文字を持たなかった昭和 二百二十七(暖房その六、炭、続き)
昭和30~40年頃の鹿児島の農村。母ミヨ子たちが使っていた火鉢や炭に関連して、思いついたこと。
昭和前半より前の生活を描写したドラマや映画、マンがなどに、冬の屋内の光景として描かれるのが、火鉢に五徳を置き、焼き網を乗せて餅を焼いたり、お湯を沸かしたりするシーンだ。
さもありなん、な光景で、お宅によっては実際にこんな使い方をしていたのかもしれない。火鉢の炭火は煮炊きするには弱いし、継続して燃焼させるためには炭の燃え具合を調節したり炭を足したりしなければならない。つまりほぼつきっきりで火の面倒を見ないといけない。だから、暖を取りながらじっくり餅を焼くのにはうってつけとも言える。一度沸いたヤカンの湯を、適度に保温するにも適しているだろう。
だが、火鉢の側にじっと座って餅を焼くような悠長な(?)生活ができたのは、都市部の楽隠居ぐらいではないだろうか。わたしの祖父母が火鉢で餅を焼いたり、ヤカンを掛けていた記憶はないのだ。
だからと言って、調理は必ず竈、あるいは囲炉裏というわけではなかった。薪の火は調整が難しく、とくにとろ火の継続は困難だったから。
では何を使ったか、と言えば練炭だった。(「その七、練炭」へ続く)
