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本能寺の変1852 その一因 240227 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

本能寺の変1852 その一因 240227 

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*進捗状況 240227 

一、「人間五十年」

 信長は、「五十年」を強く意識していた。
 やがて、このことが、「本能寺の変」の一因となる。

  【参照】まとめ 時代の風潮 第4話  ◎第4話

一、志向の相違

 信長の「さらなる夢」。
 拡大政策は、止まず。

 光秀の、国々は、猶、長閑(のどか)なる時。

 すなわち、二人の志向に相違が生じていた。
 そして、それは、次第に、拡大していく。
 この事が、光秀を、「謀叛」へと駆り立てる一因となった。

  【参照】まとめ 時代の風潮 第8話  ◎第8話




 ⇒ 次へつづく 

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