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本能寺の変1582 独り言 240226 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

独り言 240226 

はじめに ←目次 ← 
重要 ◎目次 重要 ◎目次小 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 通し ◎目次 テーマ別 まとめ ◎目次 
見えてきたもの 目次 

 以下は、私の独り言です。
 よろしければ、お聞き下さい。

 「本能寺の変」について、その「原因・動機」を究明するにあたっては、
 次の二つを、正確に把握する必要がある、と、考えています。

 一、光秀の足跡。

   すなわち、当時の出来事です。
   当然、それらは、「史実」のみ。
   そこから、光秀の行動の軌跡が見えてきます。

   それが、重要 ◎目次 重要 ◎目次小 です。

 一、光秀の内面。

   すなわち、光秀の心の内側です。
   これには、近道など、ありません。
   信頼し得る「史料」を、繰り返し、繰り返し、読み返すのみ。
   やがて、そこから、光秀の声が聞こえて来ます。

   それが、重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 と、 
       テーマ別 通し ◎目次 テーマ別 まとめ ◎目次 です。

   そして、

  この二つが合流して、

   ようやく、見えて来るのです。

   それが、→見えてきたもの 目次 です。

   したがって、類似した内容の記事等が、度々、登場することもあり
   ますので、遅くなりましたが、その旨、お断りいたしておきます。

 立つ鳥「悔い」を残さず、です。
 人生は、一度限り。
 残された時間は、あまりにも短い。

 千里の道も、一歩から。
 ローマは、一日にして成らず。
 急がず、慌てず、諦めず。
 妥協せず、手を抜かず、一歩一歩、着実に、堅実に。
 実行、あるのみ。

 生あるうちに。
 時間との戦い、です。   

 「本能寺の変」「原因・動機を究明する」
                    
御期待下さい!!

 以上です。
 ありがとうございました。
 今後とも、よろしく、お願い申し上げます。
                              240226
       


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