文字を持たなかった昭和 三十一(白羽の矢)

 引き続き、母ミヨ子の夫となる青年について。

 戦後の食糧増産の時期、一人息子として両親を助け耕作に精を出していた二夫(つぎお)に、両親は早く嫁をもらってほしいと願っていた。

 早く孫を抱きたい、というほっこりした話ではなく、父・吉太郎が働きづめで買い広げた田畑を耕すのに、家族三人の人手では足りないという切実な問題があったのだ。母のハルも吉太郎に負けない働き者ではあったが、人手は多いほどよかった。遅く生まれた子供だったので両親ともに六十の坂を超えつつあり、息子の縁談は早くまとめたかったことだろう。

 ハルは自分の親戚筋のある女性を候補に考えていた。親戚なら話を通しやすいし、何かあったときでも家どうしで助け合える。二夫にその話を向けると、意外な答えが返ってきた。

「オレはミヨ子がいい」

 ミヨ子って、同じ集落の直次さんとこのミヨ子か? あの家はそんなに裕福ではないし、ミヨ子本人は佐賀で結核になって帰り、入院してやっと治ったと聞いている。体が弱いんじゃないだろうか――とハルは思っただろう。二夫にもそう言ったかもしれない。しかし二夫は頑として譲らなかった(※46)。とうとうハルは折れ、正式に仲人を立ててミヨ子の両親に縁談を申し入れた。

 わたしは両親からなれそめなどを詳しく聞いたことはないが――それとなく尋ねたときもはぐらかされた――、田舎のこととて「当時を知る」人はそこそこいて、家に来たご近所さんの茶飲み話や、家で寄り合いがあり酒席に集った人が、二人のなれそめをについて冷やかし半分に回顧するのを聞くことはあった。大人どうしのおしゃべりをわたしが側で聞いていただけだが、そういう機会に聞いたことなどを書いている。 

 あるとき、わが家によく出入りし、わたしもかわいがってもらっていた近隣では有力者のあるおじさんに
「お母さんはけっこうきれいだと思うけど、どうしてお父さんと結婚したんだろう」
というようなことを言ったとき、おじさんはこう答えた。
「ミヨ子さんを狙っている男の人はたくさんいて引く手あまただったんだよ。でも二夫さんが白羽の矢を立てた、ということだね」

 二夫がミヨ子にかなりご執心だったことは確かなようだ。
 
※46 鹿児島弁「もがる」。無理にでもほしがったり、子供が駄々をこねたりする行為や様子。
例:何かを買ってほしくてずっとぐずる子供を、親は「いっずいとでんもがっとじゃなか」(いつまでも駄々をこねるものじゃない)と叱るものだった。いまはこんな𠮟り方をする親御さんをほとんど見かけませんが。

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