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本能寺の変1582 目次小 10信長の甲斐侵攻~11光秀の年齢 第65~78話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 10信長の甲斐侵攻 第65~67話 

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3信長、出陣

 65
  
天正十年1582、三月五日。
  信長は、安土を発った。              『信長公記』
  近衛前久も、京から出陣した。           「兼見卿記」
  吉田兼見は、粟田口で前久を見送った。       「兼見卿記」
  光秀は、大勢の兵を率いて参陣した。        「兼見卿記」
  兼見は、別本も残している。          「兼見卿記」別本
  信長は、仁科信盛の首を検分した。         『信長公記』
  信長は、岐阜城に着いた。             『信長公記』
  光秀は、岐阜にいた。

 第66
  
信忠は、諏訪から甲府に入った。          『信長公記』
  信忠は、武田の一族・重臣を成敗した。       『信長公記』
  信忠は、軍勢の一部を上野へ派した。        『信長公記』
  信長は、戦わずして、上野一国を手に入れた。    『信長公記』
  信長は、わずか一月で四ヶ国を手に入れた。     『信長公記』
  信長の勢威、恐るべし。
  光秀は、まだ、この光景を知らない。
  信長の勢威は、丹波では通用しなかった。
  光秀は、甲斐攻めが長引くものと思っていた。
  信長の勢威は、確実に成長していた。
  「長篠効果」
  「本願寺効果」
  信長は、自分の実力に気づいていない。
  「武田効果」 

 第67
  
信長は、岐阜から岩村城へ向かった。        『信長公記』
  柴田勝家は、越中松倉城を攻めていた。 「古今消息集」「古証文」
  信忠は、勝頼を追っていた。      「古今消息集」「古証文」
  信長にとって、信忠は自慢の息子だった。
  信長は、関東見物をするつもりだった。 「古今消息集」「古証文」
  信長は、岩村から信濃へ入ろうとした。       『信長公記』

目次小 11光秀の年齢 第68~78話 

1三人の娘

 第68話
  
光秀は、高齢だった。
  信長は、四十九歳。
  光秀には、三人の娘がいた。
  光秀の三女は、細川忠興へ嫁いだ。         「綿考輯録」
  光秀の長女は、織田信澄へ嫁いだ。
  光秀の二女は、荒木村次へ嫁いだ。   「立入左京亮入道隆佐記」
  父親たちの生年と年齢。
  細川藤孝は、四十九歳。
  織田信勝は、死没。
  荒木村重は、四十八歳。
  光秀は、荒木村重と深い関係にあった。
  光秀は、五十歳以上だった。

2柴田勝家と滝川一益

 第69話
  
光秀は、現役の戦国武将。
  光秀の遠征戦。
  光秀の甲斐遠征。
  光秀は、老人ではない。
  しかし、着実に、それに近づいていた。
  中国攻めは、既定の作戦だった。
  光秀には、気力・体力・行動力があった。

 第70話
  
信長の部将たち。
  柴田勝家は、六十一歳。
  滝川一益は、五十八歳。
  丹羽長秀は、四十八歳。
  羽柴秀吉は、四十六歳。
  柴田勝家は、六十二歳で敗死。
  滝川一益にも、老人になる時が近づいていた。
  信長は、一益に、配慮を示した。          『信長公記』
  一益も、六十二歳で没。

 第71話
  
信長は、老臣たちの「知」を重んじた。
  信長は、老臣たちの体力を気遣った。   「織田信長文書の研究」
  老人とは。
  光秀は、老人の一歩手前だった。
  光秀の長女は、永禄元年頃に生まれた。
  光秀は、弘治年間に妻木氏を妻に迎えた。

3土岐の随分衆

 第72話
  
光秀の明智氏は、土岐頼武の家臣だった。
  光秀は、土岐頼純の家臣。
  斎藤道三による下剋上が始まった。
  頼純は、道三に殺害された。            「春日文書」
  光秀は、主君を失った。
  光秀は、越前へ逃げた。    「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
  光秀は、まだ、独身だった。
  道三は、土岐頼芸を追放した。
  道三の下剋上、成る。               『信長公記』 

 第73話
  
本能寺の変と頼純殺害の年。
  五十歳とした場合。
  五十五歳とした場合。
  六十歳とした場合。
  永禄十一年1568、信長は三十五歳。
  光秀は、信長の目に止まった。

4最大の敵

 第74話
  
二つの大遠征。
  間を置かず。
  一、甲斐遠征。                  『信長公記』
  一、中国遠征。                  『信長公記』
  信長は、好機を逃さない。             『信長公記』
  光秀は、石谷頼辰を土佐へ派していた。
  光秀は、窮地に追い込まれた。
  信長の脳裏には、武田勝頼の首。     「織田信長文書の研究」
  信長は、毛利を滅ぼすつもりだった。        『信長公記』
  信長は、さらに九州を平定しようとた。       『信長公記』
  信長は、光秀に先陣を命じた。           『信長公記』

 第75話
  
光秀は、己の老いを自覚した。
  光秀には、先が見えた。
  光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。    『信長公記』
  一益は、信長の命に従った。
  光秀にも、国替えの可能性があった。        『信長公記』
  その先に、信長の「さらなる夢」があった。
  信長は、不意を衝く。
  光秀は、そのことを熟知していた。

 第76話
  
光秀の最大の敵は、時間だった。
  光秀は、確実に、老人に近づいていた。
  光慶は、若すぎた。
  光秀には、信長に対する不信感があった。
  信長は、猜疑心が強い。
  光秀もまた、猜疑心が強い。
  没落の怖れ。
  光秀は、明智の将来が不安だった。
  明智は、存続の危機に直面していた。
  生き残る道。
  明智の命運は、中国出陣によって定まる。

5結論

 第77話
  
「当代記」には、六十七歳とある。          「当代記」
  結論として。
  下限は、五十五歳ぐらい。
  上限は、六十三歳ぐらい。
 ☆光秀の年齢は、五十九±四歳ぐらい。

6人間形成

 第78話
  
時は、戦国時代。
  ところは、美濃。
  守護は、土岐氏。
  頼武~頼芸の代。
  美濃は、争乱の時代であった。
  戦いに、明け暮れる日々。
  光秀は、この様な時代に生まれた。
  そして、道三の下剋上が始まった。
  光秀の人格・人間性は、争乱と下剋上の中で形成された。


 ⇒ 次へつづく
   目次小 12光秀と斎藤道三 第79~90話 


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