妄想シティ 最終話
46
須田は満足そうな表情をしているが、僕は気がとがめた。
何だか気分が落ち込む。しかし落ち込んでいる余裕など無かった。
目の前に見覚えのある男が立っていたからだ。
「無銭飲食か。地獄から這い出ても、やってることは最低だな」
その男は、難波逸郎だった。
「君らは自分が何をやっているのかわかっているのか? 社会の秩序を乱しているんだよ。この理想社会のシステムをぶち壊そうとしているんだ」
難波は落ち着いた口調で僕らに話しかけた。
「何が理想社会だ? 人々の自由を奪って、何が理想社会だって言うんだ?」と僕は反論する。
「自由? 自由だなんてくだらないことを君は言うんだな。自由が生み出すものは何だ? 堕落と崩壊だ。この世界に暮らすすべての人々が自由気ままに暮らしたら、世界はどうなる? 無秩序で世界は崩壊する。自己管理ができる有能な人間は、能力を発揮して金持ちになれる。自己管理ができない低能な人間は、我々が管理して社会の役に立ってもらう。これが理想社会だよ」
「人々の自由を奪って、何が理想社会だ! 僕らは自由のために戦う」
「勇ましいねぇ、無銭飲食の犯罪者が。もう気づいているだろうが、このレベル3のすべての妄想喫茶と妄想ルームの空気清浄システムを逆転させた。つまり、このレベル3は直に妄想し放題となる。君が理想とする堕落と無秩序の世界を作ってあげたよ。君が望むなら、戦ってあげるよ。でも君は僕の妄想に勝てるかな?」
目の前がぐにゃりと曲がった。
そして世界は一変した。
ここはいつか来た市民プールだ。
そしてその古びた廃墟と化した市営プールが一瞬にして綺麗で豪華なプールに変身した。
これは難波の妄想だ。

グラビアアイドルのようなグラマラスなビキニ姿の女の子たちがプールサイドに現れる。
「うひゃー、最高だね」と須田が喜んだ。
何だこれは?
デジャブか?
いや、これは難波による僕の悪夢の再現だ。
難波はどこだ?
どこにいる?
と思っていると、僕はいきなり殴られた。
「集中力が足りないねぇ。そんなんじゃあ生きてゆけないよ」という難波の声がした。
しかし声しか聞こえない。
難波の姿はどこだ?
「そんな間抜けなくせに、人に拳銃を向けるわけ?」と言いながらグラマラスなビキニ姿の女が僕の目の前まで歩いてきた。
僕はいつの間にかマグナム44を手に持っている。
駄目だ、駄目だ。まるっきり難波のペースだ。
どうにかしてこの世界から抜け出さなければ。

「何が正義だ? この偽善者め」と難波の声。
次の瞬間、プールサイドにいたたくさんのビキニ姿の女の子たちの水着が脱げて宙に舞い、みな真っ裸になった。
「やめろ!」と僕は叫んだ。
僕は僕の妄想世界を念じた。
綺麗で豪華なプールも、裸の女たちも一瞬にして消え、僕の妄想世界が広がった。
廃墟と化した街、ねばねばとした液体、やせ細った犬、新鮮な血を求めて飛んでゆく蝙蝠。

「これが君の世界か? 夢がないねぇ。心がすさんでるんじゃないのか?」
難波は僕を精神的に追い込んでゆく。
僕はそれに負けてはならない。
「君は人を殺したことがあるか?」と難波は僕に訊ねる。
僕の脳裏に香織の顔が浮かぶ。
「そうか、あるんだな」と難波が言い、目の前に僕が現れた。
目の前に現われた僕は、ポケットからナイフを取り出して、誰だかわからない誰かをナイフで刺した。
「誰を殺した?」と難波。
「誰を殺した?」
「誰を殺した?」
難波の声が僕の頭の中で反響する。
僕は自分を見失ってゆく。
香織、香織、香織。
僕は香織のことを思う。
目の前の僕は誰かをナイフで何度も何度も何度も刺し続ける。
誰だ?
誰だ?
誰だ?
僕は誰を刺しているんだ?
ぼんやりとした人影が、次第にはっきりとしてゆく。
僕が刺しているのは女だ。
僕が刺しているのは髪の長い女だ。
僕が刺しているのは僕の大切な人だ。
僕が刺しているのは、香織だ。
難波が目の前にいる僕を突き飛ばす。
僕から香織を突き放し、抱きしめる。

「残酷だなあ、君は。それが正義なのか?」
難波は香織を抱きながら遠ざかってゆく。
待ってくれ。
香織を連れてゆかないでくれ。
香織は僕の物だ。
香織を連れてゆかないでくれ。
僕は無意識のうちに香織を追いかけていた。
現実と妄想の区別がつかなくなっていた。
これは罠だ。

僕は水の入っていないプールの底に、頭から落ちていった。
僕が意識を失って倒れそうになった瞬間、誰かが僕の体を支えた。
「ハーマイオニー?」
それは魔法学校の制服を着た髪の長い女の子だった。

「何言ってるのよ? 気を確かに持ちなさい」
と言ったのは栗山和美だった。
「和美、どうしてここに?」
「ノーホェアマンが知らせてくれたのよ」
「ノーホェアマン?」
「そう、ノーホェアマンがレベル2にいる私にあなたの危機を教えてくれたの。ここにいるのは私の妄想よ。現実の私もすぐここに向かうから、それまで何とか持ちこたえなさい」
「ははは、おもしろくなってきたな。妄想が開放されるとどこまでも妄想が届くっていうわけか。君の潜在意識もたいしたものだな。脱出不可能なレベル5を脱出し、無意識の内に仲間の助けを呼んでいるとはな」
「黙りなさい! あんたなんかに私たちは負けないわ!」
「ふふふ、大友総裁の子供を生んで育てている君が、我々に歯向かうというのか?」
「何だって!?」
「本当なのか?」と僕は和美に訊ねた。
「ええ、本当よ。私はこの街に来て、この街のことを知るほどに、この街が理想社会だと思うようになったの。そして大友を愛した」
「あんなに憎んでいたのに」
「そうね。だけど私はこの街で夢を叶えることができた。そしてこの街を愛していた」
和美は涙を流した。
「でも、ノーホェアマンは私に真実を教えてくれた。この街が決して理想社会じゃないっていうことを。
人を洗脳して奴隷のように働かせるだなんて、あってはならないわ。誰もが幸せじゃなくちゃ、意味が無い。だから私は戦う」
「何てこった。君は子供の父親を殺すつもりなのか? 恋人を殺す男に子供の父親を殺す女。お似合いのカップルだね。ところでノーホェアマンって何なんだよ?」
「俺がノーホェアマンだ」と言ってノーホェアマンが姿を現した。

「何だ、この怪物は? カプセル怪獣か?」と難波は言った。
「ノーホェアマンの姿が見えるのか?」
「ああ。君の妄想力の濃度が高いから、具体的な映像まで再現できている。そっちがそうなら、こっちもカプセル怪獣で対抗するぜ。ウォルラス、出て来い!」
僕らの目の前に、ウォルラスが現われた。
ウォルラスの映像は簡単に再現できた。
なぜならそれはビートルズのPVに出てくる怪物だからだ。
ビートルズを知らない須田だけは、ちゃんと見えていないようだったが。
ノーホェアマンがふぁーと大きくあくびをした。
ウォルラスは瞬く間にそのあくびに吸い込まれた。
「こんなの中身が無いから、何でもないね」とノーホェアマンは言った。
「ふふふ、やるじゃないか」と難波はなおも落ち着きを払っていた。
「もう僕は負けない。僕にはノーホェアマンがついてるから。僕はもうひとりぼっちじゃないんだ」
「ははは。そんな妄想上の怪物に何ができる?」と難波。
「何でもできるさ」とノーホェアマン。
次の瞬間、目の前に「リアル・エンジェルス」の小出友子が現われた。
「小出友子の意識のスイッチをつなげた。彼女はもう自分の意思で生きることができる。ここにいるのは妄想だが、実態もここに向かっている」
ノーホェアマンが言い終わると、こんどは「リアル・エンジェルス」のもう二人のメンバーである杉原なおこと岩下久美が現われた。
「私たちも戦う。みんなで力を合わせて、あなたと戦う」と杉原なおこが言った。
「おおお、懐かしのリアル・エンジェルス再結成か、面白くなってきたな」

「面白がってる場合じゃないぜ。僕ら『ハリーポッターとアズカバンの囚人』と「リアル・エンジェルス」でお前を倒す」と須田が言った。
「誰が『ハリーポッターとアズカバンの囚人』やねん?」
「あ、ごめん。『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』だった」
「何でやねん?」
騎士団長殺しにやられるぞ。あ、村上春樹じゃなかった。
47
終わりと言うものは、こんなにあっけないものだろうか?
いや、終わりは始まり。
決して終わりなんて無いんだ。
でもさぁ、何かわかんないんだよ。
なあ、ジム・モリソン、教えてくれよ。
「戦う必要なんて無いんだよ。僕がぜんぶ終わらせちゃったから」とノーホェアマンは言った。
「難波くんは決して悪いやつじゃないんだよ。ちょっと間違っちゃっただけなんだ。それはね、エゴイズムなんだ。自分のエゴを優先させて他人を支配するだなんて、やっちゃいけないことなんだよ。だからね、そのスイッチを切っちゃったんだ」
「ねぇ、想像できる? 争いも束縛も無い理想の世界が? 想像してごらん。理想の世界を」
「妄想喫茶と妄想ルームの空気清浄システムを停止した。それからレベル5での脳波コントロールシステムも停止した。もう束縛も妄想も無しだ。大友総裁も同意している。どうだ、これで満足か?」と難波逸郎は言った。
「いったいどうなってるんだ?」と僕はノーホェアマンに訊ねた。
「だから言っただろう、スイッチを切っただけだよ」
「そんなに簡単なのか?」
「ああ、簡単なことだ」
「だいたいこんなことをしなくたって、そこそこ儲かるんだよ。ただちょっと面白かったらやってみただけだ。やってみると何でもできちゃうから面白がってただけなんだよ。でももう飽きたし、欲しいものは全部手に入っちゃったから、どうでもいいんだ」
難波はそれだけを言い残すと、後ろ手に手を振りながら僕らのいる場所から去っていった。
少しして、だんだんと周りの景色が薄れてゆくのがわかった。
妄想世界が消えて行き、現実の世界が現われる。
気がつくと、現実の栗山和美が近くに立っていた。
「すべて終わったよ」と僕は和美に告げた。
「そう」と和美。
「ノーホェアマンは?」
「もういない。もうノーホェアマンの役目は終わった。僕はもう今までの僕じゃない。東京に帰って、すべてをやり直す」
「じゃあお別れね」
「うん、お別れだ」
和美がゆっくりと近づいてきて、僕を抱きしめた。
「あなたとは、もう会えない気がする」
和美がそうつぶやいた。
僕は和美にキスをした。
それは、僕の妄想だった。
和美が僕の鼻をつまんだ。
「妄想はもうおしまい」
そう言って、和美は僕の唇に自分の唇を重ねた。

おわり。
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「謎解きはディナーの後に、みたいに言うな!」