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沖縄移住物語|パソコン初心者だった私がWebに強いフリーライターになっていた

都銀の窓口、JTBのツアーコンダクターを経て、沖縄に移住。PC初心者がWebと観光に強い沖縄フォトライターになるまでのお話です。

画像は「いらすとや」の素材を自己流アレンジしてます。


沖縄移住のキッカケは「寒いのが苦手だったから」

沖縄移住のキッカケは「寒いのが苦手だったから」|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

埼玉出身。沖縄在住フリーライター みやねえ( miya_nee )です。2017年にSUUMOタウンさんに寄稿して「宜野湾市民」だとバレました。2016年から沖縄と埼玉の二拠点で活動中です。

ツアーコンダクターをしていたときは、全国をツアーで周遊、たまに長期の海外ツアーへ。食事や温泉、歴史や文化、景色や現地の人たちなど多くのヒト・モノ・コトに触れて感化される自分がいたし、とにかくまあ、楽しかったに尽きると思います。

沖縄に移住したキッカケは、寒いのが苦手だったから。なぜに?と気になる異端児な方は、こちら黒歴史の記事をどうぞ。


沖縄移住当初は、JTBのツアーコンダクターだった

沖縄でのツアコンは、那覇空港でお客様を受け入れて、沖縄県内をぐるぐる周遊します。4日に1度は人気の観光スポット「美ら海水族館」や世界遺産「首里城公園」を巡り、ときには八重山諸島や宮古島など、のどかな離島も周遊できる沖縄観光三昧の日々。

ツアーコンダクターはバスガイドさんとは違い、基本はガイディングしないんですよね。簡単にいうと「ツアーの責任者」です。

旅程管理はもちろん、現地のクレームや緊急時のトラブルにも対応するため、臨機応変&素早い判断力を要求される場面もあります。特に命に関わる一大事の場面では、究極の張り詰めた緊張感の中、即行動に移さねばなりません。ツアーで一番大切なことは、お客様の安全確保だからです。

沖縄で最も多いトラブルは
台風時の対応です。

沖縄で最も多いトラブルは台風時の対応|JTB沖縄でのツアーコンダクター時代

暴風域に突入したなら諦めもつきますが、明日台風が上陸するとか、台風が去った後が最も至難の業なんです。

予定通りに1日観光するか、早々に観光を切り上げて空港にご案内するのか。特に台風が去った翌日は、那覇空港の出発ロビーが隅田川花火大会並の大混雑。航空会社の最新情報を把握するだけでもひと苦労です。

そして私の性格上、トラブルが発生するとなぜか燃える…🔥
(闘志が燃える!という意味)

まさに火事場の馬鹿力です。

優先順位や最悪の事態を回避するリスクヘッジ思考が、頭の中にマインドマップを作るんです。何が起きても、どんな流れになっても対応できるココロの準備を整えてる感じ。だから普段以上の力が発揮されるわけです。

これを何度も繰り返すと、表向きは冷静で落ち着いた添乗員。どんどん度胸が備わり、安堵感を抱いてもらえると、安心できる相手の考えなら受け入れようと思えるのか。緊急時こそお客様が協力的になってくれるんです。

こちとら顔は笑顏で必死の全力投球ですから、言動の節々に熱意や必死さが表れていたのでしょう。

JTB沖縄でのツアーコンダクター時代|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

珍道中も多数あり、孫に手こずるオジーさんの手助けやら、夜中に呼び出されて夫婦喧嘩の仲裁に入ったり、現実にはコミュ力と体力で乗り切る「スペシャリストな何でも屋」です。体力つけなきゃ!そんな理由を言い訳に美味しいご飯をムシャムシャ食べて、全国の温泉に浸かって癒やされてました。

JTB沖縄でのツアーコンダクター時代|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

沖縄でのツアコン生活は快適でした。仕事ながらも優雅なリゾートホテルに宿泊して豪華なディナーやモーニングを堪能する至福のお仕事。だから勝手に口が肥えていくんです。(ここだけリア充アピール)

たまに宴会の司会、イベント系ツアーなら会場の受付を担当。小学校の修学旅行に引率したときなど、アイドル並みに大勢の小学生に取り囲まれました。大規模なツアーでは何十名もの添乗員を束ねるリーダー役を任されたり……

これらの経験が、現在のライター活動に役立ってるから不思議です。

JTB沖縄のツアーコンダクター時代の至福|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

人前では「添乗員」ではなく、カッコイイからあえて横文字のツアーコンダクターと名乗り、VIPツアーなら小洒落たスーツを着用。アウトドア系ならポロシャツ&ハーフパンツ。

ツアーの目的や客層に合わせて、服装もキャラも七変化させるから「何だか俳優さんになった気分だ。笑」と一時期本気で思ってたんですよ。

ドラマや漫画の主人公を真似たりすると、行動に迷いが出ないんですよ。誰かになり切る、誰かを演じて振り切ってみる。これなかなかいいですよ。


パソコンを勉強したくなり、PC初心者が基金訓練で格闘する

沖縄県内を行き尽くし、パソコンと格闘したくなったころ。月10万円だったか(?)支給されながら勉強できる基金訓練を知り、衝撃を受けました。

お金を…もらいながら…PC勉強できるの?
なんだ、その画期的なシステムは!!

ハローワークで講座を探し、講座名のカッコよさから「Webクリエイター科|3ヶ月」に目をつけました。開始時期に合わせて添乗員を辞めて、もう即応募です。倍率5倍超えの応募から、ペーパー試験に受かって受講できたけど、落ちてたら今頃何をしてたんでしょうね?

PC初心者がWebクリエイター科で学ぶ・資格を取る|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

この時点で、私は全くのパソコン初心者。

初の授業開始10秒後、Windows PCを前に「画面の拡大・縮小どうやるの?」と隣の人に質問しまくる(その節はお世話になりました…)

Webクリエイター科とは、Adobeの有料ソフト「Photoshop/Illustrator/Dreamweaver」なども使い、本来ならPC初心者に不向きな講座。全ての授業が同時進行、もうてんやわんやです。

PC初心者がWebクリエイター科で学ぶも授業についていけず、どよよーん|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

帰宅後に家で予習・復習を繰り返し、授業についてくだけで精一杯。

疲労困憊の深夜2時。なぜか牛乳を買いにスーパーへ徒歩で向かうと(たぶんビールを飲んでた)ぼやけた視界の先に、立ち止まったまま動かない人影。こんな時間に誰だろ? なんか怪しい(自分もね〜)えっ。変質者? いやまさかの幽霊!? ウサイン・ボルトもビックリな猛ダッシュで店内に突進しました。人は切羽詰まると「亡霊」まで見るようです。

2ヶ月目に入ると、Illustrator で左右対称のハートを描けるようになり、序の口すぎて苦笑い。3ヶ月目、慌ただしく勉強していくつか試験に合格。無事に卒業しました。


沖縄移住して3年後、Web制作会社に勤める

ここで運が発揮されました。沖縄に新オフィスを開設する東京のWeb制作会社を発見し、立ち上げスタッフとして就職。約3年間勤務しました。

「実績ないのによく就職できたね」

周囲の知人に言われて気づく。「運とタイミングだけで生きてるのよ、ふふふ」自分モッテル!とポジティブ思考。でも今思えば給料安くて、誰にも金額言えません……

そして、Web制作会社に就職後、現実を知るわけです。

訓練校での勉強は仕事で全く役に立たず。
イチからスキルを積み上げなきゃだ。

ただ「何も実績がない初心者ならば、
資格がないよりは、資格を持ってるほうが
やや有利」という感じでしょうか。

独学でも、講座でもいいので、勉強したら何か作品を作ってみる。

これがスキルアップや就職を決める早道なのだな、と痛感しました。講座を受けるのは「キッカケづくりの入口」にすぎず、その先、どう行動していくかが大切なんだろうな。

この時点では何をやりたいのか目的もなく、Webの仕事に携わるの楽しそう…… それだけでしたね。

晴れて沖縄のWebサイト制作会社に就職|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

最初の6ヶ月間。Photoshop で写真加工を繰り返し、今では一瞬で選択できるパス抜きの練習もして(いい時代になったなあ)。次の半年間は、ECサイトの初期設定やデザイン画像の制作担当。2年目は、HTML&CSSでゼロからコーディングするWebサイト制作。3年目は超大手企業のWebディレクションを担当しました。

わりと飽きっぽい性格なので、次々と仕事が変わる環境が好きで、新しい仕事きたけどやる? と言われたらシッポ振ってワンワン!と即飛びつく。

どう進めたら早く終わるのか。どんな基礎構築をしたら他者に引き継ぎやすいのか。無駄や二度手間が苦手だから、最初に基盤と仕組みをつくり、作業の効率化を図る。

スケジュール管理はツアコン時代の影響なのか、わりと得意なほうでした。

でもですね? 服装はジーンズOK
作業中にイヤホンで音楽聴くのもOK
たまになら、席でポテチ食べてもOK

このWeb系のゆるさは、ぶっちゃけ衝撃でしたね。県外クライアントとのやり取りがメインなので、会社に訪問する企業やお客様と遭遇しないのも理由のひとつ。実力の世界なのかな? 目の前のがパッと開けた気もしました。

沖縄のWeb制作会社に就職。作業に集中して話しかけないでオーラを出す|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

そして、Web業界ならではの「隣の人ともチャット」でやり取り。

静まり返るオフィスに妙な違和感を抱いてソワソワ。さすがに「席が近い人とは会話しようぜ!」となり、自分が作業に集中してるときは声かけないでオーラを発するから、人間って不思議ですね〜

そしてある時、こう思ったんです。この先、自分がスキルアップできる仕事がココにはもうなさそうだな。そして退職する決意を固めました。


主に県外のWeb制作会社が沖縄に拠点をつくる目的は、本社で受注した仕事の下請け。そして最低賃金が低い沖縄で人件費を削りたいから。沖縄での営業活動が目的ではなくて、ゼロから作り上げるクリエイティブな仕事がさほど舞い込んでこない、そんな時代だったのです。

しかし現在は、沖縄に拠点を設けるなら「沖縄を盛り上げたい」と進出してくる企業も増えて、いい環境が整ってきたなと思います。クリエイターや手に職をつけた人なら、沖縄移住してみるのも面白そうですよ。


Web制作&Web講師として、フリーランス人生を歩む

退職後、タイミングよくWebサイト制作の仕事が舞い込んでコーディングに明け暮れていたころ。

ツアコン時代に新人研修講師をした経験を生かして「Webでも教える仕事がしたいな」と周囲に話したら、Web講師の仕事が舞い込みました。

最初は基金訓練のWeb講師。その後は沖縄の専門学校でWeb非常勤講師を務め、2016年3月まで担当しました。おや? 今思えば、ライター活動と同時並行だったのか(記憶にございません)

沖縄でWebサイト制作の講師をする|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

基金訓練の授業は自分も生徒を経験したことから、受講生のモヤッとした気持ちを理解できたし、当時は基金訓練バブル。やる気のない受講生さんもいました。

手を動かしてWebツールを使いこなす。
デジタル作品を作ってみる。
面白がって自ら動ける。
自分なりに考えて行動する。

どの分野でも同じですが、先を見据えた行動力や物事を掘り下げる思考力。理解が増すほどジリジリ成長していく人がやっぱり強いなと感じました。

IT業界は進化のスピードが早く、新たな情報をインプットしては、多岐にわたる情報網から取捨選択する判断力も必要です。

新しいWebサービスが登場しては姿を消すスピードも早く、常に何かを仕掛けていく危機感がつきまとい、上位を維持しつづけることが困難な弱肉強食の世界でもあります。


逆にいえば、IT業界は古株も新参者も関係なく、誰にでもチャンスの機会を与えられた業界。情報感度高く行動した者が、手を動かして作品を作り上げた者が、仲間を増やし知恵や技術を集結した表現者たちが、チャンスを手にすることができるのだと思います。

とにかく行動しないと、何も始まらない。

人に会う度に「こんなことがやりたい」と話していたら、チャンスが舞い込む機会が増えたのは事実。そうか忘れていたよ(2025年の自分よ)


2013年6月。なぜかWebライターデビューしていた

2013年3月、当時好きだった東京のWebメディアでライター募集が出たんです。一か八か戦法が勃発!何も実績ないけど応募して大丈夫か? 一瞬迷たけれど「こんなチャンス二度とない」無我夢中で応募しました。

実績がないため、個人ブログのURLを貼って「とくに面白くもないんですが」いらぬ説明入でメールを送ったあと、「新たなWebメディアをリリースするので沖縄情報の記事を書きませんか」と返信が来ました。

こ、これは。採用されたのか!? 大喜びですよ。

当時は、たまに失礼なことを言う” そめひこ ”さんが担当で、現在は株式会社 THE MOLTSの元代表取締役&プレイヤー。メールで提案したり、「そめさんの本気、見せてもらいました。ぜひ協力します」と、いいライターぶってみたり、その節はお世話になりました。

先日、氏名で検索したらインタビュー記事に
ちょっとおデブちゃんな海老蔵さん似の
写真が掲載されてました(懐かしいー)

2013年6月、ローンチしたWebメディアでWebライターデビューです。

主に楽しく読める「おもしろ記事」を執筆。丸二日かけて取材した渾身の沖縄都市モノレール・ゆいレール各駅停車の旅(前編・後編・特別編)、個人的には「劇団☆新感線 ゲキ×シネ」レビューの記事が好きでした。

(メディアが閉鎖されたため、個人のWebマガジンに転載)


と同時に、自ら応募した沖縄の雑誌「porte」の前身、「juego」でグルメ記事の執筆を担当。「porte」でも少しお手伝いさせてもらいました。

いくつかのWebメディアで書かせてもらい、沖縄で開催されたイベントをキッカケに、日本マイクロソフト品川本社を取材で訪問することに。ここから私の趣味に「企業のオフィス訪問」が追加されました。

取材ありきで執筆し、趣味で書いていたWeb記事。

2014年9月、大量な仕事が舞い込みます。沖縄のWebメディア「たびらい沖縄」編集長さんからお声がけいただき、若手の女性編集者さんとリゾートホテルを25件取材するという。

朝食の料理撮影後、食事をいただき、ツアコン以来のリゾートホテルは楽しく、たまに朝食前の朝5時集合とかキツくもあり。笑 このとき一眼レフ撮影のスキルがグッと上がったけれど、プレッシャーが半端なかったですね。

今考えてみると……

おもしろ、グルメ、まとめ系、イベントレポートなど、趣味の範疇で書いてたわりには、いろんな分野の記事を執筆していて、本格的なリゾートホテルの取材依頼を受けて、本業が「写真が撮れるWebと観光に強いフリーライター」へと進化していきました。

2015年6月、小さくWebライティング講座を始めて「asoview!」さん初の外部ライターとして契約させてもらう光栄な立ち位置でスタートダッシュを切りました。

CSS Nite in OKINAWAに登壇|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

2015年5月には新規立ち上げメディア3つから声がかかり、みやねえさん頑張ってるね!と「 CSS Nite in OKINAWA 」の登壇者に推薦してもらい、マイナビさんではインタビューされ、編集者に抜擢されてすぐ、Webメディアの編集長に就任。ライターという仕事を軸に広がり始めました。


2016年の年明け。昨年の振り返りをしたとき、2015年夏頃の消耗具合にやっと気づいて、新しいことを一気に手がけるのはキャパ的に無理だと悟り「やりすぎ禁止令」を自分に下しました。

「勢いで何かを始めることへの疑問」を感じて、勢いだけなのは良くないな。ある程度は計画を立てて行動しなきゃ!と痛感したんです。


ただひとつ言えることは、振り返ってみると「人とのご縁」から依頼が来た仕事が多かったこと。当時は気づきもせず、振り返りで気付かされた感じ。やはり《 人とのつながり 》継続すること大事やねん。

インタビューをする、取材ができるライターとして活動。意外と細かい作業が多いんです|沖縄在住ライター・編集者 みやねえ

そして、沖縄の起業家代表(?)としてインタビューされました。


そんな私も、2025年でライター歴11年目。

未だにライターという仕事を続けているのは、やはり取材が楽しいから。人と話す、人の話を聴く。相手の思いや熱量が高いほど、文章を書くときに憑依するんですよね。

知らない業界に足を踏み入れて
自分が知らない世界を知り、
関わることがなかった人たちと対話する。

インタビューや取材を通して
会いたい人に会いに行ける。
行きたかった場所にも行ける。

きゃあー。間宮祥太朗さん…!!!(私が撮りました)


初めの頃はインタビューに緊張したし、話を聴く相手が毎回変わり心理的ハードルも高かったけれど、いつしか楽しさに変わっていきました。

インタビューや取材ができるライターの需要は今後も増えていくと確信しています。取材ができるライター人口を増やしたい。そんな思いもあって取材・執筆ありきの「実践的なライター育成講座」を開催しています。

長い… 長かった…

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

人生って何が起こるかわかりません。やらない後悔よりは、行動して後悔するほうが、深く悔いが残らない気がします。

人生は一度きり。思い切って、えいやっ!と行動してみると、自分を取り巻く環境がガラリと変わるかもしれませんね。


現在はこんな活動をしています


\考え方の土台とマインドを整える/
インタビュー・取材ライター講座5ヶ月間
マンツーマンのコーチング付き

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みやねえ @ 沖縄在住ライター・編集者 ご覧いただきありがとうございます。疲れたときに甘〜いオヤツ食べます♫