本能寺の変1852 その一因 一、武田効果 第44話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 一、武田効果 第44話
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【参照】信長の甲斐侵攻
その一因 一、武田効果 第44話
【参照】その一因 一、武田効果
【参照】信長の甲斐侵攻 2信忠、諏訪進出
◎第44話 ◎小44 ◎P44 通し 第44話
信忠が諏訪に進出した。
天正十年1582、三月三日。
信忠は、上諏訪一帯を焼き払った。
高島城、開城。
安中氏、退去。
織田信房(信長の四男)、これを受け取る。
信長の武威、恐るべし。
武田の内崩れを誘う。
「戦わずして、勝つ」
これが、信長流。
恐ろしい男なのである。
穴山梅雪が裏切った。
梅雪(信君のぶただ)は、天文十六年1547の生まれ。
勝頼の一つ年下。
母は、信玄の姉。
正室は、信玄の娘。
勝頼とは、従弟であり、義兄弟の関係にあった。
すなわち、最も血の濃い武田氏の一門衆。
重臣中の重臣であった。
その、梅雪が離反。
織田へ寝返った。
武田勝頼は、重臣・身内に見棄てられた。
勝頼は、諏訪から新府城にもどった。
徳川家康が駿河から甲斐に突入した。
これも、信長流。
織田軍は、複数口から、甲斐を目指した。
信長は、間もなく、己の武威の凄まじさに気づくことになる。
これが、「武田効果」。
そして、事態が急変する。
となれば、次は、毛利。
信長は、これに、この甲斐攻めを重ね合わせた・・・・・。
一、毛利の内崩れを誘う。
一、複数口から、安芸へ。
一、華々しき大勝利。
斯くすれば、「天下布武」は、成る。
そう、考えた・・・・・。
このことが、「信長の油断」へと繋がった。
光秀は、これを見逃さなかった。
六月二日、「本能寺の変」。
⇒ 次へつづく
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