妄想シティ 第4話
8
コーヒーを飲んだり、シュークリームを食べたりすることで、僕は何とか冷静さを取り戻した。
僕にはもう帰るところが無い。僕はホームレスだ。僕はここにいいるしかないのだ。
「さっそくですが、君の脳波を測定させてもらえないかな?」
橘博士は僕が落ち着いたのを見計らって、僕に話しかけた。
「頭に電極を取り付けるんですか?」
「いえ、測定は非接触で行いますから、電極は取り付けません。
ただし、外部のノイズを遮断して純粋な脳波を測定するので、シールド・ルームに入ってもらいます」
「シールド・ルーム?」
「電磁波などを遮断した空間です。その中では音の反射もありませんから、まったくの無音です。
あなたの脳波の出力感度と受動感度を測定し、またあなたの脳波の特性を調べます」
「よくわからないけど、痛いのかそれは?」
「外的圧力はありませんから、痛くはありません。
あなたはただ、座って妄想をすれば良いだけです」
橘博士の説明に、僕は頷く。
「わかりました」
僕はそのシールド・ルームへと入った。
シールド・ルームはちょど家庭にあるトイレぐらいの大きさで、狭くて威圧感があった。
僕は便器にでも座るような気分で、椅子に座る。椅子はちょうどマッサージ椅子のような感じで、ふわふわしていて座り心地が良かった。
「用意は良いですか?」
橘博士の声が聞こえた。だけどその声はまったくの無音の空間の中に、吸い込まれるかのように一瞬にして消えていった。
「はい」、と答えた僕の声も響かなかった。
「何か、妄想してください」
橘博士の声。
僕は目を瞑り、妄想を始めた。
僕の目の前に、どろりとした僕の妄想世界が広がる。廃墟のような世界。それは僕が安らぐ世界だ。今、僕の目の前にはそれがある。
実際は家庭用トイレくらいの狭い部屋にいるはずなのに、僕の目の前にある空間は、どこまでも続いていた。その空間を、僕は歩いてゆく。夢の中にいるような感じだ。実際の自分は椅子にずっと座ったままなのに、僕の妄想の中で、僕は歩いている。
どれだけ歩いただろうか?
かなり遠くまで歩いたのだと思う。時間の感覚が無い。
何時間も経っているようでもあるし、数分であるようにも思える。ここは、時間の無い世界だ。
その世界の果てに、そのドアがあった。それは、心のドアだ。僕の心の中に通じる道。僕はそのドアを開ける。
そこに僕はいなかった。そこにいたのは、僕が見たことも無い生き物だった。

「君は、誰だ?」
僕はその得たいの知れない生き物に訊ねる。
「僕は君だ」
生き物は答える。
「そんなはずはない」
「君がここにいないから、僕がここにいるんだよ。僕は、ノーホェア・マン。ノーホェア・ランドで座ってる。ジョン・レノンも歌っているよ」
「ノーホェア・マン?」
ザ・ビートルズの曲に、「ひとりぼっちのあいつ」という曲がある。原題が「Nowhere Man」。つまり「ノー・ホェア・マン」だ。
今、僕の目の前にいる生き物は、自分のことをノー・ホェアマンだと言っている。いったい誰なんだ?
僕は妄想の中にいる。これはすべて僕の妄想だ。
どうして僕が知らない存在がここにいるのだろう?
「君の心の中は、ぽっかりと穴が開いている。君は自分自身を見失っているのだよ。君の心の中に君はいない。心の中に何もいないと、どうなると思う?」
「どうなるんだ?」
「死んでしまう。実際に、君の心は死んでしまった。だから、僕が生まれた」
ノーホェア・マンが言っていることは意味がわからなかった。
これは夢なのだ。これは幻なのだ。意味なんて無いんだ、僕は自分の心にそう言い聞かせる。
だけど、僕の心が死んだ?
荒涼とした世界に、見覚えのあるブティックが現れた。
それは、僕が図書館で見たものだった。いつの間にかノーホェア・マンはいなくなっていた。
ブティックは和美の妄想だ。僕の妄想の中に、和美の妄想が入ってくる。僕は和美の脳波を受信しているのだ。
ガラス張りのアーバンな雰囲気のショップ。真っ白な店内に、シックな黒い洋服が並んでいる。ブティックの店員は和美だ。和美はにこにことした営業スマイルで僕を迎える。
「何かお探しでしょうか?」
僕は和美を見つめる。黒いワンピース姿の和美。上品でハイソなスタイル。僕にはそれがすべて嘘のように思えた。僕は和美を見つめる。

和美の洋服が引きちぎれ、空に舞った。たちまち和美は生まれたままの姿になる。美しい。美しい和美の裸体。
「何するのよ、この変態オヤジ!」
僕は和美に鼻をつままれた。
目を開けるとシールドルームのドアが開けられ、和美が僕を睨んでいた。
「君の妄想力は凄いね」
橘博士は感心した表情をして僕を見ている。
「こんどあんな妄想をしたら、殺すから」
和美が僕を睨む。
「いや、良いデータが取れたよ。君の想像力、というより創造力には驚いた。実在しない生物までも創りだせるなんて、驚きだ。これなら十分にやつらと戦える」
橘博士は満足そうに微笑んだ。
「妄想で戦う、というのが僕には良く判らないのですが」
僕は素朴な疑問を橘博士に投げかける。
「君はもう、戦ったじゃないか、図書館で」
「でもあれは無我夢中で」
「それで良いんだよ。正しい戦い方なんて無い。どうやって戦うかはこれから身につけて行くことなんだ」
「それに妄想で世界を征服するだなんて、本当にできるのですか?」
「やつらが具体的にどうやって世界制服をするつもりなのかはまだわからない。だけど確実に作戦は進行している。やつらは水面下で行動を開始している。それが恐怖なんだよ。そう思わないか?」
橘博士は眉毛を吊り上げて僕を見る。僕は背筋がぞくぞくっとなった。
「仲間が必要だ。君のように妄想力の強い仲間が」
橘博士は僕はにそう告げる。そんなことを言われても、、。
第5話につづく。
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