本能寺の変1582 目次小 15信長の台頭 8三好の衰退 第139~145話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
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第139話
衰退の予兆。
☆十河一存の死。 「足利季世記」
☆一存と松永、其の中、あしく。 「足利季世記」
第140話
・永禄五年1562
畠山氏は、勢力を盛り返した。
長慶は、東西に敵を抱えていた。
三好実休は、畠山氏へ向かった。 「足利季世記」
☆久米田合戦の事。 「足利季世記」
☆三好康長は、要注意人物。
☆光秀にとって、後に、因縁の人物なる。
三好実休の本陣がガラ空き状態になった。 「足利季世記」
三好軍、大敗。
☆実休が討死した。 「足利季世記」
これ以後、三好氏は転落への道を歩む。
第141話
畠山方は、勢いづいた。
畠山高政は、河内を取り戻そうとした。 「足利季世記」
畠山氏は、飯盛山へ攻め上った。 「足利季世記」
長慶、危うし。
松永久秀が動いた。 「足利季世記」
長慶は、飯盛山に籠城した。 「足利季世記」
長慶は、久秀を重用した。 「足利季世記」
久秀は、後詰の軍勢を編成した。 「足利季世記」
三好義興が後詰の総大将である。 「足利季世記」
義興は、四国勢と合流した。 「足利季世記」
三好方は、畠山勢を挟撃しようとした。 「足利季世記」
第142話
教興寺の戦い。
義興の軍勢が押し寄せた。 「足利季世記」
畠山高政が軍勢を引いた。 「足利季世記」
教興寺の付近が戦場になった。 「足利季世記」
畠山方は、総崩れになった。 「足利季世記」
長慶は、飯盛山から打って出た。 「足利季世記」
三好方の大勝利である。 「足利季世記」
☆三好康長が、高屋城に入った。 「足利季世記」
六角承禎は、将軍地蔵山から軍勢を引いた。 「足利季世記」
しかし、実休は帰らず。
☆三好長治が実休の後を継いだ。 「森田文書」
第143話
・永禄六年1563
☆細川藤孝は、将軍義輝に仕えていた。
☆藤孝は、義輝の側近「御供衆」だった。 「言継卿記」
☆「永禄六年諸役人附」 「永禄六年諸役人附」
☆石谷頼辰は、光秀に関係する重要人物。
☆石谷光政は、長宗我部元親の舅にあたる。
☆細川藤孝は、幕府の重役だった。
☆光秀の名は、この中にない。
☆光秀は、将軍義輝に仕えなかった。
第144話
信長は、小牧山に築城を開始した。
狙いは、犬山城。
そして、美濃を東から攻める。
信長は、於久地を攻めた。 『信長公記』
信長は、清洲城から小牧山城に移った。 『信長公記』
信長は、戦わずして於久地城を手にいれた。 『信長公記』
近江の六角氏に、観音寺騒動が起きた。
第145話
☆三好義興が病死した。 「足利季世記」
☆松永のわざとも申しける。 「足利季世記」
三好氏に不幸がつづく。
長慶は、生きる希望を失った。
長慶は、義継を後継者に定めた。 「足利季世記」
松永久秀と三好三人衆。
この両者が三好宗家の実力者であった。
やがて、権力闘争が始まる。 「足利季世記」
三好氏は、衰亡へ向かって歩みを速めた。
⇒ 次へつづく
目次小 15信長の台頭 9光秀と長宗我部元親 第146~147話
