本能寺の変1852 その一因 一、武田効果 第67話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 一、武田効果 第67話
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【シリーズ】信長の甲斐侵攻
その一因 一、武田効果 第67話
【参照】その一因 一、武田効果
【参照】信長の甲斐侵攻 3信長、出陣
◎第67話 ◎小67 ◎P67 通し 第67話
同、三月八日。
信長は、岐阜から岩村城へ向かった。
この日は、犬山城泊。
柴田勝家は、越中松倉城を攻めていた。
勝家は、上杉勢と戦っていた。
信忠は、勝頼を追っていた。
武田氏に、終末が迫っていた。
信長にとって、信忠は自慢の息子だった。
信長は、関東見物をするつもりだった。
見物とは、名目にすぎぬ。
北条氏への牽制に他ならない。
足利義満を見よ。
富士遊覧をしているではないか。
「鎌倉公方」
これと、同じ。
「戦わずして、勝つ」
繰り返す。
これが、信長の信条なのである。
信長は、岩村から信濃へ入ろうとしていた。
三月九日、金山城着。
三月十日、高野(こうの)城着。
三月十一日、岩村城着。
信長は、未だ、知らず。
この日が、武田の命日となることを。
信長の勢威、恐るべし。
甲斐侵攻は、想定を超える速さで進行していた。
そして、それは、武田の滅亡により、
さらに、爆発的に強大化する。
これが、「武田効果」である。
「百万の味方を得たに同じ」
信長は、これに気づいた。
光秀は、それを察知した。
次は、中国。
「毛利」
斯くなれば、天下統一は、成る。
すなわち、これによって、中国出陣の時期が大幅に早まることになる。
信長は、甲斐遠征の直前までは、「来たる秋」と言っていた。
それ故、光秀は、それに合わせて動いていた。
石谷頼辰を土佐に派した時期も、それに応じたものだった。
ここに、「間に合わぬやもしれぬ」という問題が、急浮上する。
そして、その可能性が、日増しに、色濃くなっていった。
信長は、誇り高い男。
己の命に従わぬ者を、赦さない。
長宗我部元親は、正に、その瀬戸際にあった。
その取次が、明智光秀なのである。
すなわち、元親の不承諾は、光秀が役に立たないことを意味する。
信長は、粛清の人。
重臣と雖も、「役に立たねば、粛清される」、のである。
これに、年齢の問題・後継者のこと等が重なった。
光秀は、一日千秋の思いで、頼辰の帰還を待った。
なれど、「未だ、帰らず」、なのである。
となれば、「万事休す」。
おそらく、これが、五月二十九日頃の状況か。
同日、信長、上洛。
信長の油断。
光秀の決断。
六月二日未明、「本能寺の変」。
⇒ 次へつづく
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