が尾古墳を結ぶラインは三瓶山を通ります(図4)。三瓶山の古名「佐比賣山」の名は、古くは『出雲国風土記』に記載され、国引き神話の杭に見立てられています。

千足古墳、サギノー湾、アテネや、宮が尾古墳、ハドソン湾、パレルモの3地点を結ぶラインは、黒又山、チチェン・イッツァ、ヴィソチツァ山の3地点を結ぶラインと同様に、それぞれ球面三角形をつくっていると考えられます。千足古墳、宮が尾古墳、梶山古墳の被葬者は、アテネやパレルモと関係があると推定されます。
梶山古墳と宮が尾古墳を結ぶラインの近くに孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚古墳があり、千足古墳と梶山古墳を結ぶラインの近くに物見神社(津山市加茂町物見)があります(図5)。岐阜県羽島郡岐南町にある物見神社は、宇麻志麻治命を祭神としているので、津山市の物見神社も宇麻志麻治命(孝元天皇と推定)を祀っていると推定されます。千足古墳と梶山古墳を結ぶラインは、五百城入彦皇子の墓と推定される造山古墳を通ります(図6)。これらのラインから、梶山古墳、宮が尾古墳、千足古墳の被葬者は、孝元天皇と関係があると推定されます。


須佐之男命と関係があると推定されるメンフィスとつながっている珍敷塚古墳も、球面三角形をつくっていると推定されたため、メンフィスとつながっているマラケシュやグヌン・パダンと珍敷塚古墳をラインでつないでみました(図7)。そうすると、珍敷塚古墳とグヌン・パダンを結ぶラインの近くには大津山阿蘇神社(熊本県玉名郡南関町)、マラケシュと珍敷塚古墳を結ぶラインの近くには、神功皇后を祀る宇美八幡宮( 福岡県糟屋郡宇美町)がありました(図8)。珍敷塚古墳の被葬者は、孝霊天皇や神功皇后と関係があると推定されます。


メンフィスとつながっている高井田横穴公園とグヌン・パダンを結ぶラインの近くには、和歌山県紀の川市にある熊野神社(中津川・前鬼谷)や、和歌山県有田市にある日本最古の稲荷神社とされる稲葉根社(糸我稲荷神社元宮)があります(図9)。マラケシュと高井田横穴公園を結ぶラインは、篠山城跡を通り、清和源氏発祥の地の多田神社(兵庫県川西市)の近くを通ります(図9)。高井田横穴公園とメンフィス博物館を結ぶラインの近くには那岐神社(鳥取県八頭郡智頭町)があります(図9)。

高井田横穴公園と土師氏や須佐之男命と関係があると推定される大鳥大社(大阪府堺市)を結ぶラインは、大阪府富田林市にある瀧谷不動尊(明王寺)と和珥氏や須佐之男命と関係付けられているヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。後者のラインは、御神神社(京都府綾部市)の近くを通ります。したがって、高井田横穴墓群の装飾古墳の被葬者は、須佐之男命や土師氏や和珥氏と関係があると推定されます。

この時期に装飾古墳がつくられた理由としては、大陸からの渡来人が多くなる中で、自らのルーツをレイラインで残そうとしたためかもしれません。孝元天皇と孝霊天皇のルーツが異なるのは、孝霊天皇は、孝元天皇の義理の父と推定されることと整合します。
孝元天皇のレイラインは、サギノー湾を指標としていることから、12,800年前のヤンガードリアス彗星の破片の衝突の後につくられたと推定されます。孝霊天皇のレイラインは、20,000年以上前のピラミッドと推定されるグヌン・パダンを指標としていることから、孝霊天皇のルーツは、ヤンガードリアス彗星の破片の衝突以前に遡るのではないかと思われます。
文献
1)新古代史の会(編) 2025 「歩いて学ぶ日本古代史1 邪馬台国から大化の改新まで」 吉川弘文館
