文字を持たなかった昭和396 介護(15) 姑⑨納戸

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 最近はミヨ子が嫁として仕え最期を看取った舅と姑の介護の様子を、「介護」というタイトルで書きつつある。 昭和40~50年代のできごとである。介護という概念すらなかった当時の状況()に始まり、舅・吉太郎(祖父)のお世話()に続いて、姑・ハル(祖母)について書いている。 ぼんやりしたり、(本人には意図があるが)「徘徊」したり。

 やがて排泄の対策も必要になった。ミヨ子の手縫いのおむつをハルは最初うるさがったが、そのうち足腰がもっと弱り、自力で立ち上がるのが難しくなっていった。せいぜい上体を少し起こすくらいで、ほとんど寝たままの状態になったのだ。

 外を歩き回る心配がなくなったのはありがたいと言えばありがたかったが、食事や排泄のお世話は増える。田畑の仕事も抱えているミヨ子にとっては負担が大きくなった。

 それに、寝たきりでじっと動かないわけではない。布団からいざって出てきてしまうこともあった。いま考えれば、ハル本人には何かが見えて、何かをしたいと思っていたに違いないが、おとなしく寝ていてくれなのは、どうしても留守がちになる農家にとっては困りごととなっていた。

 いまの介護の常識ならば、足腰が弱らないよう軽い運動をさせたり、脳へ適度な刺激を与えたりを、もっと前の段階でしてあげるところなのだろうが、当時ご老人の「ボケ」のメカニズムの研究はまだまだ進んでおらず、まして一般人は家庭ごとにその「現象」を受け入れるしかなかった。もちろん介護の制度もなく、老人ホームなどに入れるのは身寄りがないかお金持ちかだ。

 何より、年老いた親を看ることは子供や家族として当然のことで「徳」でもあった。

 だが、現実の生活、とくに仕事とは両立させなければならない。そこで夫の二夫(つぎお。父)一計を案じた。

 ハルが寝たり起きたりになってから、納戸はハルの寝室のように使われていた。納戸の入口のドアを、外側からかまぼこ板で押えて、内からは開かないようにしたのだ。ドア枠に当たる柱にかまぼこ板を釘で打ち付けてあるのだが、板は360°回転する。つまり、板を回せばドアは開く。ただし板を回せるのは外側からだけだから、ほとんど閉じ込めてしまったような状態になった。

 もっとも、家族が家にいるときはかまぼこ板の押えを回してドアを開け、納戸との出入りを自由にした。ミヨ子が帰宅して最初にすることは、納戸のドアを開けてハルの様子を見ることだった。そうやって「最大限」配慮しつつ、農作業とお世話の両立を模索するしかなかった。

 この頃には「ボケた」お年寄りをどう扱うかが社会でも問題になっていた。まさに「座敷牢」のように、襖や障子を固定してお年寄りを終始閉じ込めている家もあるらしい、という噂を聞いたりもした。

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