本能寺の変1582 重要 ◎第57話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第57話②
9光秀という男 3土岐氏 3/4
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*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
*加筆修正
土岐氏は、土着性のきわめて強い一族だった。
土岐氏は、鎌倉期、光衡の代に、美濃に土着した。
そして、室町初期、頼貞の時、美濃の守護に任ぜられた。
しかし、天文の終わり頃、斎藤道三によって、土岐頼芸が追放され、
その美濃支配は終焉した。
すなわち、土岐氏は、1200年代から~1500年代にかけて、
300年以上の長きに亘って、美濃に君臨していたのである。
【参照】◎第55話
土岐氏は、一族の結束が強かった。
「土岐の桔梗一揆」
その間に、数多くの、一族・庶流が枝分かれし、美濃の各所に定着して、
「土岐一揆」といわれる強力な武士団を形成した。
これが、土岐氏の軍事力の中核となった。
土岐氏の家紋は、「桔梗」。
それ故、「土岐の桔梗一揆」と呼ばれた。
土岐氏は、一族の数が多い。
明智氏・浅野氏・饗場氏・池田氏・石谷氏・一色氏・揖斐氏・今峰氏・
植村氏・大桑氏・大竹氏・小里氏・金山氏・金森氏・神戸氏・島田氏・
菅沼氏・仙石氏・高山氏・妻木氏・遠山氏・蜂谷氏・原氏・肥田氏・
深沢氏・舟木氏・世保氏・・・・・等々。
明智氏も、その様な家の一つだった。
土岐氏は、清和源氏。
摂津源氏の流れ、美濃源氏の嫡流家。
室町幕府の重鎮。
濃・尾・勢、三ヶ国の守護家。
正に、名家名門。
光秀の体内には、土岐の血が脈々と流れていた。
光秀は、土岐明智氏の出。
家紋は、桔梗紋。
旗印は、水色地に白抜き桔梗。
桔梗、すなわち、土岐氏。
その一族であることは、光秀の誇りだった。
光秀の妻は、妻木氏の出である。
妻木氏もまた、土岐氏の一族。
妻木郷を本拠地とし、氏名とした (岐阜県土岐市妻木町付近) 。
明智氏の庶流という。
両氏は、密接な関係にあった。
光秀の妹、妻木氏。
妻方の妹なのだろうか。
定かならず・・・・・。
信長の側近くに仕えていたらしい。
「兼見卿記」と「多聞院日記」に、複数回登場する。
【参照】◎第8話 光秀の妹、妻木氏。
光秀と石谷氏。
石谷氏は、室町幕府、奉公衆の家柄。
明智氏と同じく、土岐氏の一族である。
岐阜市石谷を本拠地とし、氏名とした。
光秀の時代、当主は、石谷光政。
出家して、空然を号す。
光政は、斎藤氏から、養子を入れ、娘聟(姉)とした。
これが、石谷頼辰。
斎藤利三の兄である。
また、下の娘(妹)は、土佐の長宗我部元親に嫁いでいる。
利三は、光秀の家臣。
斯くして、光秀と元親が繋がった。
そして、元親 ━ 光秀 ━ 信長、の関係に至る。
なれど、・・・・・。
最後の使者は、石谷頼辰。
因縁深い家である。
【参照】◎第146話① 長宗我部元親が石谷光政の女と婚姻した。
【参照】◎第146話② 石谷氏について。
【参照】◎第146話③ 斎藤氏について。
⇒ 次へつづく
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