妄想シティ 第3話
6
やっとのことで僕らは男たちから逃げ押せることができた。必死で走り、隠れ、また走った。
「あの男たちはいったい何者なんだ?」
僕らは彼らが追ってきていないことを確認すると、喫茶店に入り、切らしていた息を整え、コーヒーを飲みながら話をした。
「妄想で世界を支配しようとしている奴らよ」
女は落ち着いた口調でそう答えた。
「妄想で世界を支配する?」
僕はあまりにも非現実的な話に、まるで理解ができなかった。
「あの図書館で、奴らは脳波の伝達を活発化する実験をしていたの。私はそれを調べていた。そのことが奴らにばれて、捕まったの」
「脳波の伝達を活発化する?」
僕にはわからないことばかりだ。
「ともかく、私と一緒に研究所に来なさい」
え、何で命令口調?
「研究所って何の?」
僕は不満をさておき、女に聞き返した。
「脳波研究所よ」
「脳波研究所?」
僕はわけもわからぬまま、女の言う脳波研究所に行くことになった。
ともかく僕は、自分の身に、女の身に、何が起こっているのかを知りたかった。
それには脳波研究所に行くしかないのだ。
僕らは電車を乗り継ぎ、東京都内の私鉄の駅で降りた。
駅前の商店街を抜け、住宅街を歩く。
こんなところに研究所があるのか、と疑問に思いながら僕は女の後について歩いた。
しばらく歩くと、女が「ここよ」と言って指差した。
そこは、「赤沢」という表札がかかったごく普通の一軒家だった。
「ここが研究所?」
僕が疑心暗鬼の顔をして女を見ると、女は「そうよ」と当然のことのように答え、門を開けて玄関へと進んだ。
女がチャイムのボタンを押すと、「ガチャ」という音がして、玄関の鍵が開いた。
扉を開けて、中に入る。
そこは、やはり普通の家だった。
家の中には誰もいる気配が無かった。
靴を脱ぎ、僕は「おじゃまします」と言って家にあがった。
ごく普通の台所のあるダイニング・キッチンを横目に、僕らは中央にちゃぶ台が置かれた畳部屋に案内された。
「どうぞこちらでくつろいでいてください。今、お茶を出しますから」と言われるのかと思いきや、そうではなく、女は壁にあるスイッチを押した。
部屋の灯りがつくのかと思いきや、やはりそうではなく、中央の畳がちゃぶ台をくっつけた状態でグググと持ち上がった。そしてそこには地下へと通じる階段があった。
「す、すごい」
僕は思わずうなった。
7
階段を下りてゆくと、少しばかり冷んやりとした感じがした。
それはただそう感じただけなのか、本当にそうなのか、わからない。コンクリートの打ちっぱなしの階段と壁がそう感じさせるのかもしれない。
階下に下りるとそこには鉄製のドアがり、女がドアの脇にあるスイッチを押すと、ドアが開いた。
それほど広いスペースではなかった。研究所というよりも、研究室といったものか。
理科室のように、フラスコやビーカーなどがならんだ机、何をするのかわからない装置が壁一面にあり、コンピュータやらなんやらのディスプレイやスイッチ、キーボードなどが所狭しと並んでいた。
その男は僕らが部屋に入ると回転椅子に座ったまま、それをくるっと回転させて僕らの方を見た。
「初めまして。この研究所の所長の橘不二夫です」
男は立ち上がって僕に手を差し出した。
「早坂憲治です」
僕も自分の名前を名乗り、橘の手を握った。
「彼女は私の助手で栗山和美」
橘はそう言ってあの女を紹介した。
僕はここで初めて女の名前を知る。和美は黙って僕に軽く頭を下げた。
「さて、今君の身に起こっていること、今密かに世の中で何が起こっているのかを説明しましょう」
橘は意味深に語り始めた。
僕は近くにあった椅子に座り、橘の話を聞いた。
「私はとある研究所で、脳波の研究をずっとしてきました。脳波測定は通常、頭皮に多数の電極を貼り付けて行います。頭皮に貼り付けられた各電極と、耳に取り付けた基準となるアース電極との間に発生する電圧振幅を、時間軸にそってプロットしたものが脳波となります。通常測定では電極を頭皮に貼り付けるわけですが、より正確に測定を行うには針電極を頭に刺す場合もあります。我々はそれを非接触で測定する研究をしていました」
橘博士は「ここまでの話がわかりますね?」という表情をして僕を見ている。正直に言って、僕にはあまりよくわからなかったのだが、とりあえず僕は頷いた。
「あなたは幽霊の存在を信じますか?」
「幽霊?」
急に話題が変わったのに僕は戸惑う。
「物理的に説明のできない事象はこの世の中にはありません。それを解明するのが科学です。幽霊は見える人と見えない人がいます。見えたとしてもその見え方が違っていたりします。それはなぜか。幽霊は存在しないからです。それではどうして存在しないものが見えてしまうのか。それは脳が引き起こす錯覚なのです。人間の脳は足りない情報を自動的に補う機能を持っています。たとえば光が右側で点滅し、次に左側で点滅すると、人間の脳には光が右から左に走ったように見えます。欠落した情報を脳が補うからです。これと同じように、幽霊は錯覚によって見えるのです。他人の脳波が非接触で別人に伝わることによって、自分の知りえない情報が直接脳にインプットされます。その情報を元に、脳は自動的に補正をかけ、映像化し、実際には見えないものが見えてしまうのです。だから人によって、見え方が違ってきてしまいます。これが、幽霊の正体です」
橘博士は「わかりましたか?」という顔をしてまた僕を見るが、僕にはやっぱり判らなかった。
「我々は脳波の非接触測定研究を進めてゆくうちに、脳波を空気中で伝えやすくする方法を見つけました。簡単に言いますと、脳波の伝達を妨害する空気中の不純物を科学的に除去するのです。これによって、自分の妄想を他人に伝えることが容易にできるようになります。それに彼は気づいてしまったのです」
「彼?」
「私と一緒に研究を行っていた大友光彦です。大友は私のいた研究所の所長を殺し、研究所を乗っ取りました。そして妄想によって世界を支配する計画を遂行し始めたのです。私と栗山は研究所から逃げ出し、ここに身を潜めながら、大友の計画を阻止するために戦っているのです」
なるほど。科学的な説明は理解できないが、ともかく橘博士と栗山和美はここに隠れて大友という悪の組織のリーダーと戦っているというわけだ。そして僕がたまたま巻き込まれた。
「君に、我々と一緒に戦って欲しいんだ」
橘博士は僕にそう言った。
「いや、冗談じゃないですよ。そんなことに巻き込まれるのはまっぴらご免だ。僕はアパートに帰る」
僕がそう言うと、橘博士は小さく二度ほど首を横に振り、テレビのリモコンを使ってテレビのスイッチを入れた。
テレビの画面には炎上して黒こげになった建物を映し出していた。それは、僕の住んでいるアパートだった。
「帰るって、どこに帰るんだい?」
橘博士は冷静な表情をして僕に訊ねる。
「一体、どういうことなんだ!」
僕は思わず叫んでしまった。テレビのニュースに映っている自分の焼け焦げたアパートの光景に、僕は愕然とした。
「奴らはもう君の身元を調べ上げてアパートに火を放ったようだ。図書館から直接ここに来てもらえて、良かったよ」
橘博士はいたって冷静な口調で淡々と話す。
「僕はホームレスになってしまったのか?」
僕は呟く。
「大丈夫、ここに住めば良いの」
和美はけろっとした乾いた口調で言う。
「それで悪の組織と戦うのか?」
「そういうこと」
そういうことって、、。
「やだーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
僕は叫んだ。
第4話につづく。
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