呉正男氏 1.第1回台湾出身戦没者慰霊法要
戦中だった少年時代、飛行兵に憧れ陸軍に志願した亡き父・二夫(つぎお)の軍歴を追ったことについては「軍歴を辿る(昭和、男もつらかった・番外編)」に綴ってきた。操縦ではなく整備を担当したことは本人から聞いていたが、志願したのは特別幹部候補生(特幹)だったことは交付された軍歴から初めて知った。
noteを通じて少年飛行兵や「特幹」などについて教えてくださる方もあり、「特幹」についてもっと知りたいと思っていたとき、あるネット記事が目に留まった。
「台湾出身の日本兵だった男性も参列 横浜で戦没者をしのぶ法要」
有料記事のため全文は読めないが、冒頭にこうある。
――第二次大戦で命を落とした台湾出身の旧日本軍人・軍属らを慰霊する「第1回台湾出身戦没者慰霊法要」が16日(※)、真照寺(横浜市磯子区)で執り行われた。台湾出身日本兵だった呉正男さん(98)=横浜市中区=ら日台の関係者約40人が参列した。昨年、境内に「台湾出身戦没者慰霊碑」が建立され、毎年5月第3土曜日に法要を行うことを決めた。――
《引用元》台湾出身の日本兵だった男性も参列 横浜で戦没者をしのぶ法要(毎日新聞)(※)慰霊法要は2026年5月16日。
呉正男さん。ご健在なのだ!
「台湾出身戦没者慰霊碑」で検索すると、慰霊碑建立に関する記事がいくつかヒットした。慰霊碑建立の資金を募るクラウドファンディングも行われていたようだが、一連の活動と情報に気づかなかったことを残念に思った(というか自分にがっかりした)。
前掲した記事のタイトルと引用部分からは、呉さんは慰霊祭出席者の一人のようにも受け取れるが、関連の記事複数を読むと中心になって慰霊碑建立を進めた人物であることがわかる。90代後半というご年齢でこんなことを成し遂げられたのか、と畏敬の念が湧きあがった。
呉さんの近況を知ろうと他の記事を探し、陸軍特別幹部候補生だったことに触れている記事も目にした。陸軍特別幹部候補生、つまり二夫と同じなのだ。呉さんに対する一種の親近感も湧いてきた。
詳細は別項で述べるつもりだが、わたしは呉さんと面識があり、ご連絡先も存じ上げていた。ただここ何年かすっかりご無沙汰してしまっていた。慰霊祭にはお元気で出席されたようだが、ご年齢がご年齢である。実際のところはどうなのだろう?
ともかく近況伺いのハガキを出してみることにした。手元のご連絡先はご自宅のもので転居されていたら届かないかもしれず、半ば「ダメ元」だった。ご年齢からして施設入所されていてもおかしくないだろう。
ハガキには慰霊法要の記事を読んだこと、以前のご縁(たぶんお忘れだろうから)、そして亡父も特別幹部候補生であったと最近知ったことも添えた。お元気でご自身のご経験を語り続けていただきたいと結び、お会いしたいとは敢えて書かなかった。会えるとは思えなかったからだ。
※トップ写真は「第1回台湾出身戦没者慰霊法要」(世界連邦日本仏教徒協議会サイト)より。
