本能寺の変1582 第162話 16光秀の雌伏時代 3信長と越前 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
第162話 16光秀の雌伏時代 3信長と越前
信長は、近隣諸国の大小名へ触状を発した。
同、二十三日。
近隣諸国へ触状が発せられた。
「上洛せよ」
信長の命である。
応ぜぬ者は、潰される。
信長上洛につき、在京あるべき衆中の事、
北畠大納言(具教)殿・同北伊勢諸侍中、
徳川三河守(家康)・同三河・遠江諸侍衆、
姉小路中納言(嗣頼)殿・同飛騨国衆、
山名殿父子・同分国衆、
畠山(昭高)殿・同在国衆、
遊佐河内守(信教)・
三好左京大夫(義継)殿、
松永山城守(久秀)殿・同和州諸侍衆・同右衛門佐(久通)、
松浦総(虎)五郎・同和泉国衆、
別所小三郎(長治)・同播磨国衆・同孫左衛門慰・同同名衆、
丹波国衆、
一色左京大夫殿・同丹後国衆、
武田孫犬丸・同若狭国衆、
京極(高吉)殿・同浅井備前守(長政)・同尼子・同七佐々木(高島七党)・
同木村源五父子・同江州南諸侍衆、
紀伊国衆、
越中神保名代・能州名代・甲州名代・濃州名代・因州武田名代・
備前衆名代・
池田・伊丹(親興)・塩河・有右馬(有馬)、
此の外、その寄々の衆として申し触るべきの事、
同触状案文
禁中御修理、武家御用、その外天下弥(いよいよ)静謐のために、
来る中旬、参洛すべく候条、
各(おのおの)上洛ありて、御礼申し上げられ、馳走肝要に候、
御延引あるべからず候、
恐々謹言、
正月廿三日 信長
仁躰に依り、上下有るべし、
(「二条宴乗記」)
これを国別にみれば、二十ヶ国以上となる。
伊勢、三河、遠江、飛騨、但馬、河内、大和、和泉、播磨、丹波、
丹後、若狭、江州、出雲、紀伊、越中、能州、甲州、濃州、因州、
備前、摂津。
なお、「二条宴乗記」には、朝倉義景の名が書かれていない。
信長は、初めから、義景を討つ、つもりだったのではなかろうか。
それ故、触状を送らなかった、・・・・・。
という、見方も出来る。
朝倉義景は、上洛しなかった。
だが、こちらには、触状を受け取ったとある。
真実は、如何に。
悩むところである。
(信長は)諸国の武士を京都に召し上げらる、
然らば、則ち、朝倉左衛門督も、早々、上洛いたすべきの旨、
御教書を成さるゝを、
因茲(これにより)、一族・老臣を集めて、此の旨、如何、有るべきと、
各(おのおの)、異見を問はれけるに、
(中略)
・・・・・に依り、
義景、終に、上京、無かりけり、
(「朝倉始末記」)
何れにしても、義景は、上洛しなかった。
これらについては、後述する。
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