おうちで「いただきます」を言える幸せ
最近、"自炊"気味である。
・・・変な日本語を申し上げた。
要は「最近、自炊を頑張り始めたよ」ってことが言いたい。
太古の昔に同棲し始めた時は、自炊に対してすごく気合が入ってて、おしゃれシステムキッチンがついたデザイナーズマンションで意気揚々と自炊を頑張っていたのだけど・・・まあ続くわけもなく。笑
(結局、予算よりも高いおしゃれ物件に決めちゃうのも、初めての同棲あるあるでおもろかった)
仕事スタイルの全く違う上司と慣れない仕事、そしてあれよあれよと決まった美大の大学院への進学&退職などで、忙しさと充実感を言い訳に、私の身体も心もキッチンから離れてしまっていた。
そんな日々を過ごし続けてはや8年。
あっという間に月日は過ぎて、勢いで始めたフリーランス生活はいつの間にか、ささやかな会社経営に変わり、百名山を完登して、気づけば同棲していたパートナーとようやく結婚した。ご飯は、外で済ませることがあまりに多かった。
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5月の連休は大きな遠出もあまりなく、基本的には家をベースとしながらゆるゆる過ごす極めて平和的な日々だった。一緒に外出しようと思っていたパートナーに海外出張が入ってしまい、思い描いていた予定ではなくなってしまったのだけど、普段多動な生き方をしている私にとっては、結果的に非常におだやかでリラックスしたお休みとなった。
先月下旬に実施するはずだった82kmの奥秩父大縦走も季節外れの台風に邪魔されて行けなかったこともあり、なんだか家で過ごす時間が非常に多かったなあ。
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自炊できるなら、そりゃ自炊するに越したことはないと思う。
一回多めに作ればしばらく同じものを食べることになるとはいえ、結果的にお安く済んで経済的だし、いかんせん外食が続くと、どうしても濃い味付けの食事が多くなってしまう気がする。周辺で済ませる外食に飽きていた自分もいた。
コンビニのものを食べ続けているわけではないし、行きつけのお店のメニューが保存料や着色料まみれだとは到底思わないけれど、お店でいただく美味しい料理の数々に一体何が入っているのか、すべての調味料や原材料までつまびらかに知ることは難しい。
そこまで徹底して知る必要はきっとないけれど、この前記事にも書いたように、最近自分が食べるものとの「距離感」をすごく気にするようになった。
私の人生のきっかけはいつも単純で、今回の自炊のきっかけは「体調が良くない日が続いたから」というもの。
主治医の勧めでお粥を作ってみたら思いがけず美味しくて、お米の甘さと自分で作ったものを食べるという行為になんだかホッとした。
「なんだ、自分でも美味しいもの作れるやん」
素直にこう思えたことが、しばらく先までの私の自炊ライフを後押しすることになる。
家にいる時間が長かったし、連休もそれ以降もタイミングよく友人たちが我が家に来てくれることも重なり、あんまり自分でご飯を作ることへの心理的?抵抗も物理的制約もなく、気づいたら毎日ではないけれど、かなりの頻度でキッチンで何かを作るようになった。
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こういう自分の心がご飯に向き合えているタイミングで、私はずっと読みたかったこの本のページを開くことができた。
著者は自炊料理家の山口祐加さん。
同い年とは思えないほど、しっかりした信念を優しい言葉で紡ぐことができる方。かっこいい。
昨年の発売当初から実はこの本のことは気になっていて、彼女のインスタもフォローしてるけど、自炊はずっとしたいなと心のどこかで思いつつ「今日も出来なかった・・・」と諦めた回数が積もり重なり過ぎて、どこか手が伸びなかった本。
自炊がちょっと楽しくなりかけてる今読めたからこそ、スッと自分の中に優しく取り込まれていくような感覚はあるけれど、いつ読んだとしても「ああ、自分はこんな簡単なことすら出来ていないのか」って思うのではなく、「こんなことすら自炊って言っていいんだ。自分のための営みなんだ」って、自然に優しい気持ちになれる本だと思う。(もっと早く読めばよかった)
家に遊びに来てくれた親友ちゃんがこの本を少し読んで、その夜は自炊できたって言ってた。自分でご飯を作ることに対していろんな思いがある人それぞれに何か背中を押してくれるそんな存在なのかも。
ノートに書いておくし、一生眺めておきたい優しい言葉がこの本にはたくさん詰まっているので、自分の備忘も兼ねてここに記しておきたい。
・自分で作って食べる行為は、買ってきたものを食べるということとは全く違った行為です。自炊ができるということは、自分の体調の移り変わりや生活の変化に合わせて、自分を労わり養っていけるということです。(p.13)
・食事が後回しになってしまうことが長く続くと、「そろそろいったん止まって、休んだほうがいい合図」だと考えるようにしています。(p.58)
・食べられないものを食べられるものに変えるのが料理だと思っています。自分のためのお料理ですから、頑張らなくていい、気合を入れずにやってほしい。(p.130)
・プロセスを感じること、味わうことが、何かに対する想像力や実感を緻密にし、距離感を縮めていく大切なコツだと思います。(p.157、星野概念さん)
・おいしさの9割は安心感でできている。(p.164)
・調理のプロセスに集中するのはすごくいいことだと思います。自分のためかどうかはいったん脇に置き、卵が焼けていく様子をただ眺めることに集中してみるとか。(p.214)
・食べることをやめることはできないし、誰か代わりに食べておいてなんてこともできない。だから余計に難しいし、悩ましい。ある意味で健康や命に直結するから、食べてりゃなんでもいいというわけでもない。(p.217)
・「自分のための料理」というのは、自分で自分を喜ばせる行為です。それはできたものを食べておいしかった時だけじゃなく、工程がうまくできて「よっしゃ!」みたいなときも含まれる。他人が介在せず、勝手にやって勝手に喜べること自体が貴重な経験なのではないかと思うんです。(p.218)
・私が料理をするのは、リフレッシュの意味合いも大きいんです。仕事で疲れたり、思考が止まっちゃった時に、とりあえず晩ご飯の準備をしておこう、と煮込む直前までやって頭をリフレッシュさせ、仕事に戻る。手指の運動としての料理に助けられることって、たくさんあります。料理は火や刃物を使うので、いったん取りかかったら、仕事の続きを考えてはいられない。強制終了される感じが心地いいんですよ。(p.236)
・料理はボタン1つではできませんからね。何かを作るって、手間暇がかかる。そういう感覚をまずは獲得しておくことが大切だと思います。簡単なものに触れるのは、大人になってからの方が安全だし、複雑さを知る人間になれるのではないかと思う。(星野さん)(p.245)
・・・長いw
でもそれくらい、一つ一つの言葉が私にスーッと浸透した。読んでるだけで自分のケアになった。
「自炊」という行為に対して、自分が「こうでなくちゃいけない」という固定概念を作って自分自身を縛っていたことに気がつけた。自分が食べるものなのだから、全部わたし基準でいいのだ。彼も食べるけど、作るわたし本位であって良い。
誰の目も気にせず「あ、今日これ食べたいなー」とか「とうもろこしの時期キタ!」って素直に思えることがなんと快適か。
そして、基本在宅ワークな自分にとって、PCやiPadから離れてキッチンに立ち、大好きなPodcastを聴きつつ、ご飯準備をしている時間がこんなにも息抜きになるとは・・・!
よりフレッシュな気持ちでそのあとの仕事に取り組めるのもありがたい。
これまでは仕事の合間の皿洗いとか洗濯物整理の時間が頭の整理の時間だったけど、今は完全に料理の時間にぼーっとできてて幸せ。
30年ほど生きてきたのに、当たり前のことをこうやって思い知ってる自分が面白くなってきた。「食べる」ってもっと面白い行為だったんだね。
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最後の最後に!
自分の魚釣りの経験じゃないけど、山口さんの言葉で本当そうだなあと思えたものを書いておく。
自分が作った料理が栄養になって自分に返ってくると結果的に心身の健康につながるし、社会のことも考えられるようになる。(p.245)
ほんとそうなんだよね。
結局、自分の興味関心は自分ごとの延長線でしか広がっていかない。
似たようなことを、最近読書会で読んだ本では「ウェルビーイング」の文脈で語ってた。

この本では、ウェルビーイングの概念は「I」(わたし)からWE(わたしたち)に広がって、SOCIETY(社会)とか最後にはUNIVERSE(宇宙)まで拡大していくことを示唆しているんだけど、その超わかりやすい事例で「食」が紹介されておりました。
「同じ釜の飯を食う」っていう言葉があるように、食事を介したコミュニケーションってすごく親しい関係性を紡ぐと思うし、「食」がきっかけで素材の産地や地方の食文化にも興味が湧く。もう少し視野を広げれば、世界の食糧問題とかにも興味がシフトしていくんだろうな。
ああ、無意識だったわけではないけれど、ずいぶん「食」を意識の周縁に追いやってしまっていたようだ。
でもようやく手の中に大事なものを取り戻せた感覚がある。
おかえり、わたしの「食べる」時間。
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