文字を持たなかった昭和 二百二十八(暖房その七、練炭)

 昭和30~40年頃の鹿児島の農村。母ミヨ子たちが暖房代わりに使っていた火鉢(炭)の仲間(?)として外せないのが練炭だ。

 粉末にした無煙炭を凝結剤で円筒形に固め、空気を取り込みやすいよう縦方向に穴をあけてある、上から見るとレンコンのようにもハチの巣のようにも見えるあれだ。

 いまでは――練炭にとって大変不名誉なことに――一酸化炭素中毒を故意に起こすために使う道具という印象が強いが、火力を一定に調節しやすく、かつ長時間燃焼する練炭は、暖を取るにも調理にも使える優れものである。とくに調理用のガスが普及する前は、とろ火で煮込んだり、竈でできあがった料理が入った鍋を短時間保温しておくのにはうってつけだった。

 練炭は珪藻土でできた専用のコンロに入れて燃やす。コンロに直接網を乗せて魚を焼いたりすることもできた。この使い方は、ガスが普及する前の都市部でも一般的だったのではないだろうか。ミヨ子たちは、珪藻土でできた練炭火鉢を、まだ土間だった台所に置いて煮込み料理などに使っていた。

 後年、「練炭火鉢」と呼ぶ陶製の大型火鉢も開発(?)された。コンロのままでは熱くて近寄れないが、コンロごとこの火鉢の中に入れれば、安全に暖を取れ、調理もできるのだ。もちろん、焼き網を乗せれば餅も焼ける。調理に使わないときは、ヤカンをかけておけば自然にお湯が沸く。火鉢の上部は外側に張り出して小さな円形のテーブルのようになっており、灰皿などのちょっとした小物を置くこともできた。

 ただし、炭もそうだが、室内で練炭を燃やすときは喚起に気をつける必要があった。冒頭に書いたように、一酸化炭素中毒を起こす可能性があるからだ。

 もっともミヨ子たちが住んでいた、いまでいう古民家のような家屋は、密閉度が低く、建具の隙間からいくらでも酸素が供給されたから、よほどのことがなければ一酸化炭素中毒の心配はなかった。そのため練炭は本当に使い勝手のいい暖房器具であり熱源であり続けた。 

 子供だった二三四(わたし)の思い込みでは、練炭は火鉢の後継品だと思っていた。しかし、念のため練炭の歴史を調べたところ、意外と古くから使われていたようだ〈132〉。

 ただし、家の竈や風呂の焚き口で作れる「消し炭」と違って、練炭は買って来なければならない。だから、倹約家(締まり屋ともいう)である舅の吉太郎や姑のハルが元気だった頃は、練炭をメインに使うことは少なかったと思う。 

〈132〉日本練炭工業会のホームページによれば、オランダから知識を得て日本で初めて練炭を作ったのは(なんと)榎本武揚で、量産が始まったのは大正時代とのこと。木炭の代用として森林資源保護に貢献し、ガス・電気が一般に普及するまで家庭燃料として大きな役割を果たした。
《参考》
日本煉炭工業会>煉炭・豆炭とは

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